明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

最近、ブログばかり書いてしまう。

今となってはほとんど知る人もいないだろうが、このブログはもともと創作について思うことや小説を書く上での心構えなどをメモするところだった。

別に小説をやめたわけではないので、今でも時折そういうことを書くこともある。

しかし最近は創作の話などよりも、最近読んだ本や漫画について書くことが多くなっている。

 

どうしてか?と言われれば、おそらくは創作の話などよりもそのほうが読まれるだろうと思ってしまうからだ。

もちろん、読まれそうなことを書くのは何も悪いことではないし、今だって何も自分を殺しながら書いているわけではない。

たくさんある書きたいことの中から、反応がありそうだと思えるものを優先して書いているということだ。

人に見せる記事なのだから、どうせなら読まれたほうがいい。

反応はないよりあった方がいいに決まっているのだ。

 

しかし、こういうことを意識して記事を書くようになってきたのも、やはりどこかで「読まれない文章に価値はない」と考えてしまっているからなのだろうなあ、と思っている。

ブクマ数やPV数で記事の価値が決まるわけではないように、ウェブ小説だってたくさん読まれているものほど価値が高い、というわけではないかもしれない。

しかし、大して反応をもらえなければモチベーションが落ちるというのも事実だ。

だからこそ、人は反応をもらえるようなことを書きたがる。

このブログを始めた頃はPV数や収入の報告記事をあまり良く思っていなかったが、今ではそういう記事を書く側の気持ちも多少はわかるつもりだ。

結局、そういう記事には需要があるからだ。

需要があるからには書けば誰かの役に立てるし、貢献感を持てると言う意味でも需要を考えて書くというのは大事だ。

 

「一切反応をもらえなくても、一円にもならなくても書きたいことが本当にその人の書きたいことだ。そういう内なる衝動に従うべきだ」といった考えがわからないわけではない。

書きたいという気持こそが大事なのであって、他人からの評価なんてどうでもいいじゃないですか?と言う人もいる。

しかしブログにしろ小説にしろ、こうした内的衝動だけで走り続けることができるものではないのではないか、と言う考えに今は傾きつつある。

やはり何らかの反応があり、手応えが得られるというのは大事だ。

どのボタンを押し、どんなコマンドを入れてもキャラが動かず見える世界が何も変わらないゲームを進んで遊びたい人はいないだろう。

 

最近ブログをよく書くようになったのも、どうやら自分にとっては小説よりもブログのほうが反応が得られやすいゲームらしい、ということがわかってきたからだ。

これはあくまで現時点の話なので、将来的にはどうなるかはわからない。

反応が欲しければ反応がもらえるように書かなければいけないのだが、読んでもらえる小説を書くのはつくづく難しいものだな、と今は感じている。

誰も暇ではないのだから、よほど上手く気を引かなければ文字だらけの素人の物語なんて読まれはしない。

 

人を煽るようなエントリばかり書くブログについても、それがいいことだとは全然思わないものの、そうする人の気持ちもわかるような気がする。

その人は、それが一番反応を得られる方法だと信じているのだ。

真面目な記事を書いても大して反応を得られなかった人が、煽ったら叩きであれ反応してもらえたとしたら、それを成功パターンとして学習してしまうのではないだろうか。

だとすると、人を煽るエントリは相手にせず、煽る人を成功させない心構えが読む側には求められているのかもしれない。

それができない限り、炎上は何度でも繰り返される。

 

いずれにせよ、どんなジャンルであれ、やはり読者受けというものは無視できないということを身に沁みて感じている。

これから先、湧き上がる衝動にただ突き動かされるような、内的欲求に身を任せるような文章を書くことはできるだろうか。

読者の方ばかり見ていると、今度は逆にそういうことがしたくなるのかもしれない。

 

ただ、それはその時の話だ。

今後しばらくは、読まれる記事とはどういうものなのか?ということを頭の隅に置きつつ記事を書くことになるのではないかと思う。

趣味であれ小説を手がける者としては、「面白いとはどういうことか?」ということから逃げることはできない、と思うからだ。

 

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