明晰夢工房

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【感想】十二国記『白銀の墟 玄の月』1~2巻

 

白銀の墟 玄の月 第一巻 十二国記 (新潮文庫)

白銀の墟 玄の月 第一巻 十二国記 (新潮文庫)

 

 

正直なところ、『白銀の墟 玄の月』の1巻については、これが十二国記でなければ最後まで読みとおせた自信がない。なにしろ、物語の舞台となる戴国の様子があまりに陰陰滅滅としていて救いようがないのだ。とりあえず王である驍宗は生きているようではあるもののその姿は見えず、国土は荒廃し、いたるところに難民があふれ、治安は悪化する一方。官吏は民の窮状を知りつつも手を差しのべてくれるわけでもなく、厳しい冬をむかえつつある戴国の民は国から見捨てられつつあった。この巻の雰囲気は、途中何度も出てくるこの古歌によくあらわれている。

 

おれのため 烏のやつに言ってくれ

がっつく前にひとしきり もてなすつもりで泣けよって

野晒のまま、ほら、墓もない

腐った肉さ 一体全体どうやって お前の口から逃げるのさ?

 

野垂れ死にする自分を哂ってしまうほどに、戴の民の心はすさみきっている。1巻の内容は、ほぼすべてこのような戴国の窮状をえがくことに費やされている。といって、決してつまらないというわけではない。どこまでも精密に、精緻に作りこまれた十二国の世界はあいかわらず魅力的で、異世界ファンタジーの醍醐味をぞんぶんに味わえる。十二国記を読むのがひさしぶりなのでかなり設定を忘れかけているのだが、それでも泰麒のまっすぐさや彼をとりまく項梁や李斎などの武将、道士の去思の実直さやひたむきさは魅力的であって、荒廃した戴国をどうにかして救おうとする彼らの姿だけが、この鬱々とした世界に唯一光明ををもたらすものなのである。

 

『白銀の墟 玄の月』1巻だけをとりあげるなら、エンターテイメントとして楽しいものとは言いがたいだろう。なにしろ1巻まるごと使って戴国がどれだけ悲惨な状況に陥っているかを書いているのだから。しかしこれは十二国記である。これまで小野不由美が長きにわたって紡ぎあげてきた、絶対安心のブランドなのである。この巻においては何一つ希望が見えなくとも、いずれかならずこの国を覆う暗雲が吹き払われ、胸のすくようなラストを迎えることができるのだろう──と、何度も自分に言いきかせる。作者への圧倒的な信頼があるからこそこれだけ鬱々とした物語でも読みすすめていけるし、小野不由美もまた読者がついてきてくれることを知っているからこそ、これだけ執拗に戴国の窮状を描けるのだ。この巻全体に小野不由美の読者への信頼が横溢しているのである。ならば、こちらも主上を信じてついていくしかないのだ。

 

白銀の墟 玄の月 第二巻 十二国記 (新潮文庫)

白銀の墟 玄の月 第二巻 十二国記 (新潮文庫)

 

 

1巻はほぼ戴国の窮状を描くことに費やされていると書いたが、それでもこの物語を牽引してくれるものはある。それはミステリ要素だ。白雉が落ちていないからには驍宗は生きているようだが、それなら今どこで何をしているのか。そして、今王座にいる阿選は何をたくらんでいるのか。1巻の後半において、泰麒は項梁とともに白圭宮へと乗り込んでいるのだが、宮城内の様子があまりにもおかしい。阿選はまつりごとに携わっている様子がまるでなく、官吏は魂を抜かれた幽鬼のような姿となり果てている。一体この国で何が起こっているのか──という好奇心が、ページをめくらせる。

 

この謎は、2巻においてようやく阿選が登場するに至ってもなお解けることがない。阿選はもともと驍宗と並び称されるすぐれた将だったのだが、この巻における阿選はどうにも精彩を欠いている。泰麒を試すためいきなり斬りつけるようなショッキングな場面もあるのだが、王に即位する気もないようで、結局何をしたいのかがわからない。わからないといえば、泰麒がなんのために阿選を王だといったのかもはっきりとはわからない。実はこのあと、泰麒はある大胆な提案をしているが、この提案がそのまま通るとも思えない。結局、真意は最後までわからないままなのだ。

 

一方、驍宗のゆくえを探す李斎一行の旅路もまた困難の連続だ。命の危険にこそ直面していないものの、土匪とのトラブルにも巻き込まれ、驍宗探索の旅はまったく順調に進まない。土匪の朽桟の口から、戴の惨状がふたたび雄弁に語られる。土匪もまた血の通った人間であり、家族を食わせていくためやむを得ず裏家業に手を出していることがよくわかる。誰もが食うために必死で、そのためには他人の物資を奪うしかないところまで追い詰められた人々が、戴国、とくに文州にはあふれている。

朽桟からは土匪をあやつっていたのが阿選であるらしいという情報は得られるものの、結局事の全貌はまだ見えないままである。驍宗の痕跡もわずかながら見つかるものの、はっきりした手掛かりが得られるわけでもない。困難な旅路の末に、やがて李斎一行は老安という里にたどりつく。ここにいたり、ようやく決定的な証拠をみつけられたかと思うと、それもまた疑わしい。結局驍宗は生きているのか死んでいるのか。死んでいるとしたら、阿選に従わなくてはならないのか。驍宗麾下の武将にとってはひたすらに重苦しい状況が、二巻の巻末に至るまでつづいている。泰麒は王国立て直しのための人材登用にようやくとりかかっているものの、戴国をとりまく状況は依然厳しいものがあり、まだまったく希望を持つことができない。

 

正直、2巻を丸ごと使ってよくこれだけ徹底的に、戴国の惨状を書きつくしたものだと思う。なるほど戴国からすべての希望が取りのぞかれたわけではない。去思のように民のため尽くそうとする道士がおり、神農のネットワークも健在で、李斎のような心ある武将もまだ多く生きている。朽桟のような土匪ですら根っからの悪人ではなく、世が変わればもっとまっとうに働く心づもりもある。泰麒にも戴を立て直す策があるようだ。

とはいうものの、この『白銀の墟 玄の月』1・2巻は終始陰鬱な空気に包まれており、カタルシスを得られる場面はどこにも見あたらない。まだその時期ではないということだろう。この2巻を読み終えた段階で、私はすっかり戴の荒民としてこの国の冬空の下に放り出されたような気分になってしまった。この国に正当な王が戻り、光がさしこむ日は一体いつくるのか。そんな飢餓感で心の中がいっぱいになる。ここまで読んできて、そういえば十二国記ってこういうものだったなあ、と過去作品をしみじみと思い出す。陽子も祥瓊も鈴も、皆物語前半では大変な思いをしていたではないか。そこを耐えきった読者だけが、終盤の高揚感を味わえていたではないか。

そういう信頼感があればこそ、この『白銀の墟 玄の月』も最後まで読みすすめることができた。この「溜め」の長さは、シリーズ中でも最大のものだ。ここから先、戴にどのような未来が待ち受けるのか、楽しみにしつつ巻を措くことにする。