明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

平井堅『ノンフィクション』を聴いた

スポンサーリンク

 

優しいというのはこういうことではないか、と思った。


平井堅という人は僕の中ではラブソングの人、というくらいの雑なイメージしかなかったが、この曲でそのイメージは大いに修正された。自ら命を絶った友人のために作った曲らしい。

それだけに内容は重い。しかし、良い。
何が良いと言って、この歌は人間のネガティブな部分も含めて全肯定したい、という意志にあふれているからだ。



一時期、自己啓発書を読みふけっていた時期があった。
それらの本には気持ちを常にポジティブに保っておくことが大事であるとか、プラス思考で考えよだとか、同じ出来事でもそれに明るい意味付けをするようにせよ、といったことがよく書かれていた。


それらも時には大事なことなのだろうし、全否定する気もないが、こうした本は読めば読むほどに違和感が募っていった。なぜ、ここまで人間の負の部分を拒否するのだろう?ネガティブな部分を心の中から完全に追い出せという、ある種の強迫観念にも似たこの押し付けがましさは何なのだろうか?という気持ちばかりが強くなり、いつしかこの手の本は全く読まなくなった。



僕が成功本の類にどこか苦手意識があるのは、「キラキラしていなければ本当の人生ではない」と言った価値観があの種の本の根底にあるからだ。今あなたの人生がうまく行っていないのであれば、この本を読んで自分を変えましょう。本来あるべき栄光を手に入れましょう。そういったメッセージを刷り込まれる。輝いていない今のあなたはダメなんですよ、という前提がそこにはある。



「ノンフィクション」から流れてくるのは、これとは真逆のメッセージだ。成功が全てなのか?といきなり切り込んでくるのだから。描いた夢はかなわないことのほうが多い。それが現実だ。ならば成功を請け負おうとする人々は誇大宣伝をしているのだ。この歌を聴いていると、その手の本を読むよりも、この歌のように「みすぼらしくても欲まみれでも、ただ貴方に会いたいだけ」といったメッセージのほうがよほど大事なのではないか?と思えてくる。成功している自分、ポジティブな自分を手に入れるため努力するということは反面、そうしたネガティブな部分は切り捨てるということでもあるからだ。負の部分も含めて一人の人間であるはずなのに、そこを否定することがほんとうの意味でポジティブだと言えるのか。


自己啓発書に代わり、時おり仏教関係の本を読むようになった。仏教は根本に「人生は苦だ」という見方がある。これが合うかどうかは人によるが、僕なんかはこの価値観だと世の中への期待値が下がってかえって生きやすくなるようなところがある。とにかくこちらを変えてくるよう求められる成功哲学の類よりも、まずは負の部分もひっくるめて自分を認めてしまったほうが楽だ。


とはいえ、100%自分で自分を肯定していくのには限界がある。そういうときに支えになったりするのが文学や音楽の力だ。醜くても正しくなくてもいい、というこの曲のメッセージは、今の自分を受け入れられない人には大いに救いとなるメセージではないだろうか。