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『王様ランキング』を傑作たらしめているのは「才能を見つけてもらえない不安」

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王様ランキング 1 (ビームコミックス)

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王様ランキング 2 (ビームコミックス)

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これはまぎれもない傑作。でも、こちらの作者インタビューを読んでから再読してみると、この物語の新たな一面がみえてくるように思います。

 

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『王様ランキング』はあらすじに書いてある通り、「耳が聞こえず非力な王子が、多くの人と出会い成長していく物語」です。しかし、上記の十日草輔さんへのインタビューを読んだあとでは、この物語はクリエイター志望者にとってのひとつの理想を描いたものなのではないかと思えてきました。

十日草輔さんは、上記のインタビューでこう答えています。

 

そのときも不安でしたけど、今でも不安はありますよ。ずっと不安です。(投稿サイトなので)お金も入ってこないし。たぶん僕だけじゃなくて、何かを作っている人というのは、ずっと不安だと思います。だから、今は本当にいい時代だなと思って。ずっと続けていれば、誰かが見つけてくれるから。その「ずっと続ける」というのがなかなか難しいんでしょうけど、僕の場合は、一度挫折して普通に働いたというのが、遠回りのようで、実は近道だった。仕事で企画を作りながら、「相手の気持ちを考える」ということにも気づけたし。 

 

これはまったくその通りで、クリエイター志望者というのはつねに不安を抱えています。自分には才能なんてないのではないか、このまま作品を作り続けていても、誰も読んでくれないのではないか。とうていプロになんてなれないのではないか──という、多くのネガティブな感情に囚われます。実際十日さんは、インタビュー中で鳴かず飛ばずだった日々の不安についても語っています。

 

ただ、一人で描いているから、ずっと不安でした。今でこそ、いろんな人が話題にしてくれていますけど、話題になる前は本当に怖くて、不安に押しつぶされそうな中で描いていました。だから(話題になる前の時期に)コメントをしてくれた人がいると、本当に涙が出るほどうれしかった。

 

こういうとき、なによりも必要なのは、そばにいて絶対的に自分の才能を信じてくれる存在でしょう。いくら自分で自分には才能があると思っていても、それは独りよがりな思い込みでしかないかもしれない。だからやはり、他者からの支えが必要なのです。

 

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そんな不安と隣り合わせのクリエイター志望者にとってまさに理想の存在なのがカゲです。耳が聴こえず、言葉も話せないボッジの才能を信じ、陰日向なく支え続ける暗殺者一族のカゲ。「続けていれば、誰かが見つけてくれる」とは言うものの、誰かが見つけてくれるまでに心が折れてしまっては創作活動は続けられない。でも、まずカゲのような存在に見つけてもらえ、才能を信じてもらえれば、人は創作を続けることができます。

 

史記列伝 全5冊 (岩波文庫)

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ボッジとカゲの友情は、史記の有名なエピソード「管鮑の交わり」をも思い起こさせます。不遇な時代の管仲を支え続け、いくら失敗しても決して彼を見捨てなかった鮑叔がいなければ、管仲は斉の名臣にはなれず、桓公を覇者の座に押し上げることもできなかった。今脚光を浴びている人を褒めることは誰にでもできます。皆にバカにされているボッジのような存在を認められるカゲこそが偉い。不遇な時に得られる友こそが本当の友なのです。

 

しかし、自分の才能さえ信じることができればそれで十分なのか?というと、そういうわけではありません。カゲは徹底してボッジの味方になってくれるけれど、ボッジの能力を最大限に活かす方法まで教えてくれるわけではない。クリエイター志望者には、自分のどこが優れているかを正確に見抜き、その能力を活かせるよう導いてくれるメンター的な存在が必要です。『王様ランキング』においては、デスパーがその役割を果たしています。

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このシーンで、デスパーが「まず自分に合う武器を見つけなさい」といっているのは象徴的です。自分のどこが優れていて、どこを売りにするべきなのか、はクリエイター志望者が世に出るために頭を悩ませるところですが、デスパーは非力なボッジ王子のためにみごとに最適な武器を見つけ出してくれます。こういう指導者こそ、クリエイター志望者が求めてやまないものでしょう。

 

『王様ランキング』の人間観と作者の経験

 

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そしてデスパーは、『王様ランキング』の人間観の要となる、重要な台詞を言っています。それがこの「欠けているものこそが未来を切り開く力となる」というものです。これは、十日草輔さん自身の経験ともぴったりと符合するものです。十日さんはインタビュー中でこのように語っています。

 

僕らの親の世代の価値観はそうですよね。今の若い親はマンガで育ってきてるからそんなことないと思いますけど。うちは「ドラえもん」を見ることも禁止されてました。だから人からマンガを読ませてもらったり、マンガを描くということにずっとコンプレックスがあったんです。「こういうのを読んじゃいけない」というのを言われ続けてきたから。でもずっとマンガを描きたいという思いがあって、それでやっと描けたのが20歳のときなんです。

──「マンガを読んじゃいけない」というコンプレックスを乗り越えて、やっとマンガを描いて、でも挫折してマンガから離れて、そして40代になって再びマンガに戻ってきたというのは、ちょっとドラマティックですね。しかもその作品が多くの人の心を打っているという。

「王様ランキング」で僕は勇気を描いてますけど、僕の年齢で新しいチャレンジしていることで勇気を持ってくれる人も、もしかしたらいるかもしれない。そんなこと思うと嬉しくてたまらなくなります。

 

十日さんは親からマンガを禁止されていたためにマンガを描き始めるのが遅く、43歳にしてようやく『王様ランキング』が脚光を浴びました。しかし、遅咲きだからこそ、もう若くなくてもこれからなにかに挑戦しようとしている人の力になれる。これはまさに「欠けているものこそが力になる」というデスパーの台詞そのものです。

 

また、この作品におけるシンプルながら深みのあるキャラクター描写も、多くの社会経験を積んだ40代という年齢だからこそ可能になったものでしょう。『王様ランキング』には、テンプレ的なキャラクターが誰一人として出てきません。これもまた、この漫画を描き始めるまでに遠回りしたからこそ可能になったものです。一見マイナスに見えることが、実はプラスでもある。この価値観が、『王様ランキング』の通奏低音をなしています。

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四天王の一人アピスも、「繊細だからこそ他人の痛みがわかる」というキャラクターに設定されています。これもまた、「欠けているものが力になる」という 価値観の一つの現われです。

 

ボッジが得ているものとは何なのか

では、主人公であるボッジが耳も聴こえず、言葉も話せず非力である代わりに得ているものとは何か。表面的に見れば、それは優れた動体視力であるといえます。耳が聴こえないので唇を読む必要があり、そのために「見る力」が鍛えられる。加えてミツマタの指導を受けたこともあり、ボッジの「避ける力」は誰よりも優れたものになりました。これは確かにボッジが「欠けているがゆえに得ているもの」です。

 

しかし、ボッジにとっての本当の宝とは、カゲのような仲間ではないかと思います。一人では何もできないからこそカゲは「俺がこいつの味方になってやらなければ」と思ったのだし、ボッジも普段は周りから侮られているからこそ、カゲのような存在を人一倍大事にすることができます。王者はただ強いだけでなく、人徳も身につけていなくてはならない。非力であるがゆえに得たこの力は、王としては貴重なものです。ダイダはボッジよりも力は優れており、そのためにドーマスのように熱心な支持者も得ているのですが、ダイダは人を従わせるタイプの王者であって、ボッジのように支えてやりたくなるようなタイプではありません。ダイダは資質に欠けるところがないため、かえってカゲのような仲間は得られないともいえます。

 

人の価値はスペックでは測れない

 

ふたたび上記のインタビューから引用します。

 

目が見えない人の話(64話)は、ちょっと説教くさいかなとも思ったんですが、基本的に僕は弱者とか強者とか、勝ち組とか負け組とか、そういうことを考えること自体が嫌いなんです。そんなもんないだろうと。

 

何かを失っているだけ、得ているものがある。この人間観は、十日さんのこういう価値観から出てきているもののようです。確かに、人の個々の能力には優劣がある。ボッジはどうあがいても非力で、ダイダと正面から打ち合えば叩きのめされてしまう。しかし針のような剣で神経を刺激し、その気になれば一瞬で相手の命を奪う力も手に入れています。そのうえカゲのような無二の親友まで得ているボッジの人生がダイダのそれより貧しいとは、決して言えません。

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ではダイダがボッジよりも劣る存在かというと、そう単純でもない。ダイダは鏡の助言には従わず、何年かかっても自力で最高の王になろうと努力しています。ダイダもやはりボッス王の優れた資質を受け継いでおり、王者となる資格を持っているのです。人間的にもただボッジを叩きのめすだけの嫌なヤツではなく、闇の世界に閉じ込められたミランジョを助けようとする優しさも持ち合わせています。

 

つまり、ボッジとダイダのいずれかが強者であり、弱者というわけではないのです。両者は能力の差はあっても、人間としての価値はあくまでも対等、という描き方になっているように思えます。王国最強の戦士であり究極の「勝ち組」ともいえるボッス王も、実は心に大きな闇を抱えていて、ダイダの身体を乗っ取ってまでこの世界に復活を果たす、という大きなマイナス面を持っています。

一見弱者のように見えるボッジの持つ強さとともに、最強の王に思えるボッスの弱さもまた、この物語は描いています。失った分だけ得ているものがあるとするなら、得た分だけ失っているものもまた、ある。ここでもやはり、人間は対等なのだという価値観が貫かれています。それは綺麗事かもしれません。ですが、フィクションの世界ですら綺麗事が言えなくなったらおしまいです。

 

どんなキャラクターにも光を当てる姿勢

 

先に、クリエイターは自分の才能を見つけてもらえず、埋もれてしまうという大きな不安を抱えていると書きました。ところで、クリエイターとは作品世界における創造主です。自分が神であるからには、自らの作り出すキャラクターの魅力を自らが「見つける」側になります。『王様ランキング』のキャラクター造形が優れているのは、先に挙げた「人はみな対等」という作者の価値観に加えて、十日さんが「このキャラの魅力を見つけてあげたい」という気持ちで描いているからではないかと想像しています。自分自身が見つけてもらうことを希求しているのだから、創造主の立場に立ったら登場を待っているキャラクター達の魅力に光を当ててやりたいはず。そしてその光は、すべてのキャラクターの上にあまねく降り注いでいます。

 

もちろんマンガである以上、『王様ランキング』にも主役級のキャラクターとそうでないものの違いは存在します。それでも、どのキャラクターも魅力的に描き分けられていて、テンプレ的な人物は一人として出てきません。一見ヒステリックな母親に見えるヒリングが実はとても優しい人だったり、ボッジを殺めようとしていたドーマスにも臣下としての良心が残っていたりするなど、ほとんどのキャラクターはどこかに見どころがあります。

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ベビンがダイダに「国民に希望をもたらす王になってほしい」と願っているのと同様、作品世界の神である作者もまた、登場するキャラクター達の魅力を発見し、彼らに希望をもたらす存在でなくてはならない。だからこそ、ただのモブキャラでしかない目の見えない男すらも魅力的に描くことができ、物語の中で大きな存在感を与えることができているのではないかと思います。このように、クリエイター志望者としての、このまま誰にも見つけてもらえないのではないかという大きな不安こそが、『王様ランキング』を魅力的な作品たらしめている大きな要因ではないかと考えます。

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現実の世界では、才能のある人間が必ずその力を見出してもらえるわけではありません。ゴッホの才能は現代人の目から見ればあまりにも明らかですが、かれは生前、たった一枚しか絵を売ることができませんでした。現代はネットの普及によって漫画や小説の投稿サイトが多数でき、才能が見つかりやすくなっている時代です。まさに『王様ランキング』が評判になったように。しかしそれでも、まだ光が当てられず、埋もれている才能の持ち主はたくさんいることでしょう。それならばせめて、作品世界の王である自分くらいは、この世界に触れる読者に希望をもたらす存在でなくてはならない──そんな祈りにも似た願いが、『王様ランキング』には込められているような気がするのです。