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岩波ジュニア新書『情熱でたどるスペイン史』はスペイン史入門としておすすめの一冊

 

情熱でたどるスペイン史 (岩波ジュニア新書)
 

 

第一次大戦後から行われてきた世論調査では、ヨーロッパ各国では国民が一番好きな色は青になるそうです。しかし唯一スペインだけは、赤が一番人気の色になります。赤いパプリカの消費量はスペインが世界一で、真っ赤なトマトを投げつけるブニョルの祭りも有名です。赤色は人を興奮させる心理効果があることが知られていますが、この色を好んでいることがスペイン人の「情熱」のひとつの表れといえるかもしれません。本書ではこの「情熱」をキーワードとして、古代から現代にいたるまでのスペイン史を記述しています。あまりなじみのないイスラーム支配下のスペインやその文化、そして闘牛やフラメンコなど日本人にもなじみ深いスペインの文化にも触れているので、スペイン史についてまんべんなく知りたい読者には最適の一冊だと思います。

 

じつは著者が冒頭で語っている通り、スペイン史の研究者はスペインを「情熱の国」として語られることはあまり歓迎していないのだそうです。これはひとつつのステレオタイプだし、スペインにも地域差もあれば個人差もあるのに「情熱」などという先入観でこの国を語られては困るとのことですが、それでも本書を読んでいるとたしかに「情熱」でスペインのすべてを語ることはできなくとも、ある一面をとらえることはできるように思います。それくらい、ある種の「情熱」の表出がスペイン史の随所にみられるということです。

 

スペイン史をたどっていくと、すでに古代からスペイン人は情熱的な一面を持っていたということがわかります。カルタゴ領だったスペインはのちにローマの属州に組み込まれていますが、ローマ時代にすでにスペイン人の猛烈な気質は記録に残っています。リヴィウスはイベリア人が敵に攻められ武器を放棄するよう求められたとき、「武器のない人生など無意味だ」と自殺したと記していて、ガリア人のポンペイウス・トログスはヒスパニア人を「死に対して準備のできた魂」と記録しています。この古代ヒスパニア人の姿は、名誉のためには簡単に命を投げ捨てる中世・近代スペイン人の姿とも重なるものがあります。

 

このようなスペイン気質は、どのように形成されたのか。著者はその原因をスペインの地理的環境に見ています。スペインの地勢的特徴は、国土の大部分が中央台地(メセタ)と呼ばれる岩だらけの不毛な荒地で占められているということです。国土の大半が降雨量が少なく、夏と冬の寒暖の差が激しいため住むにはかなり厳しい環境です。暑熱と酷寒の支配する厳しい国土が、極端から極端へと移る激しい気質を生みだしたのではないか、というのです。

 

このような情熱のひとつの表れとして有名なのが、有名な国土回復運動(レコンキスタ)です。一度はイベリア半島を支配したイスラーム勢力へキリスト教を拡張していく国土回復運動は当然、宗教的情熱に支えられています。しかし、本書を読んでいるとわかるのは、意外にも中世のイベリア半島では他文化に対して寛容な傾向がみられることです。イベリア半島ではキリスト教徒とユダヤ人とイスラーム教徒の交流が盛んで、トレドをイスラームから取りもどしたアルフォンス6世はイスラーム教徒もユダヤ人も重用し「二つの宗教の王」を自称しているし、アルフォンソ10世(賢王)のように「神はキリスト教徒、ユダヤ人、モーロ人皆を救える」と主張した人物もいます。スペインはキリスト教イスラーム勢力がせめぎ合う土地であると同時に、両者の文化が混ざり合う土地でもあったのです。

 

しかし、このような寛容性は時代とともに失われていきます。レコンキスタ完了後、数年でスペイン全土でイスラーム教徒の迫害がはじまり、モスクは閉鎖されて焚書も行われました。異端審問所はキリスト教に改宗したイスラーム教徒に深いキリスト教化を求め、アラビア語イスラーム的風俗も禁止されます。そしてスペインではユダヤ人やモーロ人の血をひかないことを求める「純潔」規約が16世紀なかばに一般化し、ユダヤ人やイスラーム教徒は社会から排除されていくことになります。このような風潮は、スペイン社会に停滞をもたらすことにもなるのです。

 

 こうして中世末から近代初めにかけ、スペインではカトリック純化と血の純化が結合され、社会の遅れをもたらしました。コンベルソやモリスコは社会的恥辱を受け、誇り高い社会から排除されてしまいます。空疎な誇りばかりを追い求め、商業・技術・科学・知識などを軽視してはブルジョアは育たず、学問の進歩もありません。まさに暗い暗い情熱です。

 

コンベルソとはユダヤ教からキリスト教への改宗者ですが、コンベルソはスペイン黄金時代の文化を担う存在です。セルバンテスやラス・カサス、ベラスケスもコンベルソだったと考えられていますが、ベラスケスは「純血」を証明するために多くの努力を払わなくてはいけませんでした。コベンルソ達は旧キリスト教徒の暗い情熱に囲まれ、受苦することで目覚ましい創造をすることが可能になったと著者は書いていますが、このような抑圧がなければもっと別の豊かな文化が生まれていたのではないか、と思わずにはいられません。実際、スペインにはルネサンスというものがないのです。教会の力が強く、中世そのままのカトリックの教義を押し付けることができたためですが、個人の才能の自由な開花は望めなくなりました。

 

かわりにスペインで花開いたのは神秘主義バロック文化でしたが、ここから先のことは書いていると長くなるので省きます。国家としては強力になり「黄金時代」をむかえたスペインでは、すでに文化は翳りを帯びているように思えます。かえってレコンキスタの行われていた中世のほうが、文化的には黄金時代だったような気もします。実際、ユダヤ人やイスラム教徒がキリスト教徒と共存し、中世の翻訳センターとして機能していたトレドは「12世紀ルネサンス」の中心地と評価されています。私の好みもあるかもしれませんが、こうした異文化の混交がスペイン史の魅力であり、その魅力は中世において最も輝いていたように思います。

 

もちろん中世や黄金時代以降のスペイン史にも語るべきトピックはたくさんあり、どの時代に魅力を見出すはか人それぞれです。スペイン文化の象徴ともいえる闘牛の成立は18世紀、フラメンコが国民芸能になったのが19世紀ですが、これらももちろんスペイン人の情熱のひとつのあらわれ方です。近世以降では他にもドン・ファン伝説やカーニバル、ピカレスク文学など多くの話題がとりあげられていますが、すべて語っているときりがないのでここでは触れません。これらのキーワードにひとつでも興味があったらこの本を読んでみて損はないと思います。

 

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