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【感想】青山文平『白樫の樹の下で』

 

白樫の樹の下で (文春文庫)

白樫の樹の下で (文春文庫)

  • 作者:青山 文平
  • 発売日: 2013/12/04
  • メディア: 文庫
 

 

貧乏御家人の主人公村上登と冷静で温厚な青木昇平、少々ひねくれたところのある仁志兵輔という二人の友がくりひろげる江戸青春活劇──とまとめてしまうには、この作品はあまりに苦い。この『白樫の樹の下で』は、たとえば青春時代小説の金字塔『蝉しぐれ』のように、清涼感あふれる読後感を読者にもたらさない。そのかわり、ずっしりと重みのある現実が迫ってくる。

 

藤沢周平作品に限らず、通常この手の若者を主人公とした時代小説では、戦うべき敵ははっきりしている。それは藩内で悪政をなす家老であったり、それに協力する大商人であったり、あるいは藩主の縁者であったりする。主人公は友と手をたずさえ、これらの難敵に立ち向かい、いずれ大団円をむかえる。もちろん細かい筋書きの違いはあれ、ある程度先行きが予想できるからこそ、この手の小説は安心して読んでいけるところがある。

 

ところが、この作品では登と二人の友は、必ずしも協力して事に当たるわけではない。むしろ逆だ。この二人の友との訣別こそが、ストーリーを前に進める。藤沢周平作品なら良きアドバイザーとなりそうな昇平も、悪友として気散じの手伝いをしてくれそうな兵輔も、残酷な運命の犠牲になってしまう。ここで描かれているのは爽やかな友情物語ではなく、青春の蹉跌である。人は必ずしもまっすぐ大人になれるわけではない。昇平も兵輔も侍ではあり、剣の道に打ち込む若者であれば、挫折はそのまま命にかかわる事態になる。太平の江戸の世でも、侍は挫折すれば無事大人になれないこともあるのだ。

 

この作品のあとがきで、『この小説には、歴史時代小説につきものの成長プログラムが用意されていない』と評されている。確かにこの作品はビルドゥングスロマンの色彩を欠いている。『白樫の樹の下で』にも、立ちはだかる敵はいる。倒すべき剣客もいる。登は町人を残酷に切り刻む「大膾」の正体を探るうち、最後には最大の難敵と戦うことにもなる。だがここで対決する相手は、悪徳商人と手を組み藩政を牛耳る家老などではない。詳細は書かないが、青春の総仕上げがこのような事情を背負った相手との戦いとは、あまりに切ない。米澤穂信作品にも匹敵するビターな味わいが、ここにはある。かつて純文学を志していたという青山文平の強みが存分に生かされた時代小説というべきだろう。