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【書評】岩波新書シリーズ中国の歴史1『中華の成立 唐代まで』

 

中華の成立: 唐代まで (岩波新書)

中華の成立: 唐代まで (岩波新書)

 

 

これは概説書としてみればかなり硬い部類になる。初学者がいきなり読めるものではない。物語性を求める読者にはまったく向いていないが、学問としての中国史を知りたい人には得るところも少なくないのではないか。内容の大部分を国制や土地制度が占めていて、文化史は潔いまでに切り捨てられているが、殷から唐代までの中国史の基本的な枠組みを知るにはよい内容であると思う。

 

まず古代史の部分を読んでみると、いくつか新しい知見を得られる。二里頭には中国最古の宮殿建築群が存在するが、二里頭文化とのかかわりで近年は日本の研究者も夏王朝の実在を説く人が多くなっていること。また、山東臨淄から出土した春秋時代の人骨のDNAを解析すると、現代ヨーロッパ人集団と現代トルコ人集団の中間に位置し、ヨーロッパ人集団により近いものだったという。この時代の臨淄には漢族とは異なる多様な人間集団が存在し、孔子の目も青かった可能性があるとしつつ、1サンプルでこの時代全体を判断することはできないとも断っている。秦の兵馬俑は典型的な漢人の風貌だが、春秋時代の人々はあれとはかなり異なる姿だった可能性がある。

 

本書では、中国王朝の政治統合のあり方として、まず貢献制をとりあげる。貢献制とは龍山文化から殷代にかけてできあがったもので、「首長・王権などの政治的中心にむかって従属下や影響下にある各地域集落・族集団から礼器・武器・財貨・人物等を貢納し、首長や王権が主宰する祭祀や儀礼を助成するなどして、ゆるやかな従属を表明する行為」と定義されている。これに対し、王権は祭祀や儀礼執行の際、各地域から受け取った貢納物を参加した地域の集落や族集団の代表に再分配することで、政治的秩序を確立する。もっともよく知られる貢納品はタカラガイで、殷墟の大墓からは多数のタカラガイが出土している。西周期の青銅器にも、王がタカラガイを下賜したことが記されている。

 

そして、殷末から西周にかけて、貢献制は封建性へと進化する。春秋左氏伝が記す魯国の封建においては、周王は魯公にたいし、礼器・武器とともに領土と殷民六族を再分配した。この段階において、王権からは土地と人間も再分配される。周の封建制は周王室と血縁関係にある首長や同盟関係にある異種族の首長を各地に武装植民の形で送りこむものと、宋のように旧来の族集団を維持したまま諸侯に封じるものとがあるが、いずれにしても王権は支配者集団にしかおよばず、各地の下層民まで直接支配できるわけではない。

 

さらに徹底した支配体制として郡県制が成立してくる。春秋期の戦車にかわり、前541年には晋で本格的な歩兵戦闘がおこなわれ、前6世紀末から前5世紀初頭には呉・越で独立歩兵部隊が組織されるなど、歩兵部隊が戦争の主役になってくるが、この歩兵を出すのが百姓小農である。百姓に徭役を課すための官僚組織である県はまず晋に登場している。軍役をになう家の主体が首長層である世族から百姓小農にかわる動きの行きつくところが商鞅変法で、この法律において「耕戦之士」が秦の戦力の主体となり、県を束ねる郡も設けられた。秦が全国を統一すると、郡県制も中国全土に拡大することになる。

 

漢王朝が秦の郡県制にかわり郡国制で全国を統治したことはよく知られている。漢は王国・封国を諸侯に与えている点は封建制をうけついでいるが、各王国内部は郡県制で成り立っている。そして、劉邦が毎年年頭の10月に各王国・侯国に貢献物の貢納を義務づけている点で貢献制もひきついでいる。貢献制・封建制・郡県制が折り重なってできているのが漢王朝といえる。 呉楚七国の乱で王国・侯国の領土は削られ、漢は帝国領域内では郡県制による百姓の直接統治を強化したが、周辺諸族や諸外国に対しては封建制と貢献制によるゆるやかな支配を行っている。

 

新王朝が短命に終わったのであまり存在感のない王莽についても重要な指摘がある。貨幣改鋳や専売制で社会を混乱させた王莽だが、彼の作った畿内制度と州牧制度は後世の国制の基礎となっている。王莽は国土を九州に分割し、州には長官として州牧を置いたが、州牧以下属長にいたるまでの官職は(大尹をのぞいて)五等爵を持つ官人を任命し、世襲させている。これは郡県制と世襲制封建制を融合させるもので、王莽は儒家の教典をもとに漢の制度のなかに周の制度を組み込もうとしている。王莽の国制は後漢に入ってさらに改革されているが、この後各王朝に受けつがれる漢代の国制は、事実上王莽がつくりあげたものなのだという。

 

元帝期から明帝期初年にいたる、ほぼ100年のあいだにできあがった儒家的祭祀・礼楽制度・官僚制度の骨格は、天下を領有する名前とともに、清朝にいたるまで継承された。のちの諸王朝は、漢を規範と仰ぐことが多い。その漢は、全漢ではなく後漢の国制であり、それは事実上王莽がつくりあげたものである。三国の魏がこの体制を踏襲したので、のちにはこれを「漢儀故事」「漢魏之法」「漢魏之旧」とよび、東晋南朝ではあるいは「漢晋之旧」「魏晋故事」などとよんだ。(p131)

 

王莽は儒教国家を性急につくりあげようとして失敗したが、王莽を否定しつつも実際に儒教国家を完成させたのは後漢だった。こののち、分裂時代を経て隋唐の統一時代が訪れるまでもこの本には書かれているが、後漢の国制が書かれている箇所ですでにこの本の半分を過ぎている。中国の基礎が築かれた時代に力点を置いているということだろう。

 

この本はアマゾンのレビューを見ると評価が二分している。制度史を学びたい人には好評だが、物語的記述を求める人には不評のようだ。どちらを好もうと自由だが、大学で学ぶ歴史学とはこういうものだということは知っておいて損はない。個人的には封建制から郡県制にいたるまでの軍役の変化は非常に興味深く読んだし、商鞅の変法についても詳しく書かれているので戦国秦について知りたい人にもおすすめできる。硬い本なので読み手は選ぶが、中国の古代王朝の成り立ちについて知りたい読者には好適な一冊と思う。

 

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まずは読みやすい物語として中国史を学びたい人には陳舜臣『中国の歴史』がお勧め。

 

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岩波新書のシリーズ中国の歴史からは今月2冊目の『江南の発展 南宋まで』が発売されている。