明晰夢工房

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直木賞候補作家・上田早夕里の『夢みる葦笛』はSF初心者にもおすすめできる短編集

 

夢みる葦笛

夢みる葦笛

 

 

上田早夕里『破滅の王』が第159回直木賞の候補に選ばれた。こちらは歴史小説だが、最近SFが読みたい気分だったので同じ作者の『夢みる葦笛』を先に読んでみた。これはSF短編集だが、『破滅の王』に出てくる上海自然科学研究所を取り上げている作品もあるので、こちらを先に読んだ人も興味深く読めるのではないかと思う。

 

私はSFに関しては「雰囲気だけかじりたい」という読者で、自然科学には暗い。ある程度その方面に興味は持っていても、科学の素養が必要とされるようなハードSFを読んだりしてもよくわからない。この『夢みる葦笛』は、そういう読者でもすんなりと読め、かつ文学的な味わいも楽しめる短編集に仕上がっている。かといってSF色が薄いわけではなく、取り上げられているネタはメタンを餌にする地球外生物人工知能を搭載した猫、滅びつつある地上の文明……などなど、SF心をくすぐるものばかりだ。前半の作品は伝奇色の強いものもあるので、ホラー好きな読者も楽しめる。

 

以下はそれぞれの作品についての短評。

 

『夢みる葦笛』:人間よりはるかに優れた歌唱能力を持つ生物「イソア」が繁殖する未来。主人公の友人はイソアの能力に惹かれていき、やがてある決定的な選択をするが、これもミュージシャンとしては「幸せな結末」といえるだろうか。ストーリーはまったく違うが、芥川龍之介地獄変』を思い出した。

 

『眼神』:SF風伝記といった趣の作品。主人公の幼馴染は「マナガミ様」の託宣を伝える能力を持っているが、実はマナガミ様の正体は……という話。ぞくりとする読後感が残るので夏に読みたい。

 

『完全なる脳髄』:「シム」と呼ばれる認識機能を制限された主人公が完全な人間になることを求めるストーリー。主人公が「シム」になった背景がおぞましい。ここでは人間の暗部が強調されている。完全な心を手に入れることは、果たして幸せだろうか。

 

『石繭』:ホラー掌編。たとえ子供を残せなくても、このような形で「自分」を受け継いでもらえるなら、それもひとつの幸せの形といえるだろうか。

 

『氷波』:土星の衛星で活動する人工知性が主人公。土星の環でサーフィンをするという美しい場面がイメージとして湧き上がる。感情を持たない人工知性しか出てこないのに、全作品中もっともリリカルに感じられる。悲劇的な作品が多い中、明るく締められているのも印象に残る。

 

『滑車の地』:地下都市が地上に投棄する廃棄物がつくった「冥海」から這い上がってくる泥棲生物と戦い続ける地上の人類、という設定だけでもう100点。この絶望しかない世界に現れた獣人の少女が最後にとった行動とは何か?悲劇的状況の中でも最後まで希望を手放さない人間の奮闘ぶりが心地よい。

 

『プテロス』:地球からはるか遠い星に生息する不思議な浮遊生物プテロスの観察日誌。ノンフィクション風味でもあり、見知らぬ生き物の生態はそれを記すだけでドラマになるということを教えてくれる。

 

『楽園』:恋人一歩手前くらいまでの仲になった故人女性の電子データを仮想人格として保持し続ける主人公。彼は彼女と身も心も一つになるため、ある一つの選択をする。生物学的には生きていなくても、このような形で故人を生きていると感じられるなら、それもひとつの「楽園」か。この短編は『SF JACK』にも収録されている。

 

 

 

『上海フランス租界祁斉路320号』:『破滅の王』でも取り上げられている上海自然科学研究所の研究者が主人公。主人公は実在の人物で、史実通りであれば主人公の未来は暗いが、この世界は実は──という話。シュタインズゲートが好きな人なら特に気に入りそうなストーリーだ。

 

『アステロイド・ツリーの彼方へ』:小惑星探査機を操縦する主人公と人工知能を搭載した猫との交流を綴る。この猫にはある秘密があるが、こういうものを作るのがマッドサイエンティストの面目躍如というところ。こういう存在を果たして生物と呼びうるか、それはひとえに人間の側にかかっているという問題意識が『楽園』とも共通している。