明晰夢工房

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孔子が論語で語った名言にどれくらい「そうだよな」と言えるか

もう20年くらい前のことだと思うが、酒見賢一が雑誌のインタビューで「論語に書いてあることって、そうだよなって思うことが多いですよね。親の年齢を知らないようではいけないとか」と答えていたのを覚えている。おそらくは『陋巷に在り』に関係するインタビューだっただろう。この小説の主人公は孔子の弟子の顔回だ。だから論語に話が及んだのだと思う。

 

完訳 論語

完訳 論語

 

 

最近、この本を読んだ。論語の内容がすべて読みやすい現代語に訳されているだけでなく、解説も充実していて孔子の弟子たちの人物像もリアルに立ちあがってくる。今論語を読もうと思うなら、解説書としてはこの本が一番適しているだろう。

 

この本を読んでいて、ふと酒見賢一の言葉を思い出した。孔子の言葉には、どれくらい「そうだよな」と思える部分があるだろうか。現代まで残っている古典は、多かれ少なかれ現代人にも同意できる部分はあるものだし、だからこそ残っているのだが、では論語はどうか。いざ手に取ってみると、論語の内容は知っているようで知らないこともたくさんあることがわかる。孔子の言葉は断片的なので、解説を読まなければ何を言ってるのかよくわからないことも多い。なのでこの『完訳 論語』の解説を参考にしつつ、論語の内容にどれくらい納得できるか試してみることにした。以下、印象に残った個所を引用しながら、孔子の言葉についてはるか後世の小人なりの見解を書いてみる。

 

子曰く、巧言令色、鮮し仁。

訳:先生は言われた。「巧妙な言葉づかい、とりつくろった表情の人間は真情に欠ける」。

 

セクシーな発言で有名な政界のサラブレッドは弁舌は巧みだが、それだけにあまり人徳があるようには思えない。口ばかり達者な者に信用は置けない、まさに現代人でも「そうだよな」とうなづきたくなる名言の代表だ。

 

子曰く、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患える也。

訳:先生は言われた。「自分が人から認められないことは気に病まず、自分が人を認めないことを気に病む。

 

こういう立派過ぎる名言を目にすると、私などは素直に「そうだよな」とは言えなくなってくる。承認欲求にふりまわされているようでは君子とは言えないのだろうが、もうちょっと凡人に気持ちに寄り添う姿勢があっても、と思わなくもない。しかし、孔子がこれを自分で実践できていたからこそ多くの弟子が従っていたことも確かだ。

 

子曰く、君子は器ならず。

訳:先生は言われた。「君子は用途の決まった器物であってはならない」。

 

サルトルよろしく「実存は本質に先立つ」みたいなことを言ってるのですか、先生?と思ってしまったが、そういう話ではないらしい。この本の解説によれば、君子は専門化された技能者であってはならないということだ。正直よくわからないが、孔子に言われればそういうものか、と思ってしまう。君子はゼネラリストでなくてはいけないのだろうか。技能者を使う立場だから?

 

子貢君子を問う。子曰く、先に其の言を行いて、而して後に之に従う。

訳:子貢が君子についてたずねた。先生は言われた。「まず、言わんとすることを実行し、そのあとで言葉が行動を追いかける人のことだ」。

 

巧言令色鮮し仁、と言ったように、孔子は弁論より実践を重んじた人だ。まずやるべきことを行動で示す、という、まさしく君子の本質を簡潔に表現した言葉だ。そうだよな、と納得するしかない。これは弁舌に巧みな子貢をたしなめる目的もあったらしいが、子貢もこれには納得するしかなかっただろう。

 

子曰く、射は皮を主とせず。力の科を同じくせざる為なり。古の道也。

訳:先生は言われた。「弓の試合は的に命中させることを主としない。(競技者の)力の等級が異なるからである。これこそ古の美しいやりかただ」。

 

結果ではなくどれだけ真摯に物事に取り組んだかが大事なのだ、と孔子は説いている。孔子のこういうヒューマンな一面は好きだ。孔子の言う「古の美しいやり方」が本当に存在したかわからないし、最近は孔子の説いた礼は周の礼に仮託して孔子が創作したものだと言われたりしているが、その内容が魅力的だからこそ多くの人が彼の言葉に耳を傾けたのだろう。

 

子曰く、夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かざる也。

訳:先生は言われた。「異民族に君主が存在したとしても、中国に君主が存在しない場合にもおよばない。

 

華夷の区別を立てるのが儒教というものなのだが、現代人の目から見るとやはりこれは差別そのものなので、とても「そうだよな」というわけにはいかない。論語は古典なのでたまにはこういうこともある。本書によればこの発言は元や清など征服王朝の時代には問題視されたそうだ。 

 

子曰く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。

訳:先生は言われた。「朝、おだやかな節度と調和にあふれる理想社会が到来したと聞いたら、その日の夜、死んでもかまわない」。

 

これなども、私には立派過ぎてちょっとついていけないものと感じる。そんなに素晴らしい理想社会が実現しているなら、そこでずっと生きていたくなるものではないだろうか。

 

子曰く、君子は徳を懐い、小人は土を懐う。君子は刑を懐い、小人は恵を懐う。

訳:先生は言われた。「君子はいつも徳義を心にかけ、小人はいつも故郷を心にかけている。君子はいつも刑罰を気にかけ、小人はいつも恩恵を気にかけている。

 

これを読んでいて、秦を倒し天下を取ったあと故郷の楚に都をおいた項羽のことを思い出した。自分の感情を優先した項羽のことを軍師の范増は小僧呼ばわりしていたが、孔子の目から見ても故郷のことを気にかける項羽は小人の部類だということになってしまうだろうか。懐王を殺し、秦の宮女を略奪した項羽に徳があるといえるはずもないだろうが。

 

子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。

訳:先生はは言われた。「君子は義(正しさ)に敏感に反応し、小人は利益に敏感に反応する」

  

まさにその通り、としか言いようがない。 君子と小人の対比は論語のなかによく出てくるが、これなどは完全に本質をついている。

 

子曰く、性相近き也。習い相遠き也。

訳:先生は言われた。「人のもともとの素質にはそれほど個人差はない。ただ後天的な習慣・学習によって距離が生じ遠く離れる」。

 

こういう孔子の人間観が垣間見れる個所はおもしろい。人の生まれ持った資質に大した差はないが、後天的な努力によって大きな開きが出るというこの見方はのちに性善説につながることになる。とはいうものの、近年は「努力できる遺伝子」なるものが存在するともいわれているので、この見方も100%首肯できるわけではない。孔子は指導者だから学ぶことで人は変わるといわなくてはならなかった面もあるだろう。しかし、実は孔子にはまた別の人間観がある。

 

子曰く、唯だ上知と下愚は移らず。

訳:先生は言われた。「ただ最上の知者と最下の愚者だけは、変化しない」。

 

孔子も先天的な資質をまったく無視しているわけではない。最上級の知者はそれ以上上昇しないし、最下級の愚者も学んでもよくなる見込みはない。長年の教育者としての経験から得た知見なのだろう。学習にも限界はある。これなども「そうだよな」と言いたくなる見解だ。孔子はただの理想家ではない。

 

子曰く、中人以上には、以て上を語る可き也。中人以下には、以て上を語る可からざる也。

訳:先生は言われた。「中程度以上の人間には、高度な話をしてもよいが、中程度以下の人間には、高度な話をしてもしかたがない」。

 

先の言葉の捕捉になるような内容だが、この言葉と合わせて考えると、孔子は人間を3ランクに分けて考えていたようだ。誰が中程度かどうやって判断するのかとか、中程度以下の人にはほんとうに高度な話をする意味がないのかとか、いろいろ考えてはしまうものの、 なんとなく納得してしまいそうな話でもある。

 

子曰く、之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之れをれ楽しむ者に如かず。

訳:先生は言われた。「ものごとに対して知識を持ち理解する者は、それを好む者にはかなわない。好む者はそれを楽しむ者にはかなわない」。

 

孔子の名言のなかでも有名なものだけに、一見正しいように思える。特に創作などのジャンルに対してはよく当てはまる言葉のような気もするが、実はこれにはかなり疑問がある。楽しんでいやっている人が、必ずしも良い成果を出すわけではないのだ。実は小説のプロにもいろいろなタイプがいて、「書くこと自体はそれほど好きではないが、お金のためならやれる」という人もいる。そういう人も立派にプロとして生き残っているのだ。一方で、書くことが好きでたまらないのに一向に実力が伸びない人もいるだろう。楽しんでいる人は書くこと自体で自己完結してしまい、結果にこだわらないせいかもしれない。いくら孔子の名言でも、杓子定規に現実に当てはめてはいけないのだ。

 

 子曰く、憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず。一隅を挙げて三隅を以て返らざれば、則ち復たせざる也。

訳:先生は言われた。「知りたい気持ちがもりあがって来なければ、教えない。言いたいことが口まで出かかっているようでなければ、導かない。物事の一つの隅を示すと、残った三つの隅にも反応して答えてこないようなら、同じことを繰り返さない」。

 

ここには孔子の教育観がよく出ている。孔子は教えてほしいタイミングでしか教えない。弟子がどんな気持ちでいるかも、孔子は敏感に察していたのだろう。孔子が優れた教育者である証拠だ。

 

子曰く、民は之れに由らしむ可し。之れに知らしむ可からず。

訳:先生は言われた。「人民は従い頼らせるべきであり、その理由を知らせるまでもない」。

 

よく知られた言葉で、専制主義だとか言われてしまう箇所でもあるのだが、なぜ知らせるまでもないのか。あまり納得できないが、この本の解説に従えば、徳による政治が実現すれば人々は安心して身をゆだねられるので、いちいち理由を知らせる必要もないのだということらしい。そうとでも考えなければ理解できないところでもある。いずれにせよ、説明責任を果たさなくてはならない現代の政治に適用できる内容ではない。

 

子曰く、中行を得て之れと与にせずんば、必ずや狂か。狂者は進み取る。者は為さざる所有る也。

訳:先生は言われた。「バランスのとれた中庸の人物をみつけ、ともに行動することができないときは、狂なる者かなる者と行動をともにするしかないだろう。狂者は積極的に行動し、者は断固として妥協しない。

 

これも孔子の人間観のおもしろさが出ている言葉だ。中庸の人がいないのなら、毒にも薬にもならないような人より、アクが強くとも一緒にいれば得るところのある「」の人とつき合うのだという。孔子は積極性をよしとしていたのだろう。

 

子曰く、貧しくして怨む無きは難く、富んで驕る無きは易し。

訳:先生は言われた。「貧しくとも恨み言を言わないのは難しいが、金持ちになっても高ぶらないのは簡単だ」。

 

前半は同意できるが、金持ちになっても高ぶらないのは果たして簡単だろうか。SNSを覗けば成功者が貧しい人は努力が足りないと非難する光景を見かけたりするが、そういう金持ちは少数しかいないのだろうか。SNSでは成功者は信者を抱えているのでこういう発言をしてしまうという一面があるだろうから、SNSなど存在しなかった春秋時代では金持ちでも謙虚でいるのは難しくなかったかもしれない。

 

子曰く、君子は其の言いて其の行いに過ぐるを恥ず。

訳:先生は言われた。「君子は自分の言った言葉が、その行動を超えることを恥じる」。

 

論語にはこういう、口が達者なだけの人物を批判する言葉が何度も出てくる。アンドリュー・フォークやシュターデンを君子とは言いようがないので、納得するしかない。

 

或るひと曰く、徳を以て怨みに報ゆるは如何。子曰く、何を以てか徳に報いん。直を以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。

訳:ある人が言った。「善意によって悪意に応じるというのはどうですか」。先生は言われた。「(だとしたら)何によって善意に応じるのですか。まっすぐな正しさによって、悪意に応じ、善意によって善意に応じるのです」。

 

右の頬を打たれたら左の頬を差しだすのは孔子式ではない。悪意に対しては毅然としてこれを正すのが孔子のやり方だ。いつでも実行できるとは限らないが、悪意に善意で応じるよりは納得できるやり方ではないだろうか。

 

子曰く、君子は世を没わるまで名の称せられざるを疾む。

訳:先生は言われた。「君子は生涯をおえるまで、自分の名が称えられないことを嫌う」。

 

先に「人の己を知らざるを患えず」と言っているのに、称えられないようではいけないというのは矛盾していないだろうか、と思ってしまう。自分なりに考えてみると、今人に知られていないことには悩まないが、生涯を終えるまで称えられないということは大したことをしていないということだから良くない、ということではないか。人に称えられる何事かを為さなければ君子とは言えない、ということかもしれない。

 

子曰く、君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む。

訳:先生は言われた。「君子は何事も自分に求めるが、小人は何事も他人に求める」。

 

君子は自分の力で事を為し、失敗すればその原因を自分に探す。小人は人の力を当てにして失敗すれば人のせいにする。まさにその通り、というしかない。

 

孔子曰く、益者三友、損者三友。直きを友とし、諒を友とし、多聞を友とするは、益也。便を友とし、善柔を友とし、便佞を友とするは、損なり。

訳:孔子は言われた。「つきあって得をする三種の友人と、つきあうと損をする三種の友人がある。正直な人を友人にし、誠実な人を友人にし、博学の人を友人にするのは、得になる。お体裁屋を友人にし、人当たりはいいが誠意のない者を友人にし、口のうまい者を友人にするのは、損になる」。

 

 まあそうかな、とは思うものの、孔子も損得でつき合う相手を選ぶのか、とも思えてくる。実はこの本の解説でこの個所は「教条主義的で孔子らしくない」と書かれている。孔子の教えが、その死後に形式化していったことを示すものとも書かれているが、実際どうなのだろうか。孔子自身は素行のよくない昔馴染みとも付き合いを続けていたので、こんな損得勘定はしない人だったかもしれない。

 

子曰く、道に聴いて塗に説くは、徳を之棄つる也。

訳:先生は言われた。「道で小耳にはさんだことを、すぐ道で言いふらすのは、徳義を放棄することだ」。

 

さっき聞いたばかりのことを言いふらす。今なら真偽を確かめもせず、何万RTもされているデマツイートをそのまま拡散してしまうようなものだろうか。これが徳の放棄だと言われたらまさしくそのとおりと言うしかない。

 

 

かなり長くなった。これでも全体のごく一部しか紹介できていないが、全体として孔子が言っていることは7~8割くらいは同意できるものだった。とくに、君子と小人の比較など人物評に関してはほとんど納得のできるものばかりだった。2500年近く昔の人物の言ったことにこれだけ納得できるのはなかなかすごい。これは、日本が儒教文化圏であることも関係しているだろう。聖書や自省録を読んでみてもおそらくここまで納得度は高くならないに違いない。

 

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)

 

 

単純に読み物としてみた場合、論語は必ずしも面白いものというわけではない。読むのなら韓非子のほうが圧倒的におもしろい。韓非の論理は切れ味鋭く、とにかく身も蓋もないので読んでいてある種の爽快感を感じるのだ。たとえば、韓非は孔子と仁愛についてこう論じている。

 

さらに、民衆というのは権勢には服しても、正義に従うことのできる者は少ない。孔子は天下の聖人である。その行いを修め道徳を明らかにして広い世界をめぐり歩き、世界じゅうがその仁愛の徳を歓迎し、その正義を賛美したが、しかも孔子の門人となってつき従ったものは、わずかに七十人であった。思うに、本当に仁愛を尊重するものは少なく、正義を実行するのは困難であったからだ。だから、天下は広大であるのに、門人としてつき従ったものは、わずかに七十人で、仁義の人は孔子ひとりということであった。

魯の哀公は君主としては下等であったが、国君として南面すると、領内の民はすべて臣下として従った。民衆というものは、もともと権勢に服従する。権勢こそはまことにたやすく人を服従させるものだ。だから、すぐれた孔子がかえって臣下となり、凡庸な哀公がかえって君主となった。孔子は哀公の正義に心を寄せたのではない。その権勢に服従したのである。

 

孔子の説く仁なんてごく一握りの人しか尊重しないんだから、法を整備するほうがはるかに多くの人を動かせるのだというのが韓非の説いたことだ。一見説得されてしまいそうになるが、孔子論語が後世に与えた影響力は絶大だ。後漢の時代には儒教が中国の思想界を覆いつくし、儒教はやがて日本にも輸入され再来年の大河ドラマの主人公・渋沢栄一も『論語と算盤』を書くことになる。韓非は抜群に頭が切れたが、孔子の影響力だけは読み誤った。今でも論語を読む人は多いし、私みたいな自己啓発とは縁遠い人間でも、読めば納得でき、こうして長文を書いて内容を紹介したくなる。そのような魅力が、確かに論語にはある。