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【感想】檀上寛『陸海の交錯 明朝の興亡』

 

陸海の交錯 明朝の興亡 (シリーズ 中国の歴史)

陸海の交錯 明朝の興亡 (シリーズ 中国の歴史)

  • 作者:檀上 寛
  • 発売日: 2020/05/21
  • メディア: 新書
 

 

明代はモンゴル史家から「暗黒時代」と評されることがある。では、明代の専門家はこの時代をどう見ているのか。中国史の概説としてはめずらしく明代史のみを取り扱った本書を読めば、新書一冊でこの時代を俯瞰することができる。

 

まず初代皇帝の朱元璋の政策についてみていくと、朱元璋は「儒家」だったという意外な記述がある。胡惟庸の獄や藍玉の獄など、数多くの家臣を粛正した朱元璋の統治姿勢は法家そのもののように見えるが、この本によれば徳の通用しない小人に対して法を用いるのは漢代以降容認されている。朱元璋儒家の建前を利用して法を行使していたのであり、徳治を掲げつつやむをえず法を用いる、という儒教の論理が刑罰の執行を後押ししていた。

元末には社会が混乱していたため、社会秩序を安定させるためにも法治が求められた一面はある。民の生活を安定させるために法を用いて綱紀を粛正することが朱元璋のねらいだった。だが、廷杖の刑の行使や五拝三叩頭の礼の強要、文字の獄による学者・文人の弾圧など、朱元璋専制主義はあまりに苛烈だった。このような彼の性格は「狂気と信念の非人間的皇帝」と評されている。この時代の専門家から見ても、やはり朱元璋は一個の怪物だった。

 

社会の内実はどうかというと、明初の社会は流動性の低い社会だった。職業は固定化され、世襲が義務付けられている。農民は里のなかから一歩も出ることは許されず、夜間は出歩くことができない。加えて互いの行動も監視しなくてはならず、科挙合格を除けば庶民が身分を上昇する手段もまずない。「暗黒時代」は言いすぎとしても、空間的移動も身分的移動もごく限られているこの社会が生きやすいものとは感じられない。社会秩序を維持するため、「分」を守ることを求められた農民の心中はどのようなものだったろうか。

 

明の対外関係については、いくつかおもしろい記述がある。明初は海禁策が実行されていたが、これは「海上土豪」が日本から押し寄せる倭寇を巻き込んで明に抵抗していたため。中国沿海部の住民が海上勢力と結託するのを防ぐには海禁策をとるしかない。日本との国交も当然絶たれていたが、永楽帝の時代に入り義満が日本国王に封じられる。永楽帝が日本を重視したのは倭寇対策のため日本の協力が必要だったからでもあるが、日本が明に臣従したこと自体にも大きな意味があった。というのは、日本はクビライが求めた朝貢を蹴って元と戦ったからだ。元が従えられなかった日本を臣従させたことは、それだけ明の権威を高めることにつながる。

明にとり倭寇対策よりさらに重要なのは北のモンゴル対策だが、永楽年間に明はモンゴルやオイラト冊封し、朝貢一元体制に組み込む。この体制下では北辺での交易が禁じられているので、モンゴルは朝貢貿易で利益を得るしかない。朝貢の人数が増えると下賜品も増えるのでモンゴルやオイラトはできるだけ朝貢の人数を増やそうとするが、明側は金品の下賜を抑えようとするので両者の間に軋轢が生まれる。この軋轢が戦争に発展したのが土木の変で、オイラトの指導者エセンは明と有利な講和条約を結ぶことしか頭になかった。エセンは明から得た金品をは以下に配ることで求心力を得ていたため、明からの下賜品を減らされたら黙ってはいられなかった。

 

「明朝は万歴に滅ぶ」といわれるが、万暦帝の時代大いに明を圧迫した秀吉の朝鮮出兵の意外な影響についてもこの本ではふれれている。明軍は捕虜となった日本兵から新式鉄砲を手に入れ、旧来の鋳銅製から日本式の鍛鉄製の銃に切り替え鳥銃の耐久性を強化している。さらには日本兵を使って女真族に備え、西南地方の少数民族の反乱鎮圧にも利用している。戦国時代を生き抜いた日本兵は強かったのだろう。朝鮮も降伏した日本兵から火薬や鉄砲の製造技術を学び、また日本からの輸入も行い17世紀には多くの鉄砲を所有するようになっている。日本の影響で東アジア全体に軍事革命が起こっていたことになるが、このように明代史だけでなく明を中心としたグローバルな歴史の流れをおさえられることも本書の特長だ。

 

既刊の岩波新書シリーズ中国史の書評はこちら。

 

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