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信長研究者は本能寺の変の原因を何だと考えているのか?『本能寺の変サミット2020』内容まとめ

先日、NHKBSで放映された『本能寺の変サミット2020』の内容をこちらにまとめておきます。参加したパネリストは天野忠幸,石川美咲,稲葉継陽,柴裕之,高木叙子,福島克彦藤田達生の7氏。

 

この日、本能寺の変の原因として検討されていたのは怨恨説・朝廷orイエズス会陰謀説・鞆幕府推戴説・構造改革反発雪・暴走阻止説・四国説・秀吉陰謀説など。以下、それぞれの説について当日語られていたことをまとめておく。

 

・怨恨説

後世の書物では信長が光秀に働いたとされる暴行がさまざまに脚色して書かれ、なかには信長に殴られて光秀のかつらが取れたなどというものまであるが、番組中ではこれらの記述は信憑性に乏しいとされていた。フロイスも似たようなエピソードを記録しているので信長の暴行は実際にあった可能性もあるが、それで謀反を起こすようでは信長の家臣など務まらないということでこの説はほぼ全員が否定していた。

 

朝廷orイエズス会陰謀説

朝廷は一枚岩ではないということが番組中では言及されていたが、朝廷が一体として信長を敵視していたわけではないようだ。イエズス会関連の話はメモするのを忘れていてはっきり覚えていないのだが、朝廷同様イエズス会を黒幕として考える研究者はほぼいないようだ。なお、呉座勇一氏は『陰謀の日本中世史』のなかで、イエズス会士オルガンティーノが本能寺の変後、避難する途中追いはぎに襲われたり、湖賊に財産を奪われたりした事実を指摘している。イエズス会本能寺の変の黒幕なら、こんな目には遭わないだろう。

 

・鞆幕府推戴説

光秀が足利義昭を再度入洛させようと反信長派の豪族に協力を求めた書状(土橋重治宛光秀書状)が発見されているが、これをどこまで信じてよいかが鍵になる。光秀が謀反を正当化するため後付けで幕府再興を打ち出しただけという説もあり、どうもはっきりしない。

番組中では石川美咲氏が光秀が朝倉家から医学の秘伝を伝えられていたことを指摘し、光秀は朝倉家を介して足利将軍家など旧勢力との結びつきが強かったと主張している。これは正しいだろうが、だから義昭を推戴する気になったとまでは断言できない気がする。朝倉家の傷薬「セイソ散」は『麒麟がくる』にも出てくるか。「医者」としての光秀像は見たことがないのでドラマ中で描かれるかは気になるところ。

 

構造改革反発説

番組中では藤田達生氏含む二人が賛成、残りは反対とわからないに分かれた。信長が大和で実施した城割り(一国一城令)、検地や家臣の国替えなど「中央集権化」をめざす政策についていけなくなった光秀が信長を討ったとする説。信長がどれほど他の戦国大名とは違う「革新性」をもっていたかが鍵になるが、この説では信長が「預地思想」をもっていたとする。土地は天からの預かりものであり、大名はそれを一時的に保持しているだけという考え方のようだが、これは家臣の「鉢植え大名化」につながり光秀らの既得権益と対立することになる。

こうした信長の「革新性」については近年は疑問視する意見も多く、番組中でも金子拓氏が信長の考えは「天下静謐」であり、畿内の秩序の安定をめざしていたことが指摘されていた。信長を「保守」の側に置くなら、信長の革新性についていけない光秀が謀反したとの考えは当たらないことになる。石垣をふんだんに用いた山城を作るなど、むしろ光秀の側に「革新性」を見いだす意見も番組中では出ていて、信長の実像がどのようなものかはまだ議論を重ねる必要があるという印象を持った。

 

・暴走阻止説

信長の力で京周辺は「静謐」となったものの、その後も戦争を継続しあたかも「戦争の自動機械」のようになってしまった信長の暴走を止めるため光秀が謀反したとする説。番組中ではパネリストの稲葉継陽氏がこれを支持していた。『当代記』の記述を信じるなら、本能寺の変当時67歳だった光秀がたび重なる戦に倦んでいたという考えには一定の説得力があるように思う。

 

・四国説

信長の四国政策の転換が謀反の原因になったとする説。番組中では7人中5人が賛成と、もっとも多くの研究者が支持する説となった。信長はもともと阿波三好氏に対抗するため長宗我部元親と友好関係を結んでいたが、のちに阿波三好氏が織田家に従属したため元親との関係が変化する。長宗我部氏と直接領国を接することになった信長は元親に土佐と阿波南群半国のみの領有を認めることにしたが、これは元親の勢力を削ぐものであり、長宗我部氏と織田氏との関係は急速に悪化する。信長は四国出兵を決意するに至るが、これにより織田氏と長宗我部氏との取次(外交官)を務めてきた光秀の立場も危ういものとなった。この時代、取次を務めることで権力中枢における発言権を持つこともできるが、長宗我部氏と開戦となれば光秀の政治生命が失われかねないため、光秀は四国出兵をやめるよう信長に働きかけている。

現在、この四国説が光秀謀反の主要因と考えられている。『信長研究の最前線』で、柴裕之氏はこう書いている。

 

信長研究の最前線 (歴史新書y 49)

信長研究の最前線 (歴史新書y 49)

 

 

さて、これまでの本能寺の変をめぐる議論のなかで、共通認識としてはっきりしてきたことがある。それは、織田権力の四国外交との関連である。四国外交との関連自体は、早くに指摘されはしていたが、これを本格的に議論の俎上にのせたのは、藤田達生氏であった。

そして、この四国外交との関連に関しては、桐野作人氏により深化され(桐野、2007など)、現在では変の主要動機・背景に位置づけられているのが、現状である。(p161)

 

・秀吉陰謀説

中国大返しがあまりにも手際がよすぎるので昔から唱えられている説ではあるが、さすがに番組中でこれを支持する研究者はいなかった。ではどうして秀吉がすぐ引き返してこれたかというと、高木叙子氏は光秀の謀反は秀吉の想定内だったからと主張していた。四国説が正しいとするなら、信長の四国政策転換で光秀にかわり織田政権のナンバーツーとして浮上してくるのは秀吉であり、光秀が謀反すれば自分が一番危ないことを秀吉は知っていた。だから危機管理として光秀の謀反にも備えていた可能性があるということである。これが正しいなら秀吉の先を見通す力は一流であり、天下人になるのも当然という気がする。

ちなみに、家康陰謀説は「それならなぜ家康が伊賀越えで苦労する羽目になるのか」とあっさり退けられていた。秀吉や家康は本能寺の変の最大の受益者ではあるが、結果からさかのぼって歴史を考えることの危険性は、呉座勇一氏が『陰謀の日本中世史』のなかで再三指摘している。

 

saavedra.hatenablog.com

 

以上みてきたとおり、今のところ本能寺の変の動機としては四国説がもっとも有力なようだが、個人的には暴走阻止説にも説得力を感じるところでもある。思うに、光秀の動機がひとつだけとは限らないのではないだろうか。光秀は信長の四国政策転換も止めたかっただろうし、同時にこれ以上戦もしたくなかったかもしれない。怨恨説はほぼ否定されているものの、信長の行為が最後の一押しとなった可能性もある。いずれにせよ、番組中で柴裕之氏が指摘していたとおり、信長と信忠がともに京に滞在していたことが事件の引き金になった。

 

大河ドラマ麒麟がくる』ではどの説が採用されるだろうか。『麒麟がくる』制作側では信長について「最近の研究で見直されている保守的かつ中世的な側面も強調」するとしているので、構造改革反発説の線はなさそうだ。だとすれば、ドラマ的には暴走阻止説あたりがフィットしそうな気がする。信長こそが平和な世を作り、麒麟を呼べる人物と信じていたがそうではなかった……と考えた光秀がみずから天下を取ることにしたという線はありそうだ。怨恨説はいままでの大河ドラマと重なるのでたぶん取らないだろう。いずれにせよ、今までとは異なる光秀像や本能寺の変が描かれることを期待する。