明晰夢工房

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【書評】斎藤孝『ネット断ち 毎日の「つながらない一時間」が知性を育む』

 

ネット断ち (青春新書インテリジェンス)

ネット断ち (青春新書インテリジェンス)

 

 

およそ現代ほど、人間が「他人からどう見られているか」を気にしている時代はありません。ツイッターではいいねの数を数え、SNSに投稿する写真はインスタ映えするかどうか検討し、ブログを書けばPV数を競い合い、便利な道具だったはずのネットにいつの間にか人間のほうが引きずり回されている。

 

このような状況を、この本では「心の漏電」が起きている、と表現しています。24時間人間がSNSとつながっているがために、承認欲求が増幅し、認められない不安がかえって増してしまう。自信がないからネットでの承認を得ようとするものの、そういうかりそめの承認では本当の自信はつかないのでますますネット依存が深まる、という悪循環に多くの人が陥っているのだ、というわけです。

 

この悪循環を断つためには、せめて一日1時間くらいは「ネット断ち」をしましょう、というのが本書の趣旨であるわけですが、ネット断ちして空いた時間で何をするべきかというと、そこは斎藤孝さんの本なので古典を読みましょう、といういつもの話になります。ネット断ちの話は結局斎藤さんの読書論の枕だということです。ネットを離れ、深く作品世界に「沈潜」することが強い人格を作る、と斎藤さんは主張します。

 

 深い、ディープな世界に沈潜するということは、時間をさかのぼることでもあります。過去の偉大な人格に触れ、時代を超えたつながりを持っている人ほど精神が強くなる。

いまの時代だけを生きていると、ちょっと弱い。はるか2500年前の仏陀とつながっている人は、人類史上最強のメンターを得たということでもあります。当然それは心が強くなるでしょう。

 

読書をすれば人格を高められるとか、人間的に成長できるという話には私はわりと懐疑的なのですが、作品世界に深く「沈潜」するという行為は豊かなものである、ということは確かです。私が就職して初めてある研修施設に泊まったころ、初日の夜は宮城谷昌光の作品を読みふけっていましたが、今思い返すとあれはSNSというものがまだ存在していない時代の「沈潜」体験でした。本の感想をブログに上げてPVを稼ごうという下心を持っていなかったあの頃のほうが、今よりはるかに読書に没頭できていたのです。

 

今同じことをしようとしても、この本の感想をブログにアップしたらどれくらい読まれるだろうか、とか、同じ本の記事を書いているライバルはどれくらいいるだろうか、とつい余計なことを考えてしまいます。これこそがまさに「漏電」が起きている状態です。過去を美化するようですが、ネットとのかかわりが薄かった時代にはこんなことは考えもしなかったし、今よりもずっと作品世界への「沈潜」が容易だったような記憶があります。SNSの発達のおかげで、本来孤独で豊かだったはずの読書の時間にすら他者評価を持ちこんでしまうのなら、これは確かに健全とはいえません。

 

だとすれば、ネットと完全に切れた、独立した読書を楽しむには、「この本についてはネットに一切アウトプットしない」という条件設定が必要になるでしょうか。そこまで徹底する必要はないにせよ、どうすれば作品世界への「沈潜」が可能になるのか、SNSと遮断された豊かな時間を過ごせるのか、ということについて、時には考えてみる必要がありそうです。

 

saavedra.hatenablog.com

本書で推奨されている本については『読書する人だけがたどりつける場所』でよりくわしく紹介されています。