明晰夢工房

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ブログに「本当の感想」をもらうことの難しさ

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もうとっくにこの話題の旬は過ぎてしまっているが、改めて上記のまとめを読み返し、いろいろと思うことがあったのでここに書いておく。

 

作家もそうだが、何かしら創作をしている人は、単に創りたいものがが創れればそれで満足、という人ばかりではない。誰かに反応してもらえるから、褒めてもらえるから、という動機でがんばる人も多い。そのことの良しあしをここで論じる気はない。ただ、皆がダーガーのようにひたすら孤独に砂場で砂を積みあげ、好きな風景をつくることに没頭できるわけでないことは確かだ。反応が気になるタイプの人はどうしたって気になる。

 

では、小説に感想をもらいやすくするにはどうしたらいいだろうか。書き手が感想をもらえれば励みになるように、感想を送る側もまた、作者に反応してもらったほうが書く甲斐があるというものだろう。つまり、感想がほしければ、感想をもらったときに大喜びしてみせたり、感想をくれた読者と交流するなどのサービス精神があったほうがいいことになる。

 

ふだんから愛想よくふるまい、知人が多い人ほど作品への感想はもらいやすい。それは作者だってわかっている。だが、ここで作家は考える。愛想よくふるまって、その結果として小説への感想が増えたとしても、その感想は果たしてほんとうに「感想」といえるのか、と。人間は誰でも返報性の心理を持っている。自分によくしてくれた人には何か返したくなるのが人間である。つまり、いつも愛想よくしていた場合、感想は愛想の対価として返ってきたのではないかということだ。生真面目で職人気質な作家ほど、そう考えるのではないだろうか。コンテンツ自体とは別の力で感想をもらうなど邪道ではないかと。

 

小説に感想を書くという行為は、実はけっこうハードルが高い。何しろ相手は作家であり、文章のプロなのだから、こちらの文章を見る目も厳しい。的外れなことを書いて失望されるのが怖い、逆鱗に触れて執筆意欲をなくさせるのは申し訳ない。感想を書く側にはそんな気持ちがあるかもしれない。これがイラストなら「尊い」とか言ってればいいかもしれないが、小説にはもっと言葉を尽くさなくてはいけないような気もする。そう考えると、なかなか筆が進まなくなる。加えて読み手は作家ではなく、必ずしも感情をうまく言語化できないという事情もある。そうして書きあぐねているうちに、作者の求めている感想が得られないことになる。

 

このハードルの高さを、作者も知らないわけではない。いや知っているからこそ、その高いハードルを越えてきたものだけを「本当の感想」だと考える。読者に愛想を振りまかなくても、感想に返事を返さなくても、それでも感想を書かせてこそその作品には力があるといえる。感想が来ないということは、そのハードルを越えさせるだけの作品が書けなかったということになる。少なくとも諸口さんはそう考えていたようだ。

 

感想が来ないということが、ただちにその作品の質の低さの証明になるとは、私は思わない。だが実際問題として、感想がもらえないことで執筆のモチベーションが下がる人はいる。なぜ小説家になろうの作品はあんなに似たようなタイトルばかりなのか、と疑問を呈する人がいるが、それは流行に乗らなければなかなか読んでもらえず、反応ももらえないからだ。やはり応援してもらえることは、強烈に執筆意欲をかき立ててくれる。ネットで他作品のPV数や感想コメント数が可視化されたこの時代、自作に反応がもらえないのはつらいだろう。ネット時代の創作者は、全員がスカウターを装備した世界を生きている。自作の戦闘力のなさが丸裸になってしまうのだ。人と比べるなといわれても、自作の叩きだした数字を気にしないのは難しい。

 

ここまで書いてきて、なぜこのブログは感想なんてたまにしか来ないのに続けられているのだろう、と考えた。おそらく、私は「感想は来ないもの」だと思っているのだろう。特に人気者のブロガーでもなければそんなものだ。自分への期待値が低ければ反応はなくて当たり前と思える。書きたいことを出力できればまずはそれで満足、というところはあるし、あまり他人に期待してもあとで落ち込むだけ、ということも経験則として知っている。過去の栄光などそもそも存在しないから先細りになっていく心配とも無縁だし、いつも低空飛行だからこそたまにたくさん読まれたときはありがたくも感じられる。こう考えていくと、辺鄙なブログも案外悪いものではないのかもしれない。

 

saavedra.hatenablog.com

利害関係を抜きにした「本当の感想」はなかなかもらえないものであるとするなら、書き手の側でできることはなんだろうか。そう考えつつ過去記事を読んでいたら、この記事では「自分自身への期待をどれだけ手放せるかが、ブログを長く続けるコツだ」と書いていた。これは言うは易し、ではある。手間暇かけた書いた文章は、やはり読んでほしい。私も最初はそうだった気がする。いつからあまり自分に期待しなくなったのか、よく覚えていない。ただいつのまにか、文章とは基本、ごく少数の人間にしか届かないもので、それでいいのだ、と思うようになった。この認識に立てば、たまに来る感想にありがたみを感じられるようになる。今後しばらくは、あまり他人にも自分にも期待しないようにしつつ、書いていければと思っている。