明晰夢工房

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『鴻上尚史のほがらか人生相談』に学ぶ、人の悩みを聞く極意

 

 

ネットで大評判の人生相談が書籍化

AERA.dotでの連載を読んでいた人ならわかるとおり、これはただの人生相談というレベルを大幅に超えている。

これは、鴻上尚史の世間論であり、コミュニケーション論であり、人間論であり、そして人生論だ。読者は次々と繰り出される「神回答」に唸りながら、気がつくと鴻上尚史人間学のエッセンスを吸収してしまっている。

軽く読めるのに味わい深く、読んだあとは少し気分が晴れやかになり、息苦しい世間もどうにか泳いでいけるような気になれる、これはそんな一冊だ。

 

ラスボスとしての「世間」とどう渡りあうか

 

 

これまで『不死身の特攻兵』などの著書で日本における「世間」や「同調圧力」をテーマとして扱ってきた著者だけに、日本人を相手としたこの人生相談では、ときに鴻上尚史の「世間論」の講義が展開されたりする。

たとえば相談2の「個性的な服を着た帰国子女の娘がいじめられそうです」などは、まさに日本特有の同調圧力に苦しめられる子供の悩みだけに、著者の「世間論」の知見が生かされる。

 

鴻上尚史に言わせれば、ここで相談者の娘が直面しているのは「日本そのもの」だ。彼いわく、敵は日本そのものなのだから、正面切って戦いを挑めば必ず負ける。そこで鴻上尚史はささやかな抵抗として、学校では同調圧力に合わせて地味な服を着て登校し、放課後や友達と出かけるときは好きな服を着る、という方法を提案する。

もしその服がおしゃれだと思われれば友達も同じような格好をはじめ、しだいに仲間が増えるかもしれない。そうして可能な範囲で少しづつ世間に影響を与えていく──これが、鴻上流の世間との戦い方だ。世間に全面的に屈するのでもなく、勝ち目のない戦いを挑むのでもなく、あくまで現実的な自分の通し方がここでは提案されている。相談者が受け入れやすいアドバイスをしていることも、この人生相談が人気を得ている理由のひとつだろう。

 

しかし、いつでもこうして世間の重圧をうまくかわせばいいというわけではない。鴻上尚史のアドバイスは柔軟で、相手によってはもっと異なる世間との付き合い方をすすめることもある。相談4ではもっとヘビーな「世間」の重圧に悩まされる人が出てくるが、「妹が鬱なのに、家族が世間体を気にして病院へ通わせてくれない」という相談者の悩みは深刻だ。こういう全然「ほがらか」ではない相談にも、鴻上尚史は真剣に回答している。

ここで、鴻上尚史は相談者にもし、妹さんの状態がそのままで30年が過ぎたらどうなりますか、と問いを投げかける。68歳になったあなたが、社会から切り離され、実質上の軟禁状態に置かれたまま65歳になった妹さんの面倒を見ることができますか、というのだ。

このくだりは正直読むのがかなりきつい。鴻上尚史も「これを書くのもつらい」と言っているのだが、こういう可能性を突きつけたうえで、やはり今のうちに病院に連れていくべきだ、と彼は諭す。もちろん最後に「心から応援します」と付けくわえる心配りも忘れていない。避けられる悲劇を避けるためには、真正面から世間と戦わなくてはいけないこともあるのだ。

 

人の悩みを聞くうえでやってはいけないこと 

この本を読み進めるうちに、「どうすればこれほど相談者の気持ちに寄り添った回答ができるのか」と考えるようになった。この問いに対するヒントが、相談24の「高校時代の友人A子から絶交されました」への回答の中に詰まっている。

 

この相談は、鴻上尚史の人生相談の中でもネット上ではかなり話題になったものだ。相談者の「さやか」さんは、高校時代に友人のA子さんの悩みに対していろいろとアドバイスをしていたのだが、社会人になってからA子さんから絶交したいと言われてしまった。

「さやかのアドバイスはいつも上から目線で鬱陶しい、人の家の事情を細かく聞いてきて苦痛だった」……とかつての親友から積年の恨みをぶつけられ混乱したさやかさんの相談は、「人の相談にはどう乗るべきだったのでしょうか」だ。鴻上尚史のように的確で優しいアドバイスをするにはどうすればいいのかという、「メタ人生相談」ともいえる問いだ。

 

この相談に対し、鴻上尚史は「A子さんが相談に乗ってほしいと言ってきたときと、さやかさんがなんでも聞くよと言ってきたときと、どちらが多かったですか」と聞いている。もしさやかさんが話を聞くよ、と言った回数の方が多かったのなら、それは善意の押しつけだったかもしれない、ということだ。

さらに、「たしかに厳しいことも言ったけど、それもA子を思ってしたこと」という相談者の言い方にも突っ込む。「あなたのためを思って」なんていうのは無理解な親の言いがちなことで、結局あなたは独りよがりなアドバイスをしていただけかもしれませんよ、ということだ。

さやかさんがA子さんに言ったという「子供を愛さない親なんているわけがない」という台詞からも、そのことは察せられる。自分の中だけの常識を人の家庭に勝手に当てはめてアドバイスをしてはいけない。アドバイスされる側からすれば、それは価値観の押しつけでしかないのだ。

 

そして、ではどうしてそんなに上から目線のさやかさんとA子さんが友達付き合いをしていたのか、というところにも話は及ぶ。鴻上尚史は自身の留学体験を語りつつ、「たとえ見下されながらでも、話しかけられると孤独がまぎれるので嬉しい」という状況があるということをていねいに解説する。高校時代のA子さんもそんな心境だったのだろう、ということだ。

続いて、社会人になり、こちらをかわいそうな人と見下さない、対等な付き合いをしてくれる友人ができれば、A子さんにさやかさんのような上から目線の友人は必要なくなる。だから絶交すると言い出したのだろう……と鴻上尚史は推測している。こう書くとかなり容赦のない分析をしているように思えるかもしれないが、実際には鴻上尚史の書き方はとても柔らかく、さやかさんは優しい人だからそうしてアドバイスするんですね、と相談者を何度も肯定している。そのうえで、これ以上できないくらい相談者と親友の関係性をわかりやすくかみ砕いて説明しているので、言っていることがすんなりと呑み込める。

 

鴻上尚史も書いているとおり、相談者は善意の人ではあるだろう。だが、善意の表現の仕方にいろいろと問題がある。善意はこちらから押し付けるものではなく、アドバイスも実行するかどうかを決めるのは相手だ。鴻上尚史と相談者とでは、悩みを抱える人の気持ちを想像する力、相手に対する気配り、コミュニケーションの取り方などに雲泥の差がある。

鴻上尚史の文章はできるだけ上から目線にならないよう、押しつけがましくならないように配慮されているし、この人なら悩みを打ち明けても決して頭ごなしにこちらを否定してこないだろう、という安心感を持てる。だからこそ、多くの人が鴻上尚史に悩みを相談してくるのだろう。人の悩みに答えたいなら、まずは悩みを打ち明けてもらえる人間になるしかない。

 

鴻上尚史の「神回答」の秘密はどこにあるのか

では、どうすれば「悩みを打ち明けてもらえる人」になれるだろうか。この本を読んでいて大事だと思ったことは以下の4点だ。

 

1.相手の名前を呼ぶ

 

鴻上尚史は、どの回答でもまず○○さん、と相談者の名前を呼ぶことからはじめている。それだけでなく、回答中に何度も相手の名前を読んでいる。相談者は何度も呼ばれているうちに鴻上尚史に親しみを感じるだろうし、ちゃんと話を聞いてもらえている、という安心感を抱くだろう。

心を開けない相手には、人は大事なことは話さない。小さいことだが、あなたの存在をちゃんと受け止めていますよ、というメッセージを送り続けることが大事。

 

2.相手を肯定する

 

先に書いた相談24のさやかさんは、ネット上での評判はかなり悪かった。独善的な人だと思われてしまったのだろう。でも鴻上尚史は、そういう人のことも肯定しつつ話をすすめるのを怠らない。

この相談では、鴻上尚史は「人のことを思い、良い人生を送って欲しいと、さやかさんは思っているんですよね。とても優しい人だと思います」 と書いている。この相談者を優しいと思わなかった人も多かったと思うが、それでも肯定する。悩みを打ち明けてくれた相手には敬意を払わなくてはならない。そうでなければ相手は心を閉ざすし、心を閉ざした相手はどんなにいいアドバイスも聞いてはくれない。

 

3.比喩を工夫する

 

鴻上尚史は比喩の名手だ。たとえば「学校のグループでは最下層扱い。本当の友だちが欲しい」と悩む女子高生に、「人間関係とはお土産を渡し合うことだ」という話をする。友達が欲しいのなら、情報なり優しい言葉なり、勉強を教えるなり、なんらかの「おみやげ」を渡す必要があるので、なんなら渡せるかを考えましょう、というアドバイスをするためだ。

こういう比喩を使うと、「友達が欲しいならまず相手のことを考えないとね」みたいな説教くさい話をするより、ずっと聞き手は受け入れやすくなる。鴻上尚史自身も相談者のことを考えて相手を肯定したり、柔らかい言葉をつかったりとたくさんの「おみやげ」を渡した結果として人生相談が人気になっているので、ますます話に説得力が出てくる。

 

4.できるだけ見聞を広め、人間力とアドバイス力を高める

 

1と2はアドバイスを聞いてもらうための土台作りだが、そのうえでいいアドバイスをするには、やはり多くのことを知らなくてはいけない。独りよがりのアドバイスをしないために多くの価値観を学ぶ必要があるし、広く世間というものを知らなくてはいけない。

そして、何より人間通でなくてはならない。鴻上尚史は劇団の人間関係の中で鍛えられたとあとがきで書いているが、生の人間と人間がぶつかる現場に居合わせることで、否応なくコミュニケーション能力、総合的な人間力がが鍛えられるだろう。相談16では、「大学生の息子が俳優になりたがっているが、人生を棒に振ってしまうのではないか」という悩みに対し、こうして演劇で身につけた能力は必ず就職しても役立つものだとも回答している。

多くの文芸作品に触れることも大事だ。鴻上尚史は相談24で相談者にアガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』を読むことをすすめているが、文芸作品は人の心の機微を学ぶうえで大いに役立つ。そして、こういうところで相手にふさわしい作品をすぐに選び出すためにも、多くのフィクションに触れていなければならない。また、相手の心に寄り添える文章表現や的確な比喩を思いつくためにも、日ごろから文芸に親しんでおく必要がある。

 

5.自分の限界を知る

 

鴻上尚史にも答えられない相談はある。相談13の「大学を休学、何もしてない自分への嫌気で苦しくなります」という悩みに対して、この本では相談者が混乱していることを指摘しつつ、精神科の受診をすすめている。

この相談で、鴻上尚史「人生相談なのに、受診をすすめるのはある意味仕事の放棄かもしれません。でも、僕にはこれが一番いい回答だと思えるのです」と書いている。自分には手に負えない問題と認めたらいさぎよくアドバイスをあきらめ、専門家にゆだねる、この見切りの良さも大事だ。

これだけ人気のあるコーナーを持っていると、人はつい自信過剰になり、どんな相談にでも答えられると思ってしまいがちだ。表現者なら、何か気の利いたことのひとつも言って読者をうならせてやろう、という欲にもかられるだろう。だがこれは悩み相談なので、相談者の悩みを表現欲のダシにしてはいけない。こういうところでしっかり抑制を利かせているあたりにも、著者の誠実さが感じられる。

 

そんなの無理、と思われただろうか。正直私もそう思う。1や2はなんとか実行できるとしても(これだって相手によっては難しいだろう)、3は生まれもった文才やセンスによるところが大きいかもしれないし、4についても演劇みたいな濃い人間関係を経験してないから厳しいな、と思えてくる。演劇こそが人間力を高める、というのは劇団を主宰していた著者ならではのポジショントークではあるかもしれないけれども、演劇と同程度に濃い人間関係のなかで揉まれてきた人がどれだけいるのか、という話だ。

そして、実は5こそがもっとも難しいことではないか、という気もする。人はどんな問題についても、ついなにか言ってしまいたくなる生き物だ。明らかに自分の分を超えた問題に対してもだ。しかし、人の人生に責任を負うからには、自分では扱えない問題に対しては言及欲をセーブしなくてはならない。相談者の抱える問題の大きさを正確に見極める知性と、つい物申したくなる自分を抑える禁欲的な態度がここでは求められる。

 

こうして見てくると、やっぱりこんなの鴻上尚史でもないと無理だろう、と思えてくる。事実そうかもしれない。相談者は鴻上尚史にしかできない回答を求めて相談しにくるのだし、読者も鴻上尚史の回答だからこそ熱心に読みたがる。その結果が5000万pvオーバーという数字に表れている。

そんなナンバーワンにしてオンリーワンの人生相談を、本書では28回もまとめて読める。これほど中身の濃い一冊も、またないだろう。