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【書評】岩波新書シリーズ中国の歴史2『江南の発展 南宋まで』

 

江南の発展: 南宋まで (岩波新書)

江南の発展: 南宋まで (岩波新書)

 

 

従来のような時代別ではなく、地域史にも着目した新たな中国史概説をめざす岩波新書シリーズ中国の歴史の二冊目が出た。本書では古代の長江流域の文化から筆を起こし、三国時代の呉政権から南朝政権、唐代から北宋南宋にいたるまで、中国の「船の世界」を中心に叙述している。

 

本書では、はじめに中国史を中国という空間に限定して捉える見方を改めることを提唱している。たとえば南北朝時代という言い方があるが、これは中華世界は統一されているのが本来の姿であり、北朝南朝はイレギュラーな政体だという中華史観の枠組みで中国史を見ている。だが、中国南部の「船の世界」は周辺海域から東南アジア、インド洋までつながっているのであって、これくらい広い地域まで視野を広げて中国史を捉えなおす必要がある、と著者は書いている。

 

この「船の世界」の南方世界へのかかわりが強調されているのが、三国時代の呉政権だ。本書では1章の「南から見る三国志」において、孫権が扶南や林邑など東南アジア諸国朝貢させており、さらには海上をつうじて遼東・高句麗とも外交を結んでいたことを書いているが、このようなスケールの大きな全方位外交が「江南立国の王道パターン」だと著者は説く。この先につづく東晋南朝諸王朝・南宋などの国家のモデルをつくったという点において、孫呉の存在意義は大きい。

 

六朝時代に入るとこの「船の世界」に貴族社会がつくられたことがよく知られているが、この「貴族」とはどのような存在かが2章ではわかりやすく解説されている。中世ヨーロッパの領主とは異なり、中国の豪族は国家機構に食い込むことで勢力基盤を築くが、官僚の地位は本来世襲はできない。だが、九品官人法における最初の任官ポストのランク(郷品)が家柄で決まることが多かったため、郷品が家格を表す指標となり、これが貴族制度を支えることになる。

官僚のポストの価値を決める指標として、品階の上下のほかに「清濁」の区別があったという指摘もおもしろい。南朝の社会においては実務系ポストが「濁官」であり、文雅な非実務系ポストが「清官」になる。これを著者は「総務部や経理部よりも、社内資料室付き・社史編纂室付きの方が出世ポストだった」と解説している。実務系ポストが軽んじられる体制には大いに問題があるので、梁の武帝のように実務系本位の官僚体系をつくる改革を行う人物も出てくる。

 

時代は進み、唐代に入っても本書では江南と他国の海上ネットワークが強調されている。日本の遣唐使もまた、東シナ海を経て江南をめざしたものが多い。9世紀には海上交通が十分に発展し、文化や物産が民間ベースで行き来するようになったことから、遣唐使の廃止も「民間交流が定着したので高コストの朝貢使節派遣が必要なくなった」と再解釈される。平安日本は海をつうじて中国に開かれていたのであって、遣唐使を廃止したから国風文化に移行した、と単純に考えていいわけではないようだ。

 

江南の都市のなかでも、南宋の首都である杭州は破格の発展をとげている。もともと中規模な地方都市にすぎなかった杭州は、五代十国時代に呉越がここを拠点に海上展開したために再び繁栄をはじめ、靖康の変後は北方からの流民を受け入れつつ世界屈指の大都市へと発展していく。この都市を頂点とする商品経済の波は農村にまで及び、鎮・市とよばれるマーケットが次々に生まれた。

マルコ・ポーロも驚嘆するほどの空前の繁栄を誇った杭州は、とうぜん多くの富裕な商人を抱えている。これらの商人が富をたくわえたあとどうするか、に中国史独特の特徴がある。富裕な商人は一族のある者には商売を継がせ、ある者には農地を買わせ地主とさせるなどの多角経営をおこなうが、もっともよい選択肢は科挙合格者を生み出すことである。

 

宋以降の科挙官僚は「官僚・地主(資本家)・読書人の三位一体構造」であるといわれる。日本や欧州が職業身分ごとに権能を分け合う(政治は武士、経済は豪農・豪商、文化は公家・僧侶のように)社会であるのと大きく異なり、中華帝国では官僚になれば政治力・経済力・文化力すべての社会的威信を総取りすることができた。しばしば用いられる「昇官発財」という言葉には、中国において政治的成功と経済的成功が密接にリンクしていたことがよく表れている。

したがって、富商たちは同じ職種に属する人たちと連帯して身分団体を結成し、国家に対抗するよりも(各家系が多角経営なので、この前提がそもそも欠けているのだが)、むしろ国家権力の一角に食い込み、国家機構内で上昇することをまずはめざした。前近代中国の経済的成功者から、国家権力を掣肘する動機を持った身分団体は生まれなかったのである。(p145)

 

 ここに中国史の「しくみ」の一部を見ることができる。富裕な商人が社会的に上昇するには一族から官僚を出せばいいのなら、フランスのように革命を起こして民意を政治に反映させる動機がなくなる。近代を迎えても中国社会が欧米諸国のように民主化することがなかったのは、このあたりにも原因があるのかもしれない。