明晰夢工房

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【書評】岩波シリーズアメリカ合衆国史1『植民地から建国へ』

 

植民地から建国へ 19世紀初頭まで (岩波新書)

植民地から建国へ 19世紀初頭まで (岩波新書)

 

 

岩波新書から「シリーズアメリカ合衆国史」シリーズの刊行が始まりましたが、これはその1冊目になります。シリーズは全4巻で構成され、次巻以降は『南北戦争の時代』『20世紀アメリカニズムの夢』『グローバル時代のアメリカ冷戦時代から21世紀』と続く予定。

次巻の『南北戦争の時代』は今月発売されます。

 

 2巻の著者は『移民国家アメリカの歴史』の貴堂嘉之氏なので内容にはかなり期待できそうです。

南北戦争の時代 19世紀

南北戦争の時代 19世紀

 

 

シリーズ1巻目となる『植民地から建国へ』では先史時代からアメリカ先住民の歴史と文化をひととおり解説したのち、イギリス人の入植と13植民地の建設、そして独立戦争をへてアメリカ合衆国が建国される19世紀初頭までを描いています。

この巻は著者が『砂糖の世界史』を書いた川北稔氏の指導を受けているだけあって、初期のアメリカ史を大西洋史の中に位置づけ、植民地とイギリス本国の間でのヒト・モノ・カネの移動にかなりの紙幅を割いています。先住民の文化や黒人奴隷への言及は少なめですが、ページ数の関係上仕方ないところでしょうか。

 

まず1章「近世大西洋世界の形成」では先住民の歴史と文化について簡単にふれられていますが、ミシシッピ川流域では「マウンド(墳丘)」が数多く建設され、やがて神殿マウンドを中心とした都市が形成されたことが書かれています。この都市は数万人を擁する大規模なもので、タバコやトウモロコシの交易で一時期かなり繁栄したそうですが、個人的にはここはもう少し詳しく知りたかったところ。とはいえこれは英米関係を主軸にアメリカ史を書く本なので、先住民文化については別の本で補うしかないでしょう。

 

第2章では、ヒト・モノ・カネの移動についてやや詳しく書かれています。ヒトの移動についてみてみると、アメリカ植民地に移り住んだのは自由移民と年季奉公人、そして流刑囚の3種類に分かれます。自由移民は宗教的要因や経済的要因で、年季奉公人は都市で職にあぶれた下層の若者が職を求めてアメリカにわたっています。独身の年季契約奉公人が多かった南部植民地と家族単位での移住が多かったニューイングランド植民地、その中間の中部植民地など植民地のありようも一様ではないものの、おおむねどの地域でも順調な人口増が起きていて、これが植民地の発展を支えています。

黒人はもともと年季奉公契約人の減少を補うために用いられていましたが、しだいに終身の年季を規定された奴隷身分へと固定されていきます。そしてアメリカ先住民は白人の持ちこんだ火器により部族対立が助長され、先住民が酒を好んだためにこれと交換するため先住民同士での奴隷狩りがおこなわれたことにもふれられています。白人の持ちこんだ文化は先住民の社会を大きく変えてしまいました。

 

モノについては植民地の商品として砂糖やタバコ、とくにタバコは国際競争力を持つ商品だったことが解説されています。また史料としての財産目録から、18世紀までに「消費革命」が進行して喫茶の習慣や砂糖の消費、ジョージ王朝式建築の導入など、植民地の生活がイギリス化していたことも強調されています。イギリス本国と植民地は消費活動を通じて緊密な関係を保っており、経済的には植民地はイギリス帝国を支える一大市場でした。

 

こうした社会の変化をへてアメリカ植民地は独立戦争へと至りますが、実はアメリカ人は同時にイギリス人としてのアイデンティティも強く持っていました。七年戦争アメリカに飛び火して起きたフレンチ・インディアン戦争ではワシントンの活躍もあり、最終的にはイギリスがフランスに勝利しましたが、この時点ではむしろ植民地のイギリス人意識が高まっています。ベンジャミン・フランクリンなどは一時は植民地にイギリスの首都を移すべきと論じるほど、骨の髄までイギリス人でした。

しかし、皮肉にもイギリスと植民地の共通の敵だったフランスの脅威がのぞかれたことで、イギリスが植民地への規制を強めることができるようになりました。植民地人はアパラチア山脈を越えて移動することを制限され、砂糖法や通貨法が制定されて経済的負担も増えてしまったのです。これらの政策が植民地人の不満を高め、アメリカ独立革命への下地を作っていくことになります。

しかし、独立戦争がはじまっても最初は植民地も一枚岩ではなく、独立を支持する愛国派とイギリス王に忠誠を誓う忠誠派、 そしてどちらとも決めかねている人々の三者にわかれていました。ここで、かつては一致していた「アメリカ人」と「イギリス人」のアイデンティティは引き裂かれることになり、植民地人はこのどちらか一方を選ばなくてはいけないことになりました。

 

アメリカとイギリスの間で揺れていた人々に大きな影響力を与えたのがトマス・ペインの著書『コモン・センス』だったことはよく知られていますが、本書によると大陸会議が独立へ踏み切ったのはイギリスが軍事的攻勢を強めたから、という要因も大きいようです。情勢が緊迫するなか、トマス・ジェファソンの独立宣言文が出されていますが、この宣言の草案には「捕まえて、別の半球に運んで奴隷とし、また運ぶ途中、悲惨な死をもたらした」などイギリスの奴隷貿易を非難する文言が含まれていることが注目されます。しかしこの文言は、南部諸州への配慮のため最終的に削除されてしまいました。アメリカの奴隷解放は、次巻のタイトルでもある南北戦争終結を待たなくてはいけません。

 

独立戦争が終わり、この戦争が神話化されていくエピソードも興味深いものがあります。星条旗をデザインし、これをワシントンの前で織り上げてみせたベッツィ・ロスは政治家や軍人を除けば、南北戦争以前のアメリカ史ではもっとも有名な人物です。しかし、実はこの伝説が初めて登場するのはアメリカ独立から100年後のフィラデルフィアにおいてであり、後世につくられた物語であることが指摘されています。ベッツィは国旗の聖化により生みだされた政治的団結の象徴であり、ワシントンが父なる神であるとすれば聖母マリアにも等しい存在だと説かれています。事実、ワイスガーバーの描いた「我らが国旗の誕生」という絵にはベッツィを囲む三人の男性が聖画における東方三博士のように描かれていて、ベッツィが胸に抱く星条旗は幼いキリストを象徴しているのです。ベッツィの伝説はウィルソン大統領にもその信憑性を否定されているにもかかわらず、文化的アイコンとして存在し続けているのです。歴史の神話化を物語る一例として記憶しておきたい話です。