ちくま新書の歴史講義シリーズのなかの一冊。
先史時代から古墳時代までをカバーする14のトピックはどれも興味深いものばかりで、古代史に関心のある人ならいくつか面白い講義が見つかるだろう。これを読めば、2019年段階での考古学の最新の知見を学ぶことができる。
目次は以下のとおり。
Ⅰ旧石器・縄文時代
Ⅱ弥生時代
Ⅲ古墳時代
個人的にいちばん興味を惹かれたのが第14講で、ここでは前方後円墳が巨大化した理由について書かれている。
ふつうに考えれば、巨大な王墓など作れば蓄えた富を吐き出すことになり、王権にとっては不利なはずだ。だが、王墓の造営こそが当時の王権にとっては必要なことだったのだとこの講義では説かれている。それは、前方後円墳の造営は王権によるポトラッチだからだ。
この講義では高句麗の社会を参考にしつつ、当時の倭国も高句麗同様の首長制社会だったのだと推測している。首長制社会において、首長は民衆へおしみない富の分配をおこなわなくては権力を維持できず、そのために王墓の建設にかり出された民衆に膨大な量の稲籾が与えられたと考えられる。
前方後円墳が巨大化するのは、それだけ多くの民にポトラッチを行う必要があったためであり、古墳時代の権力者は300年間にわたりポトラッチをくり返してきたということになる。高句麗では金銀財宝は葬礼の時に使いつくされたという記録があるが、倭でも王墓の建設でかなりの富を使ったことになるだろう。この本では、箸墓古墳の造営には一日500人から1500人を動員したと計算している。
その高句麗と日本が戦っていたのは、日本で生産される稲と高句麗の鉄との交易上の優位・劣位をめぐる争いが原因だったという説もおもしろい。日本では製鉄技術がなかったため一時期は鉄のほうが交易上優位だったが、気候が寒冷化し穀物が手に入れにくくなっていた朝鮮にくらべ、日本の稲の価値が高まっていた可能性があるそうだ。5世紀半ばに朝鮮半島の鉄の輸入量が増大しているのは、稲が鉄に匹敵するほど価値のある貨幣となったことを示唆している。こうして揺れ動く東アジア社会のなかで倭人の結束を保つためにも、宗教的シンボルである前方後円墳の巨大化は避けられないものだったらしい。