現代日本はなにかというと人を評価したがる「ツッコミ」の人ばかりが多い「ツッコミ高ボケ低」の状況にあり、それが息苦しい社会を生んでいる──と2012年の時代相を鋭くえぐった名著『一億総ツッコミ時代』の発売から、もう7年が経とうとしている。
去年の暮れには文庫化された「決定版」も発売されているが、2019年の現代の世相を眺めてみても、この「ツッコミ高ボケ低」の状況はあまり変わっていないように思う。今でもSNSで失態を犯した人は多くの批判を浴び、穴のある主張をした人はツイッターやブックマークで叩かれる。この状況を逆に利用して炎上で自分をアピールしようとする人もあいかわらず多い。
このブログだってどちらかというとツッコミ側だ。別に落ち度を探してやろうと思って書評を書いているわけではないけれども、本の内容にふれようと思えばどうしたって批評する側の視点に自分を置くことになる。
ツッコミそれ自体が悪しきものだというわけではない。SNSにはデマもフェイクニュースもニセ科学の情報もあふれかえっているのだから、これらに適切に突っ込む人は必要だ。しかし社会があまりにツッコミ側に傾き、人のあら捜しモードにはいるとベタに行動することが難しくなり、リラックスできなくなる。この状況を打開するために、もう少し肩の力を抜いて、ボケ志向で生きてみませんか、というのが『一億総ツッコミ時代』でマキタスポーツこと槙田雄司氏の主張するところだった。
いつもツッコミ側に立ち、メタに分析ばかりしている人生は疲れる。なにしろツッコミ好きな人は 、時に自分自身をもツッコミの対象にしてしまうからだ。最近、『山月記』を読み返していて、主人公の李徴はまさにこの「ツッコミ高ボケ低」な性格のために獣になってしまった人物なのではないか、と思えてきた。
この小説のなかで、李徴の友である袁は、李徴には「自嘲癖」があったと言っている。事実、李徴は進んで詩の師匠を求めず、仲間と切磋琢磨することもなかった己の性格を「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」の持ち主なのだと容赦なく斬っている。
若くして科挙に合格するほどの才能の持ち主だった李徴は当然、頭脳明晰で、感受性も優れていただろう。その頭脳と感性とで自分自身を批評するのだからたまらない。李徴は人との交際を嫌っているが、その理由が詩の才能がないことが暴露されるのを恐れるためだ、ということを十分すぎるほど自覚できている。
そういう気持ちは本来誰にでもあるものだし、それを受け入れつつ少しづつ前に進めばいいのだが、李徴はさらにメタレベルからこの心情を「卑怯な危惧」などと言って貶めようとする。まさに李徴とは「超メタ人間」なのだ。自己を省みることも時に必要なことではあるのだが、それがゆきすぎると今度は自己評価が下がり、ベタに行動することができなくなる。
李徴が批評家であることに満足できるような性格だったなら、これでもよかっただろう。しかし、李徴は詩人になりたいのだ。そのためには、李徴自身が分析しているように、詩の師匠のもとで修業したり、仲間と切磋琢磨したりする努力が必要だったはずだ。
その過程でプライドをへし折られるようなこともあるかもしれないし、大いに恥をかくかもしれないが、結局恥をかくことを恐れていたら創作などできないのだ。そもそも詩を書くなどという行為自体が恥ずかしいものなのだから、李徴はどこかでメタからベタへ、ツッコミからボケ側へ転身しなくてはいけなかった。
もし、李徴が自分自身への過剰なまでのツッコミの手をもう少しゆるめ、ボケ側に回ることができていたなら、彼の人生はもっと違ったものになっていただろう。仮に李徴が詩友と交わり、師匠について修行を重ねたところで一流の詩人になれるとは限らない。だが、一通りやれるだけのことをやってみて、それでも文名を高めることができなかったのなら、それはそれで諦めがつくだろう。身を焼かれるほどの後悔にさいなまれ、虎になるようなことはなかったに違いない。
だが、李徴は過剰な自意識にとらわれたまま、ついにベタな行動に出ることはなかった。自分自身を見つめる「自分カメラ」が機能しすぎていたせいだ。そんな彼がメタ視点の牢獄から抜け出るには、もはや獣になるしかない。欲望のままに生きている獣にはメタ視点など存在しないからだ。
己が何者であるかを思考できるのは人間の特権ではあるが、それゆえに苦しむのなら人であることを捨てるしかない。李徴が獣になりきることでようやくベタな自分として生きていくことができたのなら、これほどの悲劇はない。 李徴が『一億総ツッコミ時代』の以下のくだりを読んでいたなら、彼の運命も少しは変わっていただろうか。
私は「メタ」にとらわれている人も、もう一周まわって「ベタ」に転換するべきだと常に言っています。少なくとも、自分カメラを気にしすぎて身動きがとれなくなっているよりずっといい。
「自分自身を見つめろ」とは自己啓発の決まり文句ですが、自分より外の世界を見ていたほうが新しい発見もたくさんありますし、絶対に楽しいと思います。なによりそんな人のほうが魅力的に映ると思うのですが、どうでしょうか?(p99)