明晰夢工房

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創作は人を幸せにするか

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最近、創作で人は幸せになれるのだろうか、とよく考える。好きな話を書いたはいいものの全然読んでもらえず嘆いている人や、公募に挑戦し続けているものの落選続きで苦しんでいる人をたくさん見かけるからだ。

結果を出せない無念さが自分に向かうと鬱や自虐となり、他者に向かうと成功者への怨嗟の声になる。ウェブの成功者に対してもあいつは不正であの地位を築いた、編集と仲がいいだけだ、などという中傷が匿名の場にあふれているが、突きつめればその正体は嫉妬だ。うまくいくのがいつも自分以外の誰かという状況に身を置き続けると、人の心は次第に憎悪に蝕まれていく。

 

ではプロになれればそうした怨念がすべて消え、幸せな創作人生を歩めるかというと、そう単純なものでもない。増田氏が経験したように、好きなものより売れるものを書くことを求められ、創ることの喜びが失われてしまう。出版社にとって小説とは作品である以前に商品であり、プロ作家は売れる商品を作ることが求められる。「作家は放っておくとマニアックになって死ぬ」という言葉をプロ作家から聞かされたことがあるが、自分を市場に合わせられなければプロとしての生命は断たれる。書きたい文章と売れる文章の狭間で悩むプロも少なくないのだろう。

 

プロになれなくても苦しいし、プロになれても苦しい。では一体なんのために創作をするのか。少しでも創作で幸せになれる方法はないのだろうか。話を小説に絞ると、小説を書く動機として、こういうものが書きたいという原初的な創作衝動と、書くことで注目されたい、というものがあると思う。多くの人は両方の動機をそれぞれ持っているが、その比率は人によって違う。「こういうものが書きたい」という動機が大部分の人は、アマチュアの立場で好きなように書いているほうが幸せかもしれない。一方、文章で有名になりたい人は読まれないといけないので、できることならプロになりたい。こういう人は無名のうちは不幸だが、執筆力を身につけたら強い。読まれたいがために流行を躊躇なく取り入れ、柔軟に自分を変えていけるからだ。増田氏の言う「小説家になりたい人」とは、こういう人のことだろう。

 

「あなたは小説が書きたいのか、小説家になりたいのか」という問いは、作家として注目を浴びたい欲ばかりが強く、執筆意欲がない人に向けられている問いだと思う。しかし世の中には有名になりたくて、かつ執筆意欲も強い人というのは少なくない。そういう人は売れるものを書くのが好きなので商業作家としては最強なのだ、というのが増田氏の主張だろう。周りを見ていても、ウェブ小説の世界では受けそうな作風や流行を熱心に研究している人はやはりデビューが速いし、「書きたいことと需要のすり合わせはしたほうがいい」と私にアドバイスしてくれた人もプロになった。対して、自分の作風にこだわる人ほど読者を獲得するのに苦労している印象がある。天才かよほど運がよくない限り、全部自分のやりたいようにやって注目も浴びる、というわけにはなかなかいかない。

 

結局、創作を通じて自分が実現したいことは何なのか、を見極めることが大事なのだろう。すべての人がプロを目指す必要はない。ただ、自分が何をしたいのかは、一度は上を目指してみないとわからない、というところがある。以前、私はウェブ発のある小説コンテストに応募したことがある。1,000作を超える全応募作のうち最終選考に残った40数作品の中に自作も入っていたが、その段階で急に不安になってきた。もし受賞でもしてしまったら、こちらはプロとしての責任を求められることになる。売れなければ作者としての能力を問われるのだ。結局受賞できなかったので無駄な心配でしかなかったが、落選を知ったときは落胆より安堵の気持ちのほうがずっと強かったことをよく覚えている。自分は責任を負わない立場で好きに書いていたいんだな、ということを理解できただけでも、あれはいい経験だった。

 

人は周囲の影響を受けやすい生き物で、朱に交われば赤くなる。ラカンが「人は他者の欲望を欲望する」と言っているように、本来は好きなものを書いていたいだけの人でも、プロを目指している周囲の人たちの熱気にあてられて自分も上を目指さなければいけないような気持になることもある。私がコンテストに応募したのもそのせいだ。だが、人は本来の自分のあり方から離れるとやはり不幸になってしまう。投稿サイトで書きたいように書いていたら偶然注目を浴びてしまい、読者の要望にできるだけ合わせるようにしたら自分を追い詰めることになり結局書けなくなる、というのもよくある話だ。自分が本当はどうしたいのかをよく知っておかなければ、それだけ周りの声に振りまわされやすくなる。

 

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しかし、いくら自分がやりたいことを知っていようが、それが実現できないという状況はある。書きたいものが書ければいい、といっても思うように書けないことはあるし、有名になりたくてもなれない人はいくらでもいる。だからこそ、創作の世界は挫折する人がとても多い。だが、私はやめていった人を敗者とは思っていない。その人たちは自分がより幸せになれる選択をしただけだ。ヤマザキマリのように野垂れ死のうが絵を描いていたい、なんて人はそうそういない。そういう業を背負った人からすれば、不幸になるくらいなら創作なんてやめたほうがいいというのはぬるくて普通過ぎる考えだろうが、普通の人は創作をしてはいけないわけでもない。誰でもいつ参加してよく、いつ退出してもいい、というところもこの世界の魅力のひとつでもある。