明晰夢工房

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『昭和史の10大事件』と宮部みゆきの見た宮崎勤事件

 

昭和史の10大事件

昭和史の10大事件

 

 

半藤一利宮部みゆきが、昭和金融恐慌や2・26事件、東京裁判金閣寺消失など、昭和史の「10大事件」について対談している。やはり半藤一利が年配なので対談の大部分は宮部みゆきの方が聞き手に回っているのだが、この本で印象的なのは最後の対談のテーマが東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勉事件)であることだ。この事件は宮部みゆきが「昭和の終わりを象徴する事件」として取り上げているのだが、このテーマについてだけは宮部みゆきの方が積極的に語り手に回っている。

 

本書で取り上げられている他の9つの事件がほぼ政治的なものであるのに、この事件だけは浮いているようにみえる。もちろん宮崎勉事件は昭和末期の世間を揺るがした大事件であるのだが、これがはたして昭和という時代を代表する事件なのだろうか、と思ったからだ。知る限りでは宮崎勉という人物は徹底的に非政治的な人間であって、世間との接点もほとんどなかった。だからこの事件は一見、昭和という時代とのリンクが欠けているようにも思える。事実、この事件の報道では徹底的に宮崎勉という人物の内面性にスポットライトがあてられた。

 

しかし、宮部みゆきに言わせると、まさにそのような犯人のインナースペースに着目するような事件の語り方こそが、この事件に端を発するものだという。

 

心理学者で精神分析を専門にされている斎藤環先生が、『心理学化する社会』という本を書かれています。社会の心理学化。この言葉に出会ったとき、ああそうかって、私は思わず膝を打ちました。宮崎勉事件はまさに、メディアも、私たち素人も、社会で起きる犯罪や事件を心理学的に──もちろん素人ですから、「心理学的雰囲気」で解釈して、それで納得してしまうような流れができた、その発端の事件だと思います。(p217) 

 

この後に出てきたオウム真理教や神戸の少年Aについても、犯人が内的な想像を現実化するために犯罪を起こしたのだと社会が解釈するようになったが、そのようなものの見方のきっかけを作ったのが宮崎勉事件だった、ということだ。プロファイリングという言葉がこのころから一般化しているのも、犯人の内面に社会が着目するようになったことのひとつの表れでもある。

 

個人的な体感としては、社会の「心理学化」は90年代後半に本格化したものだという感覚があり、実際に「社会の心理学化」を語る本ではその表れのひとつとしてエヴァンゲリオンの流行を取りあげていたりするのだが、その萌芽はすでに昭和の末期にもあったのかもしれない。だとすれば、徹底的に非政治的であることにより、宮崎勉事件は「昭和の終わりを象徴する事件」になったということになる。

 

宮部みゆきは、ほかにも宮埼勤事件について興味深い見方を示している。

 

この宮崎勤事件に対して、ものすごく反応して、他人事とは思えない、僕だってちょっと間違ったらああいうふうになっていたかもしれないとか、俺だっておたくだとか、宮崎勤はもう一人の自分だとか、けっこうな人数の評論家や ジャーナリスト、作家の方々が発言したり、書いたりしたんです。

その感覚が、腹立たしいんですよね、私は。やっぱり女だから。実際に四人もの女の子が殺されている事件とその犯人に対して、そんな簡単に、分かる、他人事とは思えないなんて言ってくれるな、と思うんですよ。

でも、私は物書きでもあるので、そういうふうに宮崎勤を捉えたくなってしまうわけの分からなさが、この事件にあることも分かるんです。この男の内側を解いてみたいと。「今田勇子」という女の名前の犯行声明文がどうして出されたのかを解きほぐしてみたいと。物書きがそそられる気持ちも分かるんです。そのように誘惑される、それが魔だと思うんです。

 

 当時の空気感は今でもよく覚えているのだが、確かに当時宮崎勤被告にある種の共感を寄せていた論客は全員男性だった記憶がある。その共感はこの事件をただの異常者の犯罪だと切断処理してはいけないという気持ちから出たものだったのかもしれないが、女性の立場からすればそう簡単に犯人に感情移入されても困る、となるだろう。

 

実際問題、半藤一利が言っているように、宮崎勤は「わけがわからない」。とはいえ、ある種の人たち(ほぼ男性)にとっては、この事件が「自分たちの側」にある、と感じられたことも確かなのではないだろうか。被告と同じ趣味を持っている人は少なくなかったし、趣味は異なっても(宮部みゆきの言う)「魔」がいつ自分をそそのかさないとも限らない、という自省を持つ人がいるのは何もおかしくはない。

 

saavedra.hatenablog.com

立場が変われば、宮崎勤事件はオタクバッシングの端緒とも捉えられるだろう。自分はこの件については被害者とはいえないので、当時の空気感についてはあいまいなことしか語れないのだが、それでもこういう空気がすっかり過去のものになったことも確かだ。この事件が対談本の材料になるということ自体、もうすでにこの事件が「歴史」になってしまったという証拠でもあるだろうか。