アメリカ社会の「最底辺」に位置するネイティブ・アメリカン
これは衝撃的な一冊だ。
居留地では社会への閉塞感からアルコール依存症に苦しむ人が少なくない。
失業率も高く、ナバホ族の37%は貧困線を下回る生活を送っている。
親族にドラッグを売る売人すら存在する。
他のどの人種よりも糖尿病に罹る人も多い。
ある先住民の居留地では5,6人に一人がギャングとなっている。
これが、アメリカの先住民だったネイティブ・アメリカン(インディアン)の現実なのだ。
自然との共生や精神世界の豊かさを強調されがちなネイティブ・アメリカンの直面している現実を、本書は真正面から描いている。
彼らの中でアルコール依存に陥る人は、インディアン寄宿舎学校に送られて虐待を受けた人が多いと言う。
トラウマを引き起こしたのは、強引な同化政策における暴力である。
アルコール依存の親がいるネイティブアメリカンの家庭では、子供が将来アルコール依存に陥る可能性が高くなる。
こうした負の連鎖が、今でも続いているのだ。
『ダンス・ウィズ・ウルブズ』では描かれないネイティブアメリカンの実態は、実質的にアメリカ社会の最底辺に位置していると著者は言う。
実際に、アメリカ合衆国で最も古くから生活してきた彼らは、近年増加しているヒスパニック系移民よりも、奴隷として連れてこられた人たちの子孫である黒人よりも、さらに高い割合で貧困層に属している。経済的にアメリカ社会の最底辺にいると言っても過言ではない。
アメリカに最も古くから住んでいた人達が、アメリカで最も恵まれない立場にいる。
不条理の極みのような話だが、これが現実だ。
なぜ、こんなことになってしまったのか?
その歴史的経緯についても、本書を読めば知ることができる。
先住民を全く考慮に入れていなかった「民主主義」
19世紀に入り、アメリカでは白人の西部への移住熱が高まっていた。
まだ見ぬフロンティアに多くの人が憧れを抱いていたのである。
「孤高の詩人」として有名だったヘンリー・デイビッド・ソローもまた、西部へ熱い視線を送り続けた一人だった。
西部に開拓者として住み続ければ、土地の所有権が認められる。
それはヨーロッパのような階級社会とは違い、万人にチャンスが認められた民主主義的な社会なのだ、と彼らは考えていたのだ。
しかし西部は無人の荒野ではない。
もともとそこにはネイティブアメリカンたちが住んでいたのだ。
西部で独立農園主となるアメリカンドリームは、ネイティブアメリカンの排除と表裏一体だった。
かくして、平民出身のアンドリャー・ジャクソン大統領は、1830年に「インディアン強制移住法」を制定することになる。
先住民はこの法律により、肥沃な土地を追われ、政府が一方的に決めた居住区へと追いやられた。
この移住の途中でクリーク族は1万5000人のうち、3500人が命を落とした。
こうした犠牲の上に成り立っていたのが、「ジャクソニアン・デモクラシー」だった。
白人の考える「民主主義社会」では、先住民の権利など認められていなかった。
やがてカリフォルニアで金鉱が発見されると西部への移住熱はさらに加速し、先住民は居場所を奪われ続けることになる。
「良いインディアンは死んだインディアンだけ」
そのようなネイティブアメリカンへの迫害の中で生まれたのが、この言葉である。
これは先住民との戦争で名を上げたフィリップ・シェリダンの言ったことだ。
バッファローを殺し尽くし、先住民の生活基盤を根こそぎ破壊したこの将軍からすれば、先住民は死ぬことでしか白人の国家建設に協力することはできなかったということだ。
もちろん、こうした白人の行為に対しては激しい抵抗運動が展開された。
一方、白人に協力する先住民も存在した。
ジョージ・カスター将軍の偵察兵として功績を上げた先住民に、ブラディ・ナイフと言う若者がいる。
アメリカ先住民社会では珍しい農耕部族の民だった彼は、父方の狩猟部族の社会で虐めを受けていた。
彼の二人の兄弟は、父方の部族の若者に暴行されて殺されている。
この部族同士の対立が、ブラディ・ナイフを白人の協力者に変えた。
彼は復讐のために、部族社会の裏切り者の汚名を着る道を選んだのだ。
彼が協力したカスター将軍は後にリトル・ビッグホーンの戦いで戦死し、後にブラディ・ナイフもまた戦死している。
彼は白人の協力者として、「良いインディアン」になることができたのだろうか。
ニューメキシコ州に住んでいる子孫は、今でもブラディ・ナイフのことを誇りに思っているという。
先住民を苦しめる同化政策
この後、先住民に待っていたのはアメリカの強引な同化政策だった。
寄宿舎に入れられた先住民の子どもたちは徹底して英語を叩き込まれ、聖書以外の本を読むと独房に連れて行かれた。
寄宿舎では暴力と虐待が横行し、部族の言葉を話すと口に洗剤を入れられて「悪魔の言葉を話す吐く口」と罵倒された上で洗われた先住民もいたという。
このような教育は多くのネイティブアメリカンに深刻なトラウマを植え付け、80歳を超えた今もなお悪夢に苦しめられる人もいる。
先に述べたように、このような苦しみから逃れるためアルコール依存に陥る人も出てくる。
こうした苦痛は時に家庭内暴力となって噴出し、暴力はさらに弱い者へと向けられる。
暴力の連鎖が止まらなくなってしまう。
ネイティブアメリカンの文化を全否定した同化政策は、今でも先住民の生活に影を落としているのだ。
政治的正しさの必要性について考えさせられる
トランプが大統領に選ばれた理由として、「ポリコレ棒」が行き過ぎた結果だと指摘する声があった。
その分析が正しいのかどうかはわからない。
だが自分は本書を読んでいて、このような過去を背負っている国ならマイノリティへの差別に厳しい政策を取るのもやむを得ないのではないか、と思うようになった。
政治的正しさについての是非は議論されなくてはいけないのだろうが、どんな考えにもそれが生まれるだけの理由というものがある。
本書では政治的正しさについては一言も触れていないが、これを読めばなぜそういうものが必要とされてきたのか、ということも見えてくる。
アメリカにおけるマイノリティは移民だけではない。
苦境に立たされているネイティブアメリカンの現状を見ることで、初めて立ち現れてくるアメリカがある。