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【書評】山本太郎『感染症と文明 共生への道』

 

感染症と文明――共生への道 (岩波新書)

感染症と文明――共生への道 (岩波新書)

  • 作者:山本 太郎
  • 発売日: 2011/06/22
  • メディア: 新書
 

 

文明化とは感染症との共存だ、ということがこの本の一章『文明は感染症の「ゆりかご」だった』を読むとわかる。文明化以前の人類は小規模な集団で狩猟生活を行い、移動しながら生活していた。このような生活をしていると、感染症にかかるリスクが少ない。事実、アメリカ・ネバダ州で発見された先史時代住民の糞石からは寄生虫の卵や幼虫が発見されていない。生活習慣病なども少なく、先史時代の人類はおおむね健康だったようだ。

 

だが、農耕の開始と定住、野生動物の家畜化が人類と感染症との関係を決定的に変えた。定住すると糞便が居住地の近くに集積され、寄生虫の感染輪となる。農耕が始まると余剰生産物が貯蔵され、これがネズミの餌となるので、ネズミからノミやダニを介して感染症が人類社会に持ちこまれる。そして天然痘や麻疹、インフルエンザなど、動物起源のウイルスが家畜からうつる。定住して生活する限り、人類は社会のなかに多くの感染症を抱え込むことになる。農耕は人口増加をもたらすため、感染症の流行に拍車がかかる。かくて、もともと野生動物を宿主としていた病原体は、ヒトという新たな宿主をえて、その活動範囲を一気にひろげることになった。

 

幸い、ヒトは多くの感染症に対し免疫をもつことができる。ある文明が拡大していく過程で、感染症は最初は敵であるが、一度免疫をえれば以後はその病気への感染をまぬがれる。感染症を文明の内に取りこむことができる。このようにして、各文明が対抗できるようになった感染症のリストを、本書では「疾病レパートリー」とよんでいる。黄河文明揚子江下流域へ拡大するのをさまたげたのは風土病だったが、一度この地を掌握してしまうと、その土地の感染症が「疾病レパートリー」に加わる。文明は拡大するほどに疾病レパートリーを増やし、感染症に強くなっていく。

 

このため、ある文明と別の文明が接触したとき、勝敗を分ける要素として疾病レパートリーが決定的に重要にになることがある。文明はその初期段階において何種類かの家畜を保有するが、疾病レパートリーは大部分がこの家畜の種類によって左右される。となると、多くの家畜を保有する文明は疾病レパートリーが多く、感染症に強いということになる。

 

 

本書ではジャレド・ダイアモンドの説を引きつつ、家畜の大半がユーラシア大陸起源であることを指摘する。アメリカ大陸起源の家畜はリャマとアルパカしかいない。これでは新旧大陸で疾病レパートリーに大きな差が出てしまうのは必然だ。しかも、『銃・病原菌・鉄』で説かれているとおり、同じ緯度では生態学的条件が似ているため、動植物の栽培化や家畜化の技術などが伝播しやすい。大陸が東西に長いユーラシア大陸ではこれらの技術とともに感染症も交換され、各文明は疾病レパートリーを増やし続けた。対して南北に長いアメリカ大陸では条件が逆になるため、疾病レパートリーが増えにくい。結果、インカ帝国はスペイン人の持ちこんだ天然痘に大打撃を受けることになった。ダイアモンドが説くとおり、世界史の大勢は地理的条件で最初から決まっていたことになるのだろうか。

 

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このように文明と感染症の関係をみてくるとわかるとおり、疾病レパートリーを増やそうとすると一時的にその文明は感染症に打撃を受けるが、長期的には感染症に強い文明になる。上記の記事では西浦教授が、新型コロナウイルスの感染者の多いアメリカが集団免疫獲得に舵を切る可能性を指摘しているが、これは言い方を変えれば、新型コロナを「疾病レパートリー」に加えるということでもある。

新型コロナウイルスを大方押さえ込めている東アジアやオセアニアの国々は、今のところはアメリカや西ヨーロッパにくらべてかなり有利にみえる。だが、長期的にみればどうなるか。感染者が少なく、新型コロナを疾病レパートリーとしてもたない日本などは、アメリカに門戸開放を求められるとまた感染リスクが高くなってしまう。新型コロナを疾病レパートリーに加えられる国とそうでない国は、どちらが強いのか。いまだ答えの出ない問いを抱えつつ、しばらく我々は生きていかなければいけないようだ。