明晰夢工房

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佐藤賢一『フランス革命の肖像』におけるルイ16世の評価について

 

フランス革命の肖像 (集英社新書ヴィジュアル版)

フランス革命の肖像 (集英社新書ヴィジュアル版)

 

 

「男は40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持たなくてはいけない」などと言われるが、確かにある年齢をすぎるとその人の生きてきた痕跡のようなものが顔面にもにじみ出るものである。それならば、人物評においてもまずその人物の外見を知ることが欠かせないのかもしれない。

というわけで、本書『フランス革命の肖像』ではフランス革命の群雄の肖像画を並べ、各人の容姿にも言及しながら人物評をおこなっている。こうして見ると「革命のライオン」ミラボーは魁偉な容貌でいかにもエネルギーに満ちているように思われるし、対してデムーランなどは自信なさげで未熟な第三身分を象徴しているようにもみえる。ロベスピエールを追い落とし総裁政府を牛耳ったバラスなどいかにも食えない男という顔をしている。

 

しかし、この肖像画というものが必ずしも信用ならない。絵画には画家の「この人物をこう見せたい」という意志が反映されるからだ。実際、ルイ16世などは、ヴァレンヌ事件を起こして以来の肖像画ではいかにも愚鈍そうに描かれる。これでは国民に愛想を尽かされても仕方がない、という印象になるのだ。

しかし革命前の肖像画を見ると、その印象は一変する。ルイ16世と知らずにこれを見れば、どこの名君なのかと錯覚しそうになる。美男とは言えないが、実際ルイ16世はそれなりに立派な体躯の持ち主であったようだ。そして彼の政治も必ずしも悪いものだったとは言えない。佐藤賢一氏は本書でルイ16世をこう評している。

 

みかけ倒しというのでもなく、その中身を問うても、ルイ16世は平均点を上回る王だった。真面目な性格で、機転より熟考の嫌いが強いとはいえ、博識で頭脳明晰だったと伝えられる。考え方は進歩的でさえあり、事実アメリカ独立戦争を応援したり、特権身分への課税を試みたり、あげくが全国三部会を召集したりと、かなり「革命的」な施政なのである。(中略)政治の実権は王が持つ、これだけは譲れないが、あとは最大限に人民のためを図るとしており、オーストリアプロイセンに例を見るような啓蒙専制君主の線でなら、なかなかの名君になれたかもしれない。

 

結局、ルイ16世がどこか間抜けな王に見えてしまうのは、亡命に失敗し、革命勢力に処刑されたという結果から彼を評価してしまうからなのだ。結果や世評に引きずられずに公平な目で人物を評価することが、歴史家や歴史作家には求められる。その意味で、佐藤氏はルイ16世を評するにふさわしい書き手であるように思う。

 

ルイ16世アメリカ独立戦争を支援したために財政危機を招いてしまい、それがフランス革命の一因となったことは否めない。そのことは本書でも指摘されている。しかし、処刑されなければいけないほどの咎が、彼にあったといえるのだろうか。先日「成功するかどうかは運で決まる」というエントリが話題になっていたが、ルイ16世が処刑されなければいけない原因があったとすれば、それは民主化の機運が盛り上がる難しい時期にフランスの王座を担わなくてはならなかった不運にあるのかもしれない。