明晰夢工房

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長篠の戦いのアンソロジー小説『決戦!設楽原 武田軍vs.織田・徳川軍』感想

 

決戦!設楽原 武田軍vs.織田・徳川軍

決戦!設楽原 武田軍vs.織田・徳川軍

 

 

歴史アンソロジーの決戦!シリーズもこれでもう8作目。今回は長篠の戦いがテーマです。武田軍と織田・徳川軍双方の視点から描かれる作品群はどれも魅力的で、戦国史好きなら間違いなく楽しめる作品に仕上がっています。

長篠で使われた織田軍の鉄砲は千丁だったのか三千丁だったのか、ということが議論になることがありますが、本作では三千丁の鉄砲が使われた設定になっています。小説的にはそのほうが迫力が出ますからね。武田の「騎馬隊」の存在に関しては明言はされていませんが、あるとも取れるような描写があります。想像力で補完できるようにしてあるという感じでしょうか。

 

以下はそれぞれの作品への寸評です。

 

麒麟児殺し」宮本昌孝

家康の長男・松平信康が主人公。今回の信康は『おんな城主直虎』に出てきたような感じの名君で、家康よりも大きな器量を感じさせる人物に描かれています。長篠での活躍は特にないのでそれ以前の描写が中心。あのような最後を迎えたのも才能を信長に見抜かれたがゆえなのか。

 

「ならば決戦を」佐藤巌太郎

武田勝頼の一人称視点で描かれる物語。勝頼が山本勘助を始末するため彼の作戦を上杉謙信に教えていたという設定に驚く。諏訪家の後継ぎとして、常に武田家長男の義信には戦争ごっこで負けなくてはいけない立場に置かれた悔しさから強さに固執するようになった勝頼の招いた悲劇が長篠の敗北だった、という解釈は物語としては説得力があるように思います。

 

「けもの道」砂原浩太郎

別働隊を率いて鳶ケ巣山砦を急襲する使命を背負う酒井忠次が主人公。道案内の為雇った謎めいた女人との不思議な交流が描かれますが、『おんな城主直虎』とは違って果断な酒井忠次を見ることができます。地味ではあるものの勝頼の背後を経つという重要な役割を果たした忠次の功績がとても大きなものであることもわかります。

 

「くれないの言」武川祐

武田四天王の一人で赤備えを率いていた山県昌景が主人公。勝頼にどこか危険なものを感じつつも、ともに兄を排除してのし上がったという奇妙な連帯感めいたものも感じている昌景の心理描写が面白い。これならば長篠で壮絶な最後を遂げるのも納得。

 

「佐々の鉄砲戦」山口昌志

主人公は佐々成政。戦に強いだけでなく、信長に命じられ三千丁の鉄砲の調達にも奔走するなど「戦そのものを変える」ことに力を注ぐ成政が描かれます。鉄砲という「新兵器」を上手く活用できた信長が勝利できたという、どちらかと言うと旧来の説を踏襲した感じの長篠の戦いが描かれていますが、こういうオーソドックスなものが読みたい読者もいることでしょう。

 

「淵瀬は巡る」簑輪諒

これは非常に読みごたえのある一編でした。主人公は今川氏真に仕えた朝比奈泰勝ですが、氏真は暗愚な人物ではなく、長篠の戦いの戦局全体を見渡すことのできる聡明さを持った人物として描かれています。とはいえ後方の城に留め置かれている氏真に何ができるわけでもないので、せめて泰勝だけにでも活躍の場を与えることにします。これは良い主従です。こういう普段は歴史に埋もれがちな人物にスポットを当てる、これこそが歴史小説の醍醐味と言えるでしょう。

 

「表裏比興の者たち」赤神諒

真田昌幸の兄・真田昌輝が主人公。真田昌幸も設楽原の戦場にいるという設定で話が進んでいます。真輝の策略は敗戦を利用して武田勝頼を敵に討ち取らせ、当主を交代させるという恐ろしいものですが、この時点では弟の昌幸を上回る頭のキレを見せています。弟二人に比べて真正直な武人という感じの信綱も魅力的。長篠の戦いを一番冷めた目で見つめている真田一族の行動はあくまでフィクションではありますが、後の昌幸の行動を見るとなかなかに説得力があります。真田ファンは必読。

 

決戦シリーズは同じ一日をさまざまな人物の目から描くことで同じ出来事を立体的に捉えることが狙いですが、今回の『決戦!設楽原』ではとくにこの狙いは成功しているように思います。武田側も結構たくさん鉄砲をそろえている描写もあり、武田の騎馬隊vs織田の鉄砲隊という単純な対決の図式になっているわけでもありません。全部読まなくても、興味のある人物の話だけ読んでも楽しめるのではないかと思います。