明晰夢工房

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麒麟がくる2話「道三の罠」感想:織田信秀の経済力描写の細かさについて

今回は合戦の描写にかなり力が入っていた。

斎藤軍四千vs織田軍二万と数字上は織田軍が大きく上回っているが、斎藤道三は織田軍の大部分が金で集めた兵であることを知っているので少しも動じることがない。

今回、ドラマの冒頭で道三は孫子の一節をわざわざ光秀に暗誦させている。よく知られている「敵を知り己を知らば、百戦危うからず」だ。自分は信秀のことを知りつくしているから数で劣っていても負けることはない、と道三は匂わせている。

 

今回の道三は孫子の兵法の体現者だ。まず、光秀を借金で縛り、侍大将の首ふたつで借金を帳消しにしてやると伝えている。旅費は借金だとは一言も言わずにおいて貸しを作り、あとでそれを明かして光秀を勇猛な将に仕立てあげる。光秀には敵将の首が金に見えていたことだろう。この時点ですでに道三は孫子の「兵は詭道なり」を実践している。勝つためなら家臣すらもペテンにかける、これが道三のやり口だ。

 

陣太鼓がリズミカルに打ち鳴らされ、どこか厳粛な儀式のような雰囲気も漂うなか、加納口の戦いは始まる。光秀が侍大将の首を求めて必死に戦う一方、織田兵は道三の仕掛けた落とし穴に嵌められている。道三はさっさと籠城を決めて稲葉山城に退却するが、このとき民百姓にまぎれて織田方の乱波も稲葉山城に入り込んでいる。

だが道三はすでにそれを察知していて、乱波を油断させるために家臣に水をふるまっている。信秀が攻撃の手を止めたのを見計らい、道三は反撃を開始する。虚を突かれた織田軍はさんざんに打ち崩され、信秀は落ち武者の姿で逃げ延びる。自分の油断でさんざん味方を失っておきながら「城へ帰って寝るか」などとのんきなことを言うあたりが、道三に人望がないといわれる原因だろうか。結局、戦とは騙し合いであり、道三は信秀より何枚も上手だった。

 

だが、その信秀すらも結局は土岐頼純にそそのかされていただけだった。道三は頼純が信秀に送った書状を示しつつ、頼純を面罵する。なぜ、この男に道三は帰蝶を嫁がせているのか。もちろん政略結婚なのだが、帰蝶は土岐家の様子を探るために送りこまれていたのかもしれない。となると、今後帰蝶が信長に嫁ぐ経緯が気になる。いずれ道三は帰蝶織田家の内情を知らせろと言い含めるのではないか。

 

今のところ、道三は真田丸における真田昌幸みたいなもので、完全に光秀の存在を食ってしまっている。叔父に似た敵将の首を取るのをためらう繊細さを持つ光秀が、海千山千の道三から学べるものはあるだろうか。今のところ高政と一緒に道三を嫌っている光秀だが、将来的に道三を見直す展開もありそうな気がする。

 

織田信秀は人望がないなどと道三にバカにされているが、かわりに信秀は経済力で多くの兵を集めることができる。この時代で二万もの兵を集められるのは驚きだが、この数字は本当なのだろうか。いずれにせよ、信秀が豊かだったのは確かだ。『麒麟がくる時代考証担当の小和田哲男氏は『集中講義織田信長』でこう書いている。

 

集中講義織田信長 (新潮文庫 (お-70-1))

集中講義織田信長 (新潮文庫 (お-70-1))

  • 作者:小和田 哲男
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/05
  • メディア: 文庫
 

  

当時、大きな川は、船運に利用されていたという事実がある。木曽三川の一つ、木曽川べりの津島にまで、伊勢湾船運の船が出入りしていた。つまり、信秀は、伊勢湾船運最大の湊の一つといってよい津島湊を支配し、湊に出入りする船に関税を課し、収入としていたのである。

信秀は、天文十年(1541)年には、伊勢外宮の仮殿造営費として七百貫文を献上している。今のお金にして約一億円である。これだけであれば、「奇特な人もいるものだ」ぐらいですまされたかもしれない。ところが、二年後の天文十二年には、何と皇居の築地修理費として、四千貫文を献上しているのである。今の金額にすれば六億円であり、こうなるとハンパではない。事実、このことを聞いた、奈良興福寺多門院の僧英俊は、その日記『多門院日記』の中で、「不思議の大宮か」とびっくりしている。

一国の守護大名とか戦国大名ならいざしらず、その段階では、まだ、守護大名斯波氏の守護代織田氏の「三家老」の一人にしかすぎない信秀に、自由にできる金がこれだけあったのである。いかに、津島湊支配による収益が莫大な額にのぼっていたかがわかる。 

(中略)

信秀は、その後、居城を那古城に移し、さらに、そこに幼い信長を置いて、自らは古渡に新しく城を築いて移っている。そして、古渡城のすぐ近くに、伊勢湾船運のもう一つの大きな湊である熱田湊があったのである。つまり、信秀は、津島湊と熱田湊の二つをきっちり押さえ、収益を確保していたのである。

 

信秀が築地塀修理費として四千貫文を献上した天文12年は、今回ドラマで描かれた加納口の戦いの四年前になる。こうして内外にみずからの経済力を誇示していた信秀は、あちこちに寄付をしてなお多くの兵を集める余力を持っていたことになる。加納口の戦いに熱田神宮宮司が参加していたのは、信秀が熱田湊を支配していたことの表れだ。信秀は津島湊と熱田湊の収益で兵を集め、道三に挑み、敗れたという描写になっている。

 

麒麟がくる』公式サイトで、織田信秀を演を高橋克典は「織田信秀は、戦(いくさ)と政治には金が必要だといち早く気づいた人物だと思います。今の時代で言うと、信秀はやり手の起業家で、織田家フロント企業。戦と政治に新しい手法とアイデアを持ち込んだ人物です」と語っている。集金が得意な信秀の姿は今回すでに描かれていたが、熱田神宮宮司の描写などは細かすぎて歴史マニアにしか通じないネタかもしれない。