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【感想】本郷和人『乱と変の日本史』

 

乱と変の日本史 (祥伝社新書)

乱と変の日本史 (祥伝社新書)

 

 

平将門から島原の乱にいたるまで多くの「乱」と「変」を扱った内容になっているが、序の「乱と変から何がわかるか」を読むと、意外なことに「乱」と「変」には学問上の厳密な区別はないと書かれている。

一般的には、なんとなく乱のほうが変より規模が大きいイメージがある。実際、本書によれば承久の乱は戦前は承久の変と呼ばれていたが、のちにこれは日本全体を揺るがした大規模な戦いだと指摘されたため、「乱」と呼び名が変わっている。戦前は武士という「賊軍」が天皇を打ち破ったこの戦いを大したことがない事件と扱うため、「変」にしなくてはいけなかったという事情がある。

とはいえ、乱>変という歴史学上の定義はないのだそうで、何をもって「陣」「役」「合戦」と呼ぶかという学問上のルールもないそうだ。本郷氏自身は戦争>役>乱>変>戦いの順で規模が小さくなると考えているそうだが、だとすれば前九年・後三年の役はかなり大規模な戦いということになるだろうか。

 

内容としては、とりわけ明徳の乱に興味を惹かれた。山名氏は「六分の一殿」といわれるほどの勢力をもっていたため幕府の目の敵にされていたが、山名氏がこれほどの力を蓄えることができたのは、この本によれば山名時氏が有能でうまく任国の武士を掌握できたこと、日本海交易で経済力を蓄えられたことによる。山陰地方の発達した製鉄技術も山名氏の強さの一因ではないかと著者は推測している。

この山名氏の勢力を削るべく奮闘したのが細川頼之だが、本郷氏は頼之こそがこののちの室町幕府のありようを決めた、最大のプランナーだと考えている。細川頼之室町幕府最大の脅威だった山名氏の領地を削ったほか、南北朝を合一させ、東日本を幕府から切り離し、京都からの徴税を実現している。義満の官位が太政大臣にまで達したことも著者は頼之の功績と見ているが、だとすれば義満の政治的実績はかなりの部分が細川頼之の達成したものということになりそうだ。

 

 本能寺の変の章では、近年学会の主流となりつつある「信長は他の戦国武将と特に変わらない」という説に異を唱えている。信長はやはり特別だった、という本郷氏のおなじみの主張である。信長以外の誰も天下布武を唱えて全国統一を為そうとしなかったではないか、ということなのだが、本郷氏は「天下布武」を日本統一のことと考えているようだ。最近は天下布武の「天下」は五畿内のことを指しているともいわれるが、本郷氏は従来のイメージ通りの信長像を持っているようだ。

本郷氏は(信長が普通の戦国大名に過ぎないのなら)「なぜ信長が出現するまで、誰も戦国時代を終わらせることができなかったのか」という問いに明快に答えてくれたら自説を撤回すると書いている。確かに、獲得した領土だけを見ても信長は他の戦国大名を圧倒している。その結果から逆算して信長が特別だったと考えるのは違う、というのが近年の研究者の見解のようだが、本当に信長には特別な点は何もないのだろうか。本郷氏と他の研究者のどちらが正しいかわからないが、一個人としては信長にはどこか「革命児」的なものを期待してしまうところがある。そういえば、『麒麟がくる』では近年の研究成果をとりいれ、中世的権威を重んじる保守的な信長像も描くそうだ。

 

本能寺の変の話をしているのに、本郷氏にとってはこの事件そのものにはあまり関心がないらしい。徳川家広氏の見解に賛成し、「日本史三大どうでもいい事件」と見ているくらいだ。つまり、本能寺の変が歴史に与えたインパクトはあまりないと本郷氏は考えている。だとすれば、この事件は「乱」ほどの評価を与えることはできず、やはり「変」にとどまるということになるだろうか。