明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

変わりゆくはてなと「ネット原住民」

今日はこの記事を読んだ雑感などを。

anond.hatelabo.jp


2007年頃は今とは別のアカウントではてなダイアリーを書いていたので、当時の雰囲気はよく覚えている。あの頃よく話題になっていたのが承認欲求だとか、モテ非モテ論争だとか、性犯罪に対する自衛の問題だとかというもので(観測範囲がかなり偏っている感じがあるけれども)、「頭が良い」と言えるかどうかはともかく、今よりも確実に「濃い」印象があった。その「濃さ」の中身はあまりリアルでは口にできないような生身の情念によって形成されているもので、そういうものを読めるのがネットの醍醐味だと感じていた記憶がある。


この記事で書かれている「対立を煽る記事」は、確かに目立つ。個人ブログでそういう内容が目立つのは、まとめサイトの手法を個人も取り入れるようになったということだと思う。現状、まとめサイトのようなやり方は手っ取り早くアクセスを稼ぐのには最適で、個人ブログでもアクセスをお金に変えたい人は人の感情を振り回すような手法を用いるようになった。いつの時代でも喧嘩はネットの華だが、今や喧嘩すらもマネタイズの材料になってしまった印象がある。


まとめサイト以前のネットにだって、人をネガティブな気持ちにさせるような文章などいくらでもあった。ただそういうものはアクセスを集めるためにカスタマイズされたものではなく、ネットにしか居場所がないような人達が暗い情念をぶつけているという感じのもので、そこには加工されない生の感情表現があった。そういう「ネット原住民」のような人の文章は、確実に減っている。

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だからこういう感じの文書を見つけると、どこか引き込まれてしまう。(この文章自体は読まれるよう作りこまれたものかもしれないが、雰囲気的に「ネット原住民」的なものを感じる)


方向性はだいぶ違うのだが、こういう正にネットでしか読めないたぐいの文章を一番読めたのは、体感では2001年~2004年くらいまでだったように思う。この頃非常に惹かれていたブログがあり、そのブログでは孤独や生き辛さ等について、真摯な考察が加えられていた。単に好きなブログが読めた時期がその頃だったと言われればそれまでだが、ブログが台頭する以前のhtml日記には、そういった日記が多かったように思う。


今よく見かける、感情を煽るまとめサイトの手法というのは要するに、週刊誌などのマスコミの手法を応用したものである。煽るようなものではない人気ブログはグルメレポートだとか旅行記だとか、雑誌で読めるような無難なものが多い。ネットを読む側の大部分が普通の人だから、記事も大衆を動かす手法で書かれるようになる。結果として、ネット原住民の文章は埋もれて目立たなくなった。今考えると、2007年頃のはてながネット原住民の文章をたくさん観察できた最後の時代だったのかもしれない。