NHKEテレ「新日曜美術館」で、ハンセン病療養所の絵画クラブ「金陽会」に所属する人たちの絵画を紹介していた。
紹介されているものの中には絵画表現として一流のものもあれば、上手くはないが独特の味があるものなどさまざまなものがあるが、全体としては明るい雰囲気のものが多かった。
これらの作品はハンセン氏病の患者が描いたもの、というフィルターを通さなくても見るだけの価値があるものだったのではないかと思う。
絵画の一部はこちらの動画で紹介されている。
これらの絵画は、「キャンバスに集う~菊池恵楓園・金陽会絵画展」と題する展示会で今年の4月から7月にかけて展示されている。
番組中では、子供の時から親と隔離され施設に収容された患者たちの生涯も紹介されている。
一度は施設を脱走して働いたものの再び発病し、施設に戻ってきた人もいる。
社会と切り離された患者たちにとって絵画は貴重な自己表現の場だったのだが、紹介されていた絵からは社会への怒りや恨みのようなものはあまり感じられない。明るい色調のものが多いからだろうか。
案内人の小野正嗣氏は「人はほんとうに絶望しているときは、絵も文章も書けない」と語っていたが、自分自身を救うものとしての芸術の効用は、もっと見直されていいだろう。
中には70歳を過ぎてから本格的に絵画に取り組んでいる人もいるのだが、創作意欲が沸いたのは金陽会の絵が高く評価されているのを知ったからだという。芸術家にとり社会的評価がいかに大事かを考えさせられる。
これらの絵画を純粋に芸術作品として評価するなら、ハンセン氏病の患者が描いたもの、というバックボーンは忘れるべきなのだろうか。
「重い病を背負っていても、人はこれだけ素晴らしい作品を生み出せる」といったものの見方は、ともすれば「感動ポルノ」として批判されがちなものでもある。
だが、番組の最後で小野正嗣氏が語っていたように、社会から否定されてきた人々が人や世界を肯定する絵を描けるようになるということは、この絵を見る人に希望をもたらすものではないだろうか。
患者の一人が描いた絵のなかに、仔馬が母馬の乳を吸っているものがあったが、この絵は見るものが子供時代に親と引き離され隔離された患者の人生を知っているからこそ、深い感慨を呼び起こすという一面がある。辛く苦しい思いをしたからこそ生み出せる表現というものは、やはりあるだろう。