明晰夢工房

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【感想】田中優子・松岡正剛『江戸問答』

  

江戸問答 (岩波新書 新赤版 1863)

江戸問答 (岩波新書 新赤版 1863)

 

  

2章の浮世問答の「学問のオタク化と多様化」がおもしろい。明治維新は江戸時代の「学び」から出ているが、江戸時代の学びとは「実」と「遊」の間にあるものだった、というのが田中優子松岡正剛の共通認識だ。遊びながら学ぶ、知ることを楽しむ、という方向に振り切ればその人は学問オタクだ。この二人に言わせれば伊能忠敬も平賀源内も知のマニア、オタクなのである。

 

松岡 江戸時代にはそういうオタクっぽい感覚をなんと呼んでいたんだろう。「好き者」とはまたちょっと違いますね。

田中 たんなる「好き者」よりもやっていることはちょっと力が入っていますよね。しかも、それが流動性を生んでいる。遠くの塾にわざわざ行くのが平気なのと同様に、地方から突然、江戸や京都や大阪に出てきて塾に入ったりもする。大阪にあの先生がいるとか、江戸にこの先生がいるとか、おもしろい学校があるらしいという、それだけの動機で出てきちゃったりする。何か仕事があるとか、一旗揚げようというのではないんですね。そうやって出てきた人が、たまたま自分でも学校をつくってしまう。じゃあ、学校をつくってずっとそこにいるのかというと、つくったあとにまた平気で故郷に帰っちゃう。自分の故郷で小さな塾の先生をやったりする。

松岡 とことん遊学的。ぼくは日本の遊びにおいては、「遊」のなかに「実」がそうとう入っていて、その「実」のなかにも「遊」が入っていたと思っていますよ。日本の「学び」とはそういうものだった。そのぶん理論や哲学のようなものはつくれなかった。

 

このように、学問に「遊ぶ」時間をつくれたのはなぜなのか。田中に言わせれば、江戸時代にはたくさん働いてもっと稼ぐという考え方があまりなかったのだという。大工も商人も、自分のテリトリーを超えてまで儲けようとはしない。武士なら収入は石高で決まっているし、内職をしなくても生活できるならあえてすることはない。

 

出世欲も生活欲もあまりない人たちが多かったため、遊ぶ時間は確保できたようだ。そうなると、「遊び」関連のジャンルが成長する。浮世絵や出版物、金魚や錦鯉や朝顔、お稽古事などだけでなく、塾へ人が移動することもまたお金を生み出す。遊びが深まれば深まるほど、たくさんのお金が動くことになる。そのせいもあってか、江戸時代の日本は経済成長率がイギリスに継いで世界二位だったという。「遊び」は人の流動性を高め、人も物も動かし、結果としてそこに経済が生まれる。

 

こうした「遊」の世界における嗜好は江戸時代にかなり細分化されていたと松岡正剛は語っている。

 

松岡 多様性を認めることで、競争は生まれないかわりに、流動性がどんどん生まれる。これは江戸の経済社会の大きな特徴だと言えそうですね。

たとえば朝顔が好きな人たちのなかにも、咲いたところが好き、しぼんだところが好き、ツルが巻いているところが好き、ツルが上がっていて三本になっているのが好きというように、ものすごく細かく好みが分かれていて、それに対応するだけの朝顔市場というものができていく。金魚や錦鯉なんかも、もうわけがわからないぐらい品種を増やしていくでしょう。そうすると、いまでいうロングテールが動く。それどころか超ロングテール市場ですよね。

 

これと似たような世界を現代に見出すなら、YouTubeではないかと思う。先日、40代独身実家住まい女の日常だとか、30代工場勤務男の毎日だとかを淡々と語るだけの動画を見た。編集もあまり凝っていないし、特別面白いというものでもないが、どちらもけっこうたくさん再生されている。嗜好が細分化された世界では意外なものにも需要があり、そこにまた経済が生まれる。「好きなことで生きていく」まで行かなくても、「好き」が経済を生み出していたという意味では、現代人と江戸人には共通するものがありそうだ。