明晰夢工房

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カーネギー『人を動かす』が語るリンカーンの煽りスキルの凄さ

 

人を動かす 文庫版

人を動かす 文庫版

 

若き日のリンカーンは煽りの達人だった 

D・カーネギー『人を動かす』はタイトル通り、人を説得するノウハウの書かれた実用書だ。だがこの本は読み物としてもなかなかおもしろい。アメリカの政治家や実業家のエピソードが豊富だからだ。中でも若き日のリンカーンの話は強烈だ。こんなことが書かれている。

 

彼がまだ若くてインディアナ州ピジョン・クリーク・バレーという田舎町に住んでいたころ、人のあら探しをしただけでなく、相手をあざ笑った詩や手紙を書き、それをわざわざ人目につくように路ばたに落としておいたりした。その手紙の一つがもとになって、一生涯彼に反感を持つようになった者も現われた。(p12)

 

『知られざるリンカーン』という著書も書いていて、リンカーンの人となりについて余すところなく研究したというカーネギーが、こういう話を紹介している。若いころのリンカーンは、かなり攻撃的な一面を持っていたようだ。リンカーンのこのような性格は弁護士を開業してからも改まることはなく、ジェームズ・シールズという政治家を諷刺する文章を新聞に匿名で投稿したことがきっかけで、ついには決闘沙汰にまでなっている。

 

 感情家で自尊心の強いシールズは、もちろん怒った。投書の主がだれかわかると、さっそく馬に飛び乗り、リンカーンのところに駆けつけて決闘を申し込んだ。リンカーンは決闘には反対だったが、結局ことわり切れず、申し込みを受け入れることになり、武器の選択は、リンカーンにまかされた。

リンカーンは腕が長かったので、騎兵用の広場の剣を選び、陸軍士官学校出の友人に剣の使い方を教えてもらった。約束の日がくると、二人は、ミシシッピー河の砂州にあいまみえたが、いよいよ決闘がはじまろうとしたとき、双方の介添人が分け入り、この果し合いは預かりとなった。(p12)

 

リンカーンは言わずと知れた演説の名手だ。演説がうまいというのは人の心を動かすのがうまいということであり、その能力を煽りに全振りすればこれだけ人を怒らせることになってしまう。リンカーンがどれほど無礼な投稿をしたのかぜひ知りたいところではあるが、残念ながら本書には投稿の内容までは載っていない。

 

とにかく、これをきっかけにリンカーンは人を嘲るのをやめ、人を非難することもまずなくなった。「人を裁くな、人の裁きを受けるのが嫌なら」を座右の銘とし、南北戦争中にリー将軍を攻撃する絶好のチャンスを逃したミード将軍を責めることもなかった。実はリンカーンはミード将軍を非難する手紙を書いていたが、この手紙が出されることはなかった。それは、リンカーンは過去の苦い経験から、手厳しい非難はなんの役にも立たないと知っていたからだ、とカーネギーは推測している。ご存じのとおり、リンカーンは暗殺されて56歳の人生に幕を下ろしているが、彼が辛辣な人物のままだったならもっと早く殺されていたかもしれない。事実、シールズと決闘していれば死んでいたかもしれないのだから。

 

自己重要感を満たせるものが人を動かす

カーネギーはこうしたエピソードを道徳訓として紹介しているわけではない。カーネギーが人を非難してはいけないと説くのは、あくまで実利のためだ。その証拠に、カーネギーはこの本で「なまじっか他人を矯正するよりも、自分を直すほうがよほど得であり、危険も少ない。利己主義的な立場で考えれば、たしかにそうなるはずだ」と書いている。人を非難してはいけないのはあなたが損をするからですよ、とカーネギーは説く。辛辣な批評などしても恨まれるだけで、「人を動かす」うえではなんの役にも立たない。

 

では、人を動かすためには何が必要か。この『人を動かす』で何度も強調されているのは自己重要感に訴える、ということだ。自己重要感とは「重要人物たらんとする欲求」のことだ。誰だって、どうでもいい人間とは扱われたくないし、できることならかけがえのない大切な人物と扱ってもらいたい。この欲求こそ、誰もが持っていて、かつ満たされがたいものなのだとカーネギーは言う。

 

この欲求は、食物や睡眠の欲求同様になかなか根強く、しかも、めったに満たされることがないものなのだ。つまり、八番目の”自己の重要感”がそれで、フロイドのいう”偉くなりたいという願望”であり、デューイの”重要人物たらんとする欲求”である。

リンカーンの書簡の冒頭に「人間は誰しもお世辞を好む」と書いたのがある。優れた心理学者ウィリアム・ジェームズは、「人間の持つ性情のうちで 最も強いものは、他人に認められることを渇望する気持である」という。ここで、ジェームズが希望するとか要望するとか、待望するとかいうなまぬるいことばを使わず、あえて渇望するといっていることに注意されたい。(p26)

 

カーネギーに言わせれば、ロックフェラーに巨万の富を築かせたのも、ディケンズに偉大な小説を書かせたのも、ときに少年を悪の道に走らせるのも、みなこの自己重要感なのだという。リンカーンが法律家をめざしたのもこの欲求を満たしたかったからだ。誰もが重要人物でありたいという「焼けつくような渇き」をもっているからこそ、これを満たしてやれる人間は人を動かす力を手に入れることになる。

人は己を知る者のために死す、なんて言葉があるように、人は自己重要感を満たしてくれる者のためなら、ときに命すら捧げることもある。だからこそ、若き日のリンカーンのように人の自己重要感を傷つけてはならない、ということになる。

 

日本一自己重要感を満たすのがうまいのは誰か

『人を動かす』にはこの自己重要感を満たすテクニックが多く紹介されている。「人に好かれる六原則」「人を説得する十二原則」「人を変える九原則」の各章で紹介されている内容は「イエスと答えられる問題を選ぶ」「わずかなことでもほめる」「笑顔を忘れない」「名前を覚える」「自分のあやまちを話す」などどれも具体的だ。

これらの原則は、ひとつひとつとってみればわりと常識的なものだ。目が醒めるほど特別なテクニックはひとつもない。だが、これらの原則を実際に使いこなせている人がどれほどいるだろうか。つねに笑顔で人の話を聞き、親しく名前を呼びかけ、相手をほめることを忘れず、自分の失敗談も交えつつ相手の立場に立ったアドバイスのできる人。そんな人は稀有だからこそ、今のところこの人は人生相談界のトップに立てているのではないだろうか。

 

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鴻上尚史の人生相談はいつも内容が濃いが、この回はとくに読みごたえがある。この相談は、「人の相談にはどう乗るべきだったのか」という、ある種のメタ人生相談になっている。相談者が親友の相談に乗っているうち、知らず知らずのうちに不快感を与えてしまい、ついには絶交されてしまったからだ。

この相談への回答として、 鴻上尚史はまず「人のことを思い、良い人生を送って欲しいと、さやかさんは思っているんですよね。とても優しい人だと思います」と相談者をほめている。そのうえで、相談者には「無意識の優越感」があったから嫌われてしまったのだ、ということを、自分の経験談を交えつつていねいに説明している。

相談者が親友に優越感を持っていたという指摘だけなら、他の人にもできるかもしれない。だが、できるだけ相談者の顔を立て(=自己重要感を傷つけず)、アドバイスを受け入れやすい状況をつくるという点において、鴻上尚史の手腕は抜きんでている。この回の回答では「誠実な関心を寄せる」「名前を覚える」「ささいなことでもほめる」「自分のあやまちを話す」「顔をつぶさない」など『人を動かす』で紹介されている原則がふんだんに使われている。鴻上尚史の人生相談は毎回が『実践版・人を動かす』だ。だからこれほど評判になっている。

 

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ところが、そんな鴻上尚史ですら、ときには批判されることもある。女子との接し方がわからないという相談者に対し、「男性と会話することに怯えている女性」をまず探そう、というアドバイスが一部で不評だった。この回答では女子高出身で男子とうまく話せない女性を「その女性は、だいたい80キロぐらい」と喩えていて、初心者バッターの相談者にはふさわしい相手だという話もしているのだが、チュートリアルステージとしてこういう人がふさわしいですよ、と差しだされる側からすればこれは自己重要感を傷つけられるアドバイスになるだろう。「チョロい相手」と扱われて嬉しい人はいない。

 

おそらく鴻上尚史は、相談者の心情に寄りそうことを第一に考えて回答しているのだと思う。そのせいか、この回答もどこか男子校的なノリを演じているようなところがある。その結果、「初心者用」と扱われる側の立場までは考えが及ばなかったのかもしれない。油断すると鴻上尚史ほどの人でもこうなってしまうほどに、全方位に人の気持ちに配慮するのはむずかしい。だからこそ、『人を動かす』は今でも求められ、ベストセラーであり続けているのだと思う。

 

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