明晰夢工房

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【感想】中村光博『「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史』

 

 

2010年、「伊達直人」を名乗る人物から児童福祉施設に寄付が行われる「タイガーマスク現象」が起きた。「伊達直人」からプレゼントが届けられた児童養護施設「鐘の鳴る丘 少年の家」の事務室には、靴磨きをしている少年たちの写真が飾られている。この少年たちは戦争孤児だ。伊達直人ことタイガーマスクは孤児院の出身という設定だが、「伊達直人」が寄付をしたこの施設にも、かつては戦争孤児が存在していた。本書『「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史』では、この施設に飾られている写真に写っている元戦争孤児へのインタビューも掲載されている。

 

写真の中で靴磨きをしていた戦争孤児のひとりが伊藤幸男さんだ。伊藤さんは大阪で空襲に遭い、後に母も過労で逝ったため10歳で放浪生活に入っている。終戦から一年が経った銀座には、仕事休みで遊びにきたアメリカ兵がたくさんいた。「駅の子」と呼ばれる浮浪児たちは、このアメリカ兵を相手に靴磨きをして稼ぐ。だが商売道具は簡単に手に入らない。靴を磨く生地は、列車のシートの生地を剃刀で切り取ったものだ。靴墨はパンパンに協力してもらい、アメリカ兵にこの子に靴を磨かせてやってくれ、と頼んでもらって手に入れる。アメリカ兵も女性の前ならいい格好をしたがるから気前がよくなる。こういう知恵が、生きていくためには必要だった。

 

靴磨きで稼げるならまだいい方で、「駅の子」は生きていくために動物のような境遇にまで落ちることもある。伊藤さんの次にインタビューを受けている山田清一郎さんは、闇市で捨てられているものを拾って食べていたため、いつも腹を壊していたという。そんな生活を続けるうち、野良犬が残飯をバケツから食べるとき、上の方から食べるのを見た。下にあるものの方が傷みやすいことを犬は知っている。ものの食べ方を犬から学ぶという、文字通り野良犬同然の生活を強いられた戦争孤児も存在していた。山田さんの周りには、傷んだものを口にして命を落とした仲間もいたという。

 

終戦直後は、それでもまだ戦争孤児に対する同情的な目が存在していた。だが復興が進むにつれ、「駅の子」たちは社会の治安を乱す存在として扱われるようになっていく。のちに「狩り込み」(浮浪児の強制収容)にあい、児童保護施設に送られた山田さんは後に小学校へ通えることになったが、孤児は教室ではなく倉庫のような部屋に集められた。部屋の黒板には犬小屋だのばい菌だのと悪口が書かれていて、教師はそれを消そうともしない。同級生からのいじめも絶えることがなかった。このような仕打ちは、今も戦争孤児の心に深い傷を残している。

 

「よく身に染みたよね、人の冷たさっていうのかね。本当に優しかったら、あの孤児たちが、浮浪児がいたら、そこで何か周りでね、温かい手を差し出しているはずなんだよね、だから、日本人というか、人間は、案外そういう冷たさを持っているんじゃないかと思うけどね」