明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

【感想】たもさん『カルト宗教信じてました。』(kindle unlimited探訪3冊目)

 

 

人はなぜカルトにはまるのか?著者にこう問うのは的外れかもしれない。著者がこの宗教に入信したのは母に騙されたからであって、別にこの教えに惹かれたわけではないからだ。英語のレッスンがいつのまにか宗教書のレッスンに変わり、不気味な挿絵をみせられ不安を覚えても、まだ小学生で自我も固まっていなかった著者がこの宗教に抗うのは困難だっただろう。著者が言うとおり、「疑念を持つにはあまりに幼すぎた」のだ。生きているうちにハルマゲドンが来て信者だけが生き残る、などと脅されたらなおさらだ。

 

問いを変えよう。なぜカルトにはまるのか、ではなく、なぜカルトから抜け出せないのか、と問う必要があるのだ。成長し、自我が強くなってくれば、宗教に対抗する力が育つかもしれない。思春期に入れば、この宗教で禁止されている活動だってしたくなる。実際、著者はあがり症を直すために演劇部に入部しようとしている。だがそれは「集会の妨げになる」と叱られ、著者は従ってしまう。なぜなのか。

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それは、この世界には独特の「承認の場」があるからだ。信仰に従ってさえいれば、皆が笑顔で受け入れてくれる。「奉仕活動」として勧誘をすれば、「中学生にして他の人を教える特権があるのよ」と褒められる。エゴに満ち堕落した世間の人間などとは違う、「選ばれし者」になれるのだ。著者が言うとおり、この宗教は「一風変わった信条のゆえによく迫害に遭う」。だからこそ宗教内にしか居場所がなくなり、ますます信仰にのめり込むことになる。

 

人は社会的生物であり、一人で心の隙間を塞ぐのはむずかしい。どこかに所属したくても地縁血縁が薄れゆく一方の現代社会において、代わりとなる共同体が常に求められている。そのひとつがカルトなのだろう。なにしろこの教えを信じていれば、仲間の承認も得られ、優越感も満たせ、世界の終末における救済まで得られるのだ。この宗教では教えに逆らえば「排斥」され、しばらくの間信者と会話も許されない。こんな窮屈な掟すら、信者にある種の自己肯定感をもたらしているかもしれない。自分はそんな罰を受けるような者とは違う、正しい人間だと思えるのだから。

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結局、著者は紆余曲折を経てこの宗教を抜けることになるのだが、狭く窮屈な共同体であっても、そこから抜け出すことは大きな恐怖がともなう。カルトをやめることはそれまで自分自身を形作ってきたものをすべて叩き壊すことだ。そこからもう一度生まれ直す覚悟が必要になる。自由になれたのはいいものの、そこから先に何が正しく何が間違っているのかを教えてくれる人はもういない。それまでさんざん「サタンの世」と吹き込まれてきた一般世間のなかへ、人生半ばを過ぎてから戻っていくのは容易なことではない。ここにはもう教団内で得られていた、特別感も優越感もなにもない。ただの自分であることを受け入れていかなくてはならない。

 

今の世の中を見渡すと、淋しい人、特別でありたい人の受け皿になるのはカルトだけではない。一部のオンラインサロンにもそうした役割はあるだろう。Jアノンや反ワクチンなどの陰謀論を信じる集団にも、共同体としての役割はある。これらの集団は外から見るといかにも奇異で極端な価値観に染まっているようにみえるが、それだけに「目覚めた少数派」でありたい人の欲求を満たすことができる。外部から叩かれれば叩かれるほどに、これらの共同体内部の人々は結束を固め、その絆を強固なものにしてく。それを愚かな生き方だと嗤うのは簡単だ。だが、そうした生き方しか選べない人はどうすればいいのか。著者の夫は「信者はこの宗教のなかでしか生きられない人ばかりだ」と言う。目が覚めない人は何をやっても覚めないのだから、教会の暗部を暴露したって無駄だというのだ。

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狭く偏った共同体であっても、そこにしか居場所がない人はいるのだろう。信仰は自由だし、人の心のよりどころを全否定するわけにもいかないのなら、選べるのは自分がこの宗教を抜けるかどうかだけだ。いや、それだって本当に自分で選べるのかは怪しい。このマンガを読む限り、著者がこの宗教を抜けられたのは、良き夫にめぐりあい、信仰とは別の心のよりどころをみつけられたからだと思える。結局、それは運や縁といった領域の話なのではないか。逆にいえば、ちょっとした運や偶然で、人はカルトに取りこまれてしまうこともあるのだろう。今我々にできることはこうしたマンガを読んで、多少免疫をつけておくくらいのことかもしれない。

【書評】中国の南北朝時代が新書一冊でわかる!会田大輔『南北朝時代 五胡十六国から隋の統一まで』

 

 

これは大変コスパの高い一冊。新書一冊で西晋の崩壊から隋の統一にいたる長い分裂時代を概観できるうえ、各所に新知見が盛り込まれている。政治史中心で、主要人物のエピソードも数多くとりあげているので読みやすい。この時代の概説書は五胡十六国の興亡がややこしいので挫折しがちだが、この本では思いきってのちに北魏を建国する鮮卑拓跋部に的を絞って記述しているので、頭が混乱することがない。東晋時代は最低限の記述ですませ、北魏と宋・斉・梁・陳が並立した時代を中心に書いているので、この時代について知りたい読者には強くおすすめできる一冊になっている。

 

中国の南北朝時代には、この時代特有のダイナミズムがある。ユーラシア大陸東部において、遊牧民華北に侵入し、中国文化と遊牧民接触や融合をくり返した結果、思わぬ化学反応が起きることがある。そのひとつの表れとしてこの本で紹介されるのが、北魏にしか存在しない「子貴母死制」だ。北魏を建国した鮮卑族の間では妻や母親の発言力が強いため、後継者の決定後にその生母を殺す「子貴母死制」がつくられた。これは中国にも遊牧民にも存在しなかった、独自の制度である。この制度によって母を殺された拓跋嗣は号泣して父・道武帝の怒りを買い、平城から逃亡する一幕もあったという。このような過酷な制度も、国家の安定のために導入する柔軟性が鮮卑族にはあった、

 

北魏から日本に伝わったものもある。北魏文帝は18歳の時、5歳の皇太子(後の孝文帝)に譲位しているが、皇帝がまだ幼いため、「太上皇帝」として国を治めることになった。譲位後に太上皇帝として国政を執る例は、中国諸王朝にも遊牧民にもないため、これもまた中国の政治文化と遊牧民の柔軟な思考の接触により生まれたもの、とこの本では解説される。この「太上皇帝」に影響を受けてできた称号が「太上天皇」で、持統天皇軽皇子に譲位したのち太上天皇となっている。日本は南朝文化の影響を強く受けているが、意外なところで北朝の文化も取りこんでいた。

 

南朝についての記述を読むと、梁の武帝の仏教政策について新知見が得られる。武帝は生涯に四度も「捨身(=寺院の奴隷になること)」をしたことが知られているが、本書によればこれは「手の込んだ喜捨」ということになる。本当に皇帝が奴隷になるわけにはいかないから、手続きとしては家臣が多額の銭を払い、寺院から武帝を買い戻す形になるわけだ。この時代、東南アジア諸国から仏像や舎利などを献上する仏教的朝貢もおこなわれており、武帝の捨身の直後にスリランカの使者が来貢したこともあった。武帝は個人的に仏教に傾倒していただけでなく、「捨身」で諸外国に崇仏天子としてみずからをアピールしていたようだ。

 

この時代、仏教は北朝でも盛んだった。たとえば北斉を建国した高洋(文宣帝)は座禅に励み、多くの寺院を建立した熱心な仏教徒だった。だが一方で高洋は酒に溺れ、多くの勲貴(北方系の軍人)や漢人官僚を殺害する暴君でもあった。本書で「信仰と行動のギャップには戸惑うばかりである」と評される高洋が酒に溺れていたのは、若くして皇帝となり、勲貴の支持を取りつけるため軍事や政治に励んだストレスのせいらしい。もしかすると、仏教もストレス解消の一手段だったのではないだろうか。

 

この高洋のように、キャラの立った人物がこの本には多数登場する。高洋の父・高歓は有力者の娘に一目ぼれされ、この娘と結婚したことで馬と資産を得たエピソードがあるし、高歓の仲間だった候景はのちに梁の首都・建康を占領し「宇宙大将軍」と称している。北魏で三長制や均田制などを実施した太后のような女傑もいる。こうした個性的な面々ががつぎつぎと出てきては激しい権力闘争をくり返すので、読んでいて飽きることがない。これらの人物が織りなす群像劇を読みすすめるうち、いつのまにか終章の陳の滅亡まで導いてくれる『南北朝時代 五胡十六国から隋の統一まで』は、リーダビリティが高く密度の濃い中国史の概説書として、今後長く読みつがれる一冊になりそうだ。

【感想】「理解のある彼くん」が出てこないから安心?『迷走戦士・永田カビ』(kindle unlimited探訪2冊目)

 

 

永田カビ作品にはある種の安心感がある。それまでさんざん人に受け入れられないつらさ、うまく世の中に適応できない苦しさを描いていたのに、どこからか突然その苦しさをすべて受け止めてくれる「理解ある彼くん」が出てきて読者が置いてけぼりにされる、ということがないからだ。なにしろ永田さん自身がこの『迷走戦士・永田カビ』で、この種の理解者がなぜ急に出てくるのかと疑問を呈している。

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これはネットでもけっこう話題になった箇所だ。生きづらさを抱えた人がいつのまにか理解あるパートナーを得られている状況に対し、比較的パートナーを得られやすい立場にある女性が突っこんだのが珍しかったからだろうか。

 

女性は比較的パートナーを得られやすい、と書いたが、それはあくまで一般論だ。このマンガでも永田さんはパートナーを得るべくマッチングアプリに登録しているのだが、会ってがっかりされないようにとマイナス要素を盛りに盛ったプロフィールを作成している。それでもメッセージが殺到する。これ以上できないくらいプロフィールを改悪してもメッセージがくる状況に、永田さんは恐怖を感じている。

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これを読んでいると、やはり女性と男性とでは需要が全然違うんだな、と思う。男性がこんなにネガティブなプロフィールを作ったら、全然相手にもされないだろう。だが、たくさんオファーがある状況も永田さんには喜ばしいものではない。押しよせるいいねやメッセージが、「こいつならいけるだろ」という男性からのものだと思ってしまうからだ(それが事実とは限らないが)。

 

引く手あまたな状況を肯定的にとらえられるなら、これらの男性のなかから「理解ある彼くん」をみつけられる可能性もあったかもしれない。だが、そもそもそんなポジティブな考え方ができるようなら、永田さんは『レズ風俗』にはじまる一連のエッセイ漫画を描く必要などなかっただろう。マッチングアプリで多くの男性から求められても、それが幸せに結びつくとは限らないのだ。需要があるぶんだけ女性の方がパートナーを得やすいとはいうものの、人は男だ女だという前に、まずその人固有の生を生きている。生きづらさの形は人の数だけあるのだから、単純に男女別にカテゴリ分けして語れるものではない。

 

このマンガで、永田さんは自分がパートナーを得るまでのハードルについて考察したりはするものの、結局は「ていねいな生活」みたいなところに落ち着いている。幸せそうでなにより。パートナーがいてもいなくても幸せならそれで一番……のはずだが、結局「理解ある彼くん」が出てこないことに安心してていいのか、とも思う。どんな形の幸せを求めようと、それは作者の自由だ。だが永田さんの場合、そのような理解者(男性とは限らない)を得たとしても、そうなるまでの過程をしっかり描いてくれるのではないか、という期待感はある。このマンガでパートナーを得られない苦しみを描いてきた人が、そこをおざなりに済ますことはないのではないだろうか。

瓜生中『よくわかる浄土真宗』(kindle unlimited探訪1冊目)

 

 

kindle unlimitedが2ヶ月で299円のキャンペーン中だったので昨日から入ってみた。仏教の入門書はかなりたくさん読めるので、まず読み放題の期限が切れそうな『よくわかる浄土真宗』から読んでいくことにする。

 

この本によると、大乗仏教とは仏教の大衆化運動であり、悟りにいたるさまざまな道を模索するものだった。阿弥陀如来も悟りへの導き手として考え出された如来のひとつで、サンスクリット語ではアミターバ(=計り知れない光明を発し続ける)になる。漢語では無量光仏と訳される。

 

阿弥陀如来はメシア思想と関連が深いと解説されている。キリスト教的なメシア思想が東方に伝わり、これがインドで大乗仏教と融合して生まれたのが阿弥陀如来と考えられているらしい。浄土真宗で極楽が「西方」にあるとされているのは、メシア思想とともに天国が西から伝えられたからだという。

 

ただし、キリスト教の天国と浄土真宗でいう極楽浄土はかなり異なる。キリスト教の天国では男女が酒を酌み交わし饗宴を楽しむが、極楽浄土には女性がいない。これは、男女間の愛欲、つまり煩悩を起こさせないためだ。阿弥陀如来に煩悩の起こらない西方浄土に連れて行ってもらえれば、何もしなくても煩悩がなくなっていくからいずれは悟りに到達することになる。極楽浄土は快楽の尽きた清らかな世界なのだ。

 

他力本願が浄土真宗の基本だが、もともと「自灯明(=自らをよりどころにして生きる)」をかかげてきた仏教から、なぜ他力を頼む教えが出てきたのだろうか。この本では、末法の世では戒律を守り、厳しい修行をするのは不可能だと考えられたから」と解説されている。

浄土真宗七高僧のひとりに数えられる道綽は、釈迦の教えを「聖道門」と「浄土門」の二つに分けている。聖道門は自力で修業し悟りにいたるもので、浄土門は念仏を唱えて極楽に往生するものだ。末法の世では人間の資質が低下し、聖道門を歩める者がいないため、出家在家を問わず、人は浄土門に頼るしかないと道綽は説いた。

 

この道綽と同じ教えを、親鸞法然から受けついでいる。法然ははじめて親鸞に会ったとき、まず親鸞の仏教についての考えを語らせた。親鸞比叡山で学んだ天台の教義などをくわしく述べたが、それは自力聖道門の教えであり、末法の世では他力浄土門の教えでなければ救われないと法然は説いた。親鸞法然の教えを即座に理解し、その場で弟子になったのだという。

 

親鸞が妻帯していたことはよく知られているが、この本によれば法然親鸞の妻帯に賛成していたという。そうであってこそ、世俗に生きる在家の信者も極楽に往生できると説けるからだ。

 

法然は在家の人々に向かって教えを説いたが、剃髪して妻帯していない出家者が肉食妻帯する在家の人々も平等に極楽浄土に往生できると説いても説得力がない。

肉食妻帯する在家のものには、親鸞が「女犯」に悩んだように破戒の負い目がある。出家の僧侶がいくら阿弥陀如来は出家、在家の別なく極楽往生を約束してくれていると説いても、超俗の出家者は救われるだろうが、肉食妻帯している在家のものがはたして救われるのだろうか、という疑問を持つ者も出てくる。そんな疑問を払拭するためには、自らが妻帯して在家と同じ立場で念仏を勧めるよりほかに手立てはない。

 

阿弥陀仏にすがって往生をめざす浄土真宗は、もともとの仏教よりもこちらのイメージする「宗教」に近い印象がある。多くの人はどこかで大いなる何かに救ってほしいという心性があり、その需要に浄土真宗はこたえていたのではないだろうか。

 

 

著者には仏教関連の多くの著書があるが、kindle unlimitedで読み放題になっている本はその時期によって違うので、入会を迷っているなら読み放題対象の本を確認してから決めたらいいかもしれない。

 

【書評】阿部拓児『アケメネス朝ペルシア 史上初の世界帝国』

 

 

読みやすくわかりやすいアケメネス朝史の概説。キュロスの建国からアレクサンドロスの東征による滅亡まで、アケメネス朝ペルシアの220年の興亡を王の列伝形式でつづっている。近年、ペルシア史研究者がペルシア語本来の発音に近い「ハカーマニシュ朝」という呼び方をすることがあるが、この本ではペルシア語風表記を用いず、読みやすさを優先して従来のギリシア語風表記を使っているので、違和感を感じることなく読みすすめることができる。

 

この本の特徴として、ただペルシア史を記述するだけでなく、「史料をどう読むか」も解説してくれる点があげられる。たとえば第二代大王カンビュセス2世は、ヘロドトスの『歴史』では「聖牛アビス事件」を引き起こしたと書かれているが、これが本当のことかを本書では検討している。『歴史』は、カンビュセスが聖牛アビスの顕現を喜ぶエジプト民衆の姿を、ヌビア遠征の失敗を喜んでいると勘違いし、聖牛に斬りかかったと記す。さらにカンビュセスは関係する祭司を鞭打ちにし、祭りを祝っていたエジプト人も殺害した。これでは狂気の暴君にしかみえない。

だが、著者はメンピスから出土した碑文の内容を引きつつ、ヘロドトスの記述を批判する。この碑文では、カンビュセスが亡くなったアビスのために立派な石棺をつくったと書かれている。これは明らかに『歴史』の記述と矛盾する。また、ウジャルホルレスネト碑文には、カンビュセスはかつてエジプト第二十六王朝に仕えていたウジャルホルレスネトの才能を見抜き、重用していたと書かれている。『歴史』には征服したエジプトの王墓を暴き、神殿を焼き払うカンビュセスの蛮行が書かれているが、実際にはカンビュセスは統治の移行をスムーズにするため、エジプト人に配慮している。『歴史』の記述のみに依拠してアケメネス朝史を語ることにはリスクがあり、可能な限りいくつもの史料を突き合せなければいけないことがよくわかる。

 

アケメネス朝ペルシアを語るうえで欠かせない史料に、ベヒストゥーン碑文がある。この碑文には、始祖アケメネスからダレイオス1世にいたるまでの家系図が描かれている。ところが、この「アケメネス」なる人物が創作された可能性があるという。実はアケメネス朝初代大王・キュロス自身が作成した碑文には、キュロスはテイスペスの子孫だと書かれているだけで、「アケメネス」の名は出てこない。このため、アケメネスはダレイオス1世の王位の正当性を主張するためにつくられた架空の人物だ、とも考えられる。

 

以上のように、王朝の名祖であるアケメネスがダレイオス1世の時代から登場してきたこともあり、「アケメネス朝」という名称は、ダレイオス以降のペルシア帝国にかぎって使用すべきで、キュロス・カンビュセスの帝国とダレイオスの帝国を分けて考えるほうがよいと主張する研究者もいる。この立場を厳格に守れば、ダレイオス1世は「アケメネス朝」ペルシア初代の王になる。(アケメネス朝からとくに区別してキュロス・カンビュセスの国家を指す場合には、「テイスペス朝」という呼称が用いられる)。さらにラディカルな説では、キュロスの帝国はテイスペス朝のエラム系国家であって、アケメネス家のペルシア人であるダレイオスはそれを乗っ取ったのだという。(p86-87)

 

史上有名なベヒストゥーン碑文も、その内容を鵜呑みにするわけにはいかない。この碑文はダレイオスの簒奪を正当化している可能性すらあるのである。少なくとも、ダレイオスが王位につく正当性はかなり貧弱だったようだ。こう見ていくと、アケメネス朝史上もっとも有名な「大王」のイメージも、少し違ったものになってくる。ダレイオス1世は「王の道」とよばれる交通インフラを整備したことで知られているが、これはキュロスとカンビュセスが征服した広大な国土を統治するため、必要不可欠なものだった。帝国内の行政機構の整備は「商売人」といわれるほど実務手腕に長けていたダレイオスの得意とすることではあったが、その手腕はかれが「正当な王」、つまりキュロスとカンビュセスの事業を受けついでいることをみせつけるために用いられたのかもしれない。ダレイオスがアケメネス朝の「始祖」だったとしても、かれはキュロスとカンビュセスの後継者でもあったのだろう。

【感想】火坂雅志『軒猿の月』

 

 

最近kindle unlimitedを使っているので、ここで読んだものの感想をいくつか。

 

軒猿の月』は火坂雅志作品としては異色の作品集になる。大河ドラマ化された『天地人』をはじめとして骨太な歴史小説を多数発表してきた著者だが、本作は歴史小説というより時代小説・伝奇小説の色合いが濃い。主人公は上杉氏に使えた忍び(軒猿)や傾奇者・木食上人など無名な人物が多く、有名人物は塚原卜伝くらいしかいない。これらの人物の目を通して描かれる戦国時代は厳しく、生きづらい。ハッピーエンドといえる作品はひとつもないが、それだけに英雄の目を通して描かれる世界とはまた違う味わいがある。

 

特に伝奇的な色合いが強いのが『家紋狩り』。太閤秀吉が菊桐紋の使用を禁じた「家紋狩り」に材をとった作品だが、作品後半で主人公が迷い込む熊野の奥地の村「皇子谷」にはみずからを南朝の貴族と信じる村人たちが住んでいる。この村には驚くべき奇習があり、主人公がほれ込んだ娘が危機にさらされる。閉ざされた世界の異常性と哀しさを存分に味わえる本作では、「伝奇作家」としての火坂雅志の腕前をかいま見ることができる。もしこの方向性に進んでいたなら、作者は山田風太郎隆慶一郎のような作家に成長していたのではないかと思うほどだ。

 

この短編集のベストはやはり8作目の『子守歌』だろう。かつて九鬼家に仕える武士だった灘兵衛はその身分を捨て、今は南紀の漁師として暮らしている。幼子を船に載せつつクエを釣りあげようと奮闘する灘兵衛は、不器用にしか生きられない自分を嘆きつつ、過去を回想する。愛妻と別れ、九鬼家を辞した理由がここで語られる。運命の理不尽さ、人の世のはかなさに打ちのめされる。それでも懸命に生きようとする灘兵衛に、さらなる過酷な一撃が待っている。これほど深い喪失感を味わえる作品はなかなか読めるものではない。これを読めただけでこの作品集を読んだ甲斐があると思えるほどの重みがある一作だった。

 

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火坂雅志の遺作となった『北条五代』では、北条家を陰から支える風魔一族と氏綱の出会いに絡んで氏綱と小太郎の妹のロマンスが描かれる一幕がある。史実のなかにフィクションを絡ませる、時代小説作家としての腕前が存分に発揮されたシーンである。この作者の一面を味わいたい読者には、『軒猿の月』は格好の作品集だ。

戦国時代に大進歩を遂げた京都のトイレ事情

 

 

前近代の都市は大体どこもそうだが、古代の京都もかなり不衛生な都市だった。『京都<千年の都>の歴史』では、平安京の路上の様子について以下のように紹介している。

 

10世紀後半成立の『落窪物語』に、雨降る闇夜に小路から大路に出た男主人公が、身分高きものの行列に出会い、控えろの叱声にしゃがんだところ、「屎のいと多かる上にかがま」ってしまう場面がある。平安京の街路の一部に糞便が溜まっていたことを伝える情報である。『今昔物語集』にも、「此の殿に候ふ女童の大路に屎まり居て候つるを」、あるいは「若き女の……築垣に向て南向に突居て(しゃがんで)尿をしければ」などとみえており、前述の桶洗のような「下賤」な従者の排便放尿は、邸外路上でおこなわれていたことがうかがえる。邸内の便所を使用するには、一定以上の身分と資格が要求されたのであろう。

 

古代の平安京では、路上がそのまま排泄の場になっていた。このため平安中期以降、路上の排泄物の掃除は検非違使の担当になった。検非違使は掃除夫を使い、路上に散乱する排泄物を片付け、貴人がケガレに汚染されないよう努めなくてはならなかった。

 

ところが、京都のこの衛生状態が、戦国期に大きく改善される。洛中洛外図屏風には町屋の共同便所や、路上の公衆便所が描かれている。これはルイス・フロイスの『日欧文化比較』における「われわれの便所は家の後の、人目につかない所にある。彼らのは、家の前にあって、すべての人に開放されている」という記述を裏書きするものでもある。慶長14年(1609)にはドン・ロドリゴが「かくの如く広大にして交通盛に、また街路及び家屋の清潔なる町々は世界のいずれの国に於ても見ることなきこと確実なり」と『日本見聞録』で書いている。かつて不潔だった京都は、世界でも珍しいくらい清潔な都市に変貌していた。

 

これはなぜだろうか。『京都<千年の都>の歴史』では理由として、人の屎尿が肥料として求められるようになったことをあげている。排泄物を肥料にするには肥溜めに貯蔵して熟成させる必要があり、その前提としてトイレを設置しなくてはならなくなる。

 

美食者の糞尿は粗食者より肥料効果が大きい。当然農村より生活水準の高い都市のものが歓迎される。京都近郊では野菜など畠作物への需要が大きいばかりか、良質の人糞尿確保という点でも有利な条件が存在した。菜園に人糞尿肥料を施すことは、端緒としては古代からあったが、近郊型農業への対応としての汲みとり式便所は、この時期の京都ではじめて本格的に成立する。

フロイスはまた、「われわれは糞尿を取り去る人に金を払う。日本ではそれを買い、米と金を支払う」「ヨーロッパでは馬の糞を菜園に投じ、人糞を塵芥捨場に投ずる。日本では馬糞を塵芥捨場に、人糞を菜園に投ずる」と述べているが、京都の町屋住民から買い取られた人糞は、肥溜で十分熟成の末、畠に投入されたのである。

 

フロイスの見た日本はヨーロッパとは逆に、人の排泄物を肥料として用いる国だった。この習慣が結果として都市を清潔にしただけでなく、都市近郊の農業を発展させることにつながる。京野菜の味が全国に知れわたっているのも、京都の「トイレ革命」が背景にあった。

 

京野菜のおいしさには定評がある。スグキ・タケノコ・聖護院大根・壬生菜・桂瓜・七条のセリ・九条ネギ・鹿ケ谷カボチャ……千枚漬けなど京漬物も全国ブランドである。京野菜の名声確立の前史には、京都に汲みとり式便所が普及し、並行して街頭排便の習慣が過去のものとなってゆく過程があった。