明晰夢工房

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逆立ちしてもかなわない才能に接した時、どうするか

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読んでいて、よくわかる部分と、よくわからない部分とがあった。

 

よくわかるのは、どうあがいてもかなわない本物の才能に打ちひしがれる、という部分。昔音楽をやっていたので、努力では超えられない壁を見せ付けられると、どうしようもない徒労感にに襲われるという経験は何度かしている。モーツァルトを前にしたサリエリの心境だ。実は小説という分野ではあまりそういう絶望を味わったことがないのだが、おそらくは読書経験が足りないのと、こちらは素人だからと開き直っているのでプロの凄さを見せつけられてもあまり動じない、ということなのだと思う。

 

一方、よくわからないのは、本物の才能に触れたので絶望して小説の執筆をやめてしまうという部分だ。努力では決して埋められない才能の差を見せつけられることが、書く事をやめる理由になるのだろうか。いかに自分より優れた作家が手の届かない高みに昇っていったとしても、それはそれとして、その人たちには書きたいことがあるのではないだろうか。仮にも作家としてデビューする能力を持ちながら、一人の天才の登場で筆を折ってしまうほど、書きたいという情熱はすぐに折れてしまうものなのだろうか?

 

お前は素人の立場だから好きなことが言えるのだ、と言われればそれまでである。しかし、自分より凄い人間がいるから心が折れると言われてしまうと、自分のような素人はプロの作品を読むたびに心を折られなくてはならないことになる。仮にもプロデビューしている人の作品が、素人の作品より優れているのは当たり前だからだ。努力してもおそらく叶わないだろう、と思う人は少なくない。むしろそんな人ばかりではないかとも思う。それでも書き続けられるのは、どうしても書きたいことがあるからというのがまず一つあるのだが、もう一つ「何も天才と競争しているわけじゃない」と考えているから、ということもある。

 

天才は天才という役割を天から割り振られていて、その役を演じているだけなのではないだろうか。天才一人だけでは演劇は成り立たない。天才作家以外にも流行作家や三文作家、官能作家や素人作家などの役割があり、皆がそれぞれのポジションを演じている。たまたま自分は天才作家の役を与えられなかっただけだ。素人は素人の役を全力でやればいい。天才が一人現れたところで、他の役が消えてなくなってしまうわけではないのだ。天才の登場に苦悩する凡才のストーリーだって読みたい人がいるではないか。上で紹介されている漫画がそうであるように。

 

所詮は素人の立場からの無責任な放言に過ぎないが、書くことへの情熱を絶やさないよう、今はそんなふうに考えている。