明晰夢工房

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【感想】謎解き×怪異×人情全部入りの宮部みゆきよくばりセット『きたきた捕物帳』

 

きたきた捕物帖

きたきた捕物帖

 

 

宮部みゆきの時代ものには怪異要素のあるものとないものがある。怪異入りなのは『三島屋変調百物語』『荒神』『あかんべえ』などで、これらの作品は捕物ではない。いっぽう怪異なしの作品は『ぼんくら』『堪忍箱』『おまえさん』などで、ぼんくらシリーズは捕物だ。人情味は宮部作品なら全作品にあるから、怪異と捕物が合体すれば自動的に人情もついてくることになり、ここに宮部みゆき時代劇の全要素がそろう「宮部時代小説よくばりセット」ができあがる。宮部みゆきが「私がずっと書きたった」という『きたきた捕物帳』は本所深川を舞台に展開する捕物帳であり、妖怪や幽霊は(今のところ)出てこないもののちょっと不思議な味付けもあり、さらには主人公北一の成長を眺められるビルドゥングスロマンでもある。もちろん江戸の町人の表の顔も裏の顔もていねいに描く描写力はあいかわらず卓越していて、大安定の宮部ワールドに心ゆくまで浸ることができる。

 

第1話「ふぐと福笑い」は主要人物の顔見せといった回。岡っ引きの千吉親分の子分だった北一の回想から物語ははじまる。仙吉の商売だった文庫売りを引きつぐ意地の悪いおたまや世慣れた差配人の勘右衛門、仙吉の妻で盲目の松葉、その女中のおみつなどが出てくるが、一番のキーマンは盲目ながら、いや盲目だからこそなのか、常人をはるかに超える鋭い感覚と洞察力を持つ松葉だ。松葉は北一と同じ長屋に住むことになり、北一は松葉の家事を手伝うかわりにおみつに飯を食わせてもらっているのだが、ある日北一は松葉の洞察力を見込んで相談を持ちかける。

相談事とは、出して遊ぶと必ず祟る「呪いの福笑い」の件。ある材木屋の子供がうっかりこの福笑いを取りだして遊んでしまい、それ以来家の者が火傷したりものもらいを患ったりしている。これを解決するには福笑いで遊び、一発で正しい場所の目鼻口を置かなければならないのだという。この難題を目の見えない松葉がどう解決するのか?がこの話の読みどころだ。本当に福笑いの呪いなんてものがあるのかわからないが、松葉の解決法には不思議なところは何もない。当人が言うとおり、「一足す一は二」なのだ。

 

第二話「双六神隠し」はタイトル通り、双六にまつわる「神隠し」の話。魚屋の息子・松吉が行方知れずになると、友人の丸助は双六のせいだと言い出す。彼らが遊んでいた双六とは「大熱」「突き当り」「金三両」など奇妙な書き込みのあるものだった。松吉は「神隠し」のマスにとまったから姿を消したというのである。のちに松吉はひょっこり姿をあらわしたが、当人も神隠しにあったようだ、と言う。

一体どういうことなのか。北一は真相を探りはじめる。頼りになりそうな勘右衛門も怪談には弱く、今回は当てにならない。北一はまだ少年なので、子供たちの嘘には敏感だ。これは神隠しなどではない、と確信した北一は聞き込みをはじめる。松葉からもヒントをもらいながら、北一はしだいに真相に近づいていく。そうこうするうちに今度は松吉の友人の仙太郎がいなくなってしまう。しかも丸助の家の前の干物箱には金三両が入れられていた。松吉同様、「金三両」のマスにとまった丸助にも双六と同じ現実が訪れた。

ここからさらに北一は推理を働かせる。やがて明らかになってくるのは、仙太郎をとりまく複雑な環境だ。裕福な蠟燭屋の跡取りである仙太郎も、さまざまなものを背負っている。彼の家族も善人ばかりではない。正しくない感情、決して表に出してはならぬ鬱屈をを抱えた者が、彼の周りにはいる。だが、真実を知ってしまうと、その「正しくなさ」にも一定の理解はできる。決して根っからの悪人ではない者が、状況によって正しくない者になってしまう。複雑にもつれる人の感情の動きをていねいに追い、正しくない者にも一定の同情心を起こさせる、これこそ宮部みゆきの人間描写の真骨頂だ。現実が巨大なピタゴラ装置であるならば、ここで起きているのは感情の玉突き事故なのだ。北一はこの玉突き事故のしくみを見事に解き明かし、松吉の抱えていた鬱屈まで晴らしてみせる。北一は人間として一回り大きくなり、他者を助けられる男になった。70ページ程度の分量に生きることのつらさと切なさ、そして尊さを凝縮した密度の濃い一篇だった。

 

第三話「だんまり用心棒」はこの物語のもう一人の主人公・喜多次が登場する話。北一は同心の沢井蓮太郎の頼みで地主の屋敷の床下に埋まっていた骨を掘り出すが、そこで烏天狗の根付をみつける。扇橋町の湯屋の釜焚きが天狗の顔の彫り物をしていると聞いた北一は、根付との関係を確かめるためこの釜焚きの元を訪れる。釜焚きはみすぼらしい身なりで会話もろくにできない少年で、これが喜多次だ。このときはまるで頭の回らない少年にしか見えなかったが、この喜多次がのちにまったく異なる一面を見せることになる。

この後、差配人の勘右衛門が何者かにさらわれ、身代金を要求される。北一はおおよそ犯人の目星がついていたが、勘右衛門がどこにいるのかまではわからない。だが北一のもとをおとずれた喜多次から、北一は意外なことを聞かされる。ここでようやく『きたきた捕物帳』のタイトルが回収される。北一と喜多次がコンビを結成し、勘右衛門誘拐事件の解決にあたることになるが、ここから先は喜多次の目が醒めるような活躍ぶりが見ものだ。喜多次が北一に協力してくれる意外な理由も明らかになるが、それでもなお喜多次の過去には多くの謎が残る。喜多次の多能ぶりは一体どこからくるのか、どんな生い立ちなのか。それを知りたくて、今から続編が待ち遠しくなる。

 

第四話「冥土の花嫁」は北一の文庫屋としての成長ぶりを眺められる。味噌問屋「いわい屋」に引き出物として納める文庫をつくるため、文庫作りの先達の末三や人の良い武士の青海新兵衛、団扇屋の丸屋の協力を仰ぐことになる北一だが、皆が力になってくれるあたり、深川の人々の温かさが身に染みる。だがいわい屋の新郎の前に、死別した元妻・お菊の生まれ変わりだというお咲が現れる。お咲はどういうわけかお菊の記憶を受けついでいて、発言には矛盾がみられない。いわい屋が大混乱に陥るうち関係者が怪死する騒ぎまで起きてしまい、結局北一は事件解決のため動き出すことになる。

謎解き自体はわりとシンプルなものだが、この話でメインになるのは北一の成長と自立だ。北一が意地の悪いおたまのもとを離れ、商売人としてどう自分を売り出していくか、どんな人を頼ればいいのか、が描かれているが、北一がかかわる人々のキャラが全員立っていて、さながら深川人間図鑑といった様相を呈している。宮部みゆきの多くの人間を書き分け、それぞれの登場人物の内面に自在に入り込む手腕にはいつもながら感心させられる。喜多次の過去が少し明らかになる一幕もあり、この謎めいた少年への興味がさらに増す仕掛けもある。父親が謎の死を遂げているだけに、おそらく続巻で喜多次の過去についてさらに触れる機会もあるのだろう。

 

全体を通してみると、本作では謎解きと人情の要素が大きく、怪異要素はやや控えめだ。4つのストーリーそれぞれが怪異の雰囲気をまとってはいるが、あくまで現実的な理由のある怪異なので、三島屋変調百物語とはまた味付けが異なる。ともあれ、宮部作品が好きな読者だけでなく時代小説好きには安心して進められる内容だし、シリーズ化もすでに決定しているので、いずれテレビドラマ化されることも今から期待しておく。