明晰夢工房

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『魔法少女まどか☆マギカ』を今頃観て「名作を後から知るメリット」について考えた

 

魔法少女まどか☆マギカ 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]

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アマゾンのレビューで、この作品について「放映当時、これを何の知識もない状態で観ることができた人がうらやましい」というものを見かけた。

確かに、一切の事前情報がない状態でこの作品にふれたほうがなにかとショックは大きいだろうし、より深くこの深遠な作品の魅力にはまり込むことができるのかもしれない。どんな作品でも周りが盛り上がっているときにリアルタイムで視聴するほうが強く記憶に刻み込まれるし、それはこれほどの作品であればなおさらのことだ。

 

ただ、なにかとショッキングな場面の多い『魔法少女まどか☆マギカ』のような作品の場合、評判が確立したあとから作品にふれるメリットも結構大きいのではないか、と、12話の視聴を終えたあとで感じた。

まったくこの作品のことを知らない自分のような人間でもこの作品が放映されていた2011年当時のことはよく覚えていて、3話での巴マミの運命に多くの人がショックを受けていたこと、キュウべえがどうやらとてもひどい奴であるらしいこと、などなどの情報がすでに頭に入っていたので、この作品に入る前に対ショック姿勢を取ることができた。

 そのおかげで、3話の内容はそれほど衝撃を受けなかったし、のちにキュウべえが明かす魔法少女の身体の秘密についても残酷な話だとは思いつつも、まあそれも理屈ではあるよな、と思いながら観ていた。もっとも、契約する前にあらかじめ言っておかなかったのはひどい話ではあるのだが。

 

年齢のせいなのか、最近観ていて疲れる作品にはあまり触れたくなくなってきた。ある程度予定調和のなかでおさまるストーリーが精神によいと感じられるようになってきたのだ。それなら虚淵作品なんて観るなよという話なのだが、そうはいってもやはり名作といわれるアニメも知っておきたいわけで、そんな私にはまどマギが現状「適度にネタバレされている状態」があっていたような気がする。

 

有名作品はあちこちでネタにされるので、「こんなの絶対おかしいよ」「もう何も怖くない」など放映当時言われまくっていた台詞の意味が今頃わかるのもけっこう楽しかったりする。みんなこれの話をしていたのか、とあとから知るのも面白い。のじゃロリおじさんの「それはとっても世知辛いなって」の元ネタがこのアニメであることもはじめて知った。子供のころゲーム機を持つことを禁止されていたので、大人になってからドラクエを遊び始めてブルーオーブだとかルビスの守りだとか皆が話題にしていた言葉の意味がようやくわかったが、あれと同じ気分だ。未履修の必須単位をようやく取得できたような、妙な安心感がある。

 

視聴している途中、自分の感性が古びていることも感じた。劇団イヌカレーの魔女の絵はあまりアニメとマッチしていない気がして、ここは普通のアニメでいいだろうと思った。2011年当時なら、こんな風には思わなかったのかもしれない。こういうところにも、変化や逸脱を嫌う最近の自分の鑑賞傾向が出ている。もう少し視聴が遅れていたら、こういう細かいところに引っかかって最後まで観ることができなかったかもしれない。始めるのに遅すぎることはないとはいえ、こちらが変わってしまうことで名作の良さを味わえなくなってしまうということはやはり、ある。

 

まどマギは人間のエゴだとか奇跡とその代償、自己犠牲の限界など普遍的なテーマを扱っている作品だが、それでも8年前の作品なので細かい描写に古びたところを感じることもないではない。たとえば早乙女和子は30代で独身なのを焦っているような描写があるが、2019年の今ではあまりこういうことをいじる空気はない。ポリコレに敏感な人なら批判するかもしれないところだ。やはり2011年の作品にはその時代の空気が閉じ込められている。シュタインズ・ゲートの@ちゃんねるのネタがあの当時のネットをそのまま表現しているだけに、今では懐古的に楽しめるのと同じことだ。こういう、現代と当時とのギャップを知ることも過去作品にふれる楽しみのひとつであったりする。

 

ついでに言うと、PC版のマギアレコードが事前登録受付中なので登録しておいた。アプリ版が発表された時点でファンからはもう遅すぎる、と言われていたのだが、今本編を観たばかりの人間からすればちょうどいいタイミングだ。視聴するタイミングがずれると思わぬところでこういう恩恵があったりする。当時の盛り上がりを周りと共有できなかった人間には、代わりにこれくらいのご褒美があってもいい。