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魏志倭人伝は日本を褒める根拠となり得るのか?という話

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百田尚樹氏の『日本国紀』の内容があちこちで話題になっていますが、上記のまとめを読んで気になったことは、この本が魏志倭人伝の記述を用いて日本人を褒めているという点です。

 

倭国伝 全訳注 中国正史に描かれた日本 (講談社学術文庫)

倭国伝 全訳注 中国正史に描かれた日本 (講談社学術文庫)

 

 

魏志倭人伝には、確かに倭人を褒めている記述が多く見られます。『倭国伝』のなかの魏志倭人伝の部分の和訳から引用すると、「倭人の風俗には節度がある」「女性はつつましやかで焼きもちを焼かない」「追いはぎやこそ泥がなく、争いごとも少ない」と、魏志倭人伝はかなり倭人に対して好意的です。人びとは立派な家に住んでいて、租税制度も確立しているなど、かなり文明的にすら思える倭人の姿が、ここには書かれているのです。

 

魏志倭人伝の謎を解く - 三国志から見る邪馬台国 (中公新書)

魏志倭人伝の謎を解く - 三国志から見る邪馬台国 (中公新書)

 

 

ここで問題なのは、これらの記述を本当に信じていいのか?ということです。東洋史家の渡邉義浩氏は『魏志倭人伝の謎を解く──三国志から見る邪馬台国』のなかで、こうした倭人伝の記述に対して史料批判を行いつつ、邪馬台国の真の姿を描き出そうとしています。ご存知のとおり、魏志倭人伝は『三国志』の一部です。この倭人伝の記述が正しいかどうかを検討するには、まず『三国志』の成立事情を知る必要がある、というのが渡邉氏の主張です。当時の国際関係や『三国志』著者の陳寿の置かれた立場を考えると、こうした倭人伝の記述はあくまで儒教の理念上の邪馬台国の姿であるというのが渡辺氏の結論です。

 

陳寿はもともとは蜀に仕えていた人物ですが、蜀が滅びたあとは普に仕えています。『三国志』は普の時代に書かれていますが、普の皇室は司馬氏であるため、司馬氏を賛美するという政治的都合のために書かれている部分が多く見られます。たとえば、司馬昭による曹魏の簒奪を防ぐため兵を挙げた諸葛誕を「志の曲がった者」と評価している点などです。本来忠臣と評価されてしかるべき諸葛誕を貶めるのは、現皇室である司馬氏への遠慮があるためです。

 

魏志倭人伝倭人を高く評価しているのも、このような司馬氏への賛美と関係があります。普の初代皇帝は司馬炎ですが、実質的な創業者は司馬炎の祖父の司馬懿です。司馬懿の代表的な功績として、遼東の独立政権だった公孫氏を滅ぼしたことがあげられますが、司馬懿が公孫氏を滅ぼしたことで、倭人が遼東を経由して魏に朝貢することが可能になりました。中華思想では周辺の異民族が朝貢してくることが皇帝に徳があるという証拠になるので、倭人朝貢を実現させた司馬懿の功績は、たいへん大きなものだということになります。

 

魏の時代に朝貢してきたのは倭人だけではありません。実は、西方の大国である大月氏国(クシャーナ朝)もまた、魏に朝貢しています。しかし、『三国志』には西戎伝は存在せず、このことが書かれていません。それは、大月氏国の朝貢を実現したのが司馬氏のライバルとなる曹一族の曹真だからです。司馬懿の功績が曹真に匹敵するものであるということにするためには、遠方からわざわざ朝貢してきた倭国は礼儀の備わった、立派な国でなければいけないことになります。そのために、「東夷」である倭人儒教の世界観を利用し、礼儀正しい人びとだったと記述されることになります。

 

 東夷伝の序は、『春秋左氏伝』を典拠とする次のような記述で終わる。

これらは夷狄の邦ではあるが、俎豆の具体像が残っている。(孔子は)「中国に礼が失われた時に、これを四方の夷狄に求めるということだが、(それは)やはり本当である」と言った。それゆえこれらの国々を順番に記述し、それぞれ異なった点を列挙して、これまでの史書に欠けているところを補っていこう。

 

魏志倭人伝の謎を解く』で引用されているこの箇所に見るように、倭人伝は孔子の「中国の礼が周辺の夷狄に伝わっている」という考えに基づいて書かれています。この本では倭人伝に出てくる風俗の多くは儒教の書物に書かれているものであるということが指摘されていますが、それはあくまで倭人伝に描かれる倭人の姿が「あるべき夷狄」のそれであるということを示しています。魏志倭人伝は後世の日本人のためにありのままの倭人の姿を記したものではなく、司馬懿の賛美という政治的都合のために書かれているということです。このことは、東夷伝の他の地域の記述と比較してみると、よりはっきりしてきます。たとえば、東夷伝の韓の条にはこのような記述があります。

 

かれらのうち北部の(楽浪や帯方)郡に近い国々の者たちは、いささか礼儀やならわしをわきまえているが、郡から遠く離れたところに住む者たちは、まったく囚徒や奴婢が集まっているような状態である。

 

日本よりも中国に近く、それだけ中国の礼が伝わっているはずの韓の風俗が倭よりも野蛮であるというのは、やはり不自然です。どうやら韓族は当時中国との関係が悪化していたため悪く書かれていたようなのですが、であれば魏に朝貢してきた倭人が良く書かれるのも当然だということになります。以上見てきたとおり、魏志倭人伝の内容はとうていそのまま受け取っていいようなものではありません。陳寿の政治的都合や儒教の倫理観などの何重ものフィルターがかかった倭人伝の文章は、日本を褒める根拠とするにはかなり心もとないものであると言わざるを得ないのです。

 

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わずか2000文字程度にすぎない魏志倭人伝の内容ですら、内容を検討するには新書一冊の分量が必要になります。日本史の全時代について、一人の人間が裏付けとなる史料の正しさを検討し、通史を書き上げるのはかなりの困難が予想されます。このため歴史教科書は各時代の専門家の共同執筆となっていますし、日本史の概説書も専門家がそれぞれが専門とする時代について書いているのです。学問的な正しさを期待するなら、まずはこうした専門家の手になる日本史の概説書を読むことが無難な選択ではないかと思います。