明晰夢工房

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キットカットに溝が刻まれているのはなぜ?『チョコレートの世界史 近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石』でたどるチョコレートの歴史

 

 これ一冊でアステカ帝国時代から現代までのチョコレートの歴史を気軽に学ぶことができるお得な本。チョコレートとは言っても現在食べられているような固形のチョコレートが生産されるようになるのは20世紀初頭からなので、この本のかなりの部分が「ココアの歴史」ということになります。

ココアやチョコレート産業を発展させたのが近代イギリスの産業資本家だったため、本書で扱う内容もイギリスのチョコレートが中心となります。有名なキットカットもイギリスのロウントリー社が生み出したものです。あくまでチョコレート産業についての本なので、ベルギーのチョコレート工房で作られるような家内工業的なものは扱っていませんが、大西洋三角貿易産業革命など、チョコレートを通じて世界史上の重要なトピックにも触れることのできる面白い内容になっています。

 

以下、本書の内容をまとめつつ、チョコレート産業の歴史をふり返ってみます。

 

アステカ帝国の「薬」だったココア

カカオ豆は中米を原産地としているため、この地では古くからカカオの栽培が行われています。繁栄したマヤ文明の遺跡の出土品には「カカウ」と書かれた土器があり、アステカ帝国ではカカオは貢納品としても納められています。カカオはアステカ社会においては神々への供物として用いられる一方で、貨幣としても流通しています。

アステカ最後の皇帝モクテスマ2世はカカオの飲料を好んでいましたが、アステカにおいてはカカオは特権階級の嗜好品でした。この時点ではココアには砂糖が入っていないため苦い飲み物で、疲労回復や精神の高揚などの効能を期待して飲む、一種の薬のようなものでした。

 

スペインのアステカ征服と大西洋三角貿易

スペインがアステカを征服した後も、カカオの貢納は続けられました。カカオ飲料を作ってスペイン人が儲けるためです。アステカの苦いココアはスペイン人の口には合わないので、スペイン人はこれに砂糖を入れて飲む方法を考え出しました。このカカオ飲料は1570~80年代に「Cacahuatl」「chocolatl」などと呼ばれるようになりました。「チョコレート」という言葉の誕生です。

  

砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)

砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)

 

 

メキシコでのカカオの需要が増えるにしたがい、黒人奴隷を使役するカカオ農園が各地に作られるようになります。 カラカスやカリブ海諸島、スリナムガイアナなどでカカオ生産が行われていますが、こうして作られたカカオは砂糖とともにヨーロッパに輸入されるようになり、大西洋三角貿易の一端を形成することになります。岩波ジュニア新書の名著『砂糖の世界史』ではこの大西洋三角貿易を砂糖の流通からくわしく解説していますが、ココアは生産・流通のあり方が砂糖ととても良く似ており、ココア飲料には砂糖が不可欠という意味においても砂糖とココアは「褐色の双子(精製されていない砂糖は褐色でした)」と呼ぶべき存在でした。

 

画期的なココア製法を開発したオランダのヴァン・ホーテン

 

近代世界システム論においては、イギリスに先んじてヘゲモニー国家(覇権国家)となったのはオランダです。オランダは18~19世紀にかけて市民向けにココアを提供するコーヒーハウスやカフェが増えていたため、より飲みやすいココアがが求められていました。

美味しいココアを作るためには、カカオマスから油脂を減らすことが必要になります。コンラート・ヴァン・ホーテンはカカオマスをプレス機にかけて油脂を50%から25%程度にまで減らすことに成功し、さらにアルカリ処理を加えて酸味を軽減させ、従来のものより格段にまろやかで飲みやすいカカオを作ることに成功しました。やがて動力源として蒸気を用いるようになったヴァン・ホーテン社は、本格的な近代工場の操業を始めることになります。

 

ココア産業を発展させたのはクエーカー教徒の使命感だった

 オランダにかわり、ヘゲモニー国家として世界史に登場するのはイギリスです。このイギリスにおいて、ココア産業の発展に力を尽くしたのがクエーカー教徒の資本家たちです。クエーカー教徒は都市部に多く居住し、信者間で婚姻を結び緊密なネットワークを作り上げているので、親族間で資本を融通して産業を発展させることが可能でした。自然治癒力に関心を持つクエーカー教徒にとり、鎮静作用や血行促進効果を持つココアは身近な存在で、これがクエーカー教徒がココア事業にとりくむきっかけともなっています。

19世紀後半にはイギリスのココアの技術改良が進んでいます。ジョージ・キャドバリーはオランダへ渡り、ヴァン・ホーテン社のココア圧搾機を購入してココアの品質を改良し、ロウントリーは1880年に100%ピュアな「エレクト・ココア」の開発に成功しています。かれらはいずれもクエーカー教徒です。

 

クエーカー教徒の強みは、ビジネスがそのまま信仰と結びついていることです。当時イギリスでは貧困者のアルコールへの耽溺が大きな問題となっていましたが、ココアビジネスを展開する禁欲的なクエーカー教徒たちはこれを解決するため禁酒運動を展開し、アルコールに代わる健康的な飲料としてココアを広めるべきだと考えていたのです。奴隷解放を唱えたり、貧困者の実態調査を行うなどクエーカー教徒は社会の改良に熱心に取り組んでいましたが、ココアの普及もまたこうした取り組みの一つでもありました。

 

 チョコレート工場で働くファクトリー・ガールの境遇

 20世紀に入ると、イギリスのココアメーカーは本格的なチョコレート生産を開始します。ロウントリー社は1909年にはチョコレートの箱詰めセットを売り出していますが、チョコレートを生産する上で課題となったのは、従業員の増加でした。ココア生産と違って多数の大型機械を必要とするチョコレート生産は多くの労働者が必要なため、ココアを作っていた頃のような家族的経営とは違う新たな労務管理の手法が求められるようになったのです。

かつてヨークで貧困の実態調査を行っていたロウントリー社は、老齢年金や遺族年金、失業給付金などを設けて社内福祉を充実させ、増大する従業員の生活保障に力を入れています。この頃女性の従業員も増加していますが、10代の女性労働者は「ファクトリー・ガール」と呼ばれ、お菓子の製造や仕分け、箱詰め作業などに従事しています。ロウントリー社で働いていた女性の多くは箱詰めをきれいに仕上げたり、チョコレートのデコレーションを考えることに喜びを見出していて、仕事は楽しかったと語っています。工場では部門ごとにダンスパーティーティーパーティーが開かれ、週末は工場内の各種クラブ活動で余暇を楽しむこともでき、女性労働者にとってはチョコレート工場は働きやすい職場だったようです。

 

キットカットの溝の秘密と"have a break"の意味

数千人の授業員をかかえる大企業に成長したロウントリー社が1935年に生み出したのがキットカットです。発売時は「チョコレート・クリスプ」という名前だったこの商品の特徴は「溝」にあります。キットカットはもともときつい仕事をこなす労働者階級が立ちながらカロリーを補給することを想定して作られていたため、すぐに割って食べられるようにあの溝が刻まれたのです。

この時代ですら、イギリスの名門イートン校の朝食でもビールが出されていたほどアルコールの摂取は日常的なものでしたが、アルコールへの耽溺は労働者の体を壊し、労働意欲を奪うためこれに代わるカロリー補助食品が求められていました。キットカットはアルコールの代替物としてはうってつけだったのです。ビジネスを通じて社会を改善するというクエーカー教徒の精神はここにも受け継がれています。

 

やがて第二次世界大戦が始まると、ロウントリー社では兵士への配給食としてのチョコレートも製造し、ジャングルでも溶けないチョコレートも開発しています。大戦後数年間はイギリスでは食糧不足が続きましたが、やがて食糧事情は改善し、キットカットは労働者のための「meal(食糧)」とは表現されなくなりました。変わって始まったのが、今でもキットカットの広告に用いられている"Have a break"路線です。

このコピーは1962年に作られたものですが、これはイギリスの大量生産・大量消費の始まる時期と重なっています。忙しい仕事の合間、午後に"Have a break"するという経済成長期のライフスタイルにマッチした商品として、キットカットは売り出されていったのです。日本ではロウントリー・マッキントッシュ社と不二家が提携して1973年からキットカットが発売されていますが、以来現在に至るまで根強い人気を誇っています。

 

糖質制限が叫ばれる現在では、チョコレートが健康的な食品だという感覚はありません。しかし、かつてはココアやチョコレートがアルコールに代わる「健康食品」であり、労働者の生活改善のために作られたという経緯は本書ではじめて知りました。世界中で受け入れられる商品には、やはりそれだけの理由があると言えそうです。