明晰夢工房

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【感想】加藤九祚『シルクロードの古代都市 アムダリヤ遺跡の旅』

 

 

94歳で亡くなるまで発掘の最前線に立ち続けた加藤九祚氏が、アムダリア遺跡で出土した発掘品についてまとめたもの。一番興味をひかれたのはやはりアイハヌム遺跡で、ここではギリシア人の生活の痕跡がそのまま残っている。アレクサンドロスの東方遠征後、この地に移住したギリシア人が後にバクトリア王国を建てているが、この国は紀元前145年ころに突然の終末を迎えている。

 

アイハヌムの建築物はギリシア人の建築家が作ったものだが、宝物庫はペルセポリスの者と類似している。これは遠征途上で見た新バビロニアやアケメネス朝の建築物からインスピレーションを得たためだという。一方、体育館のようにギリシア都市で必要とされた建築物もあり、地中海からはるか東に離れた土地でもギリシア文化が根付いていることがうかがえる。劇場は5000人の観客を収容でき、アイスキュロスエウリピデスの劇が上演されたという。

 

古代ギリシャの劇場で奏でられた楽器のひとつに「アウロス」というフルートがある。アウロスはタフティ-サンギン遺跡のオクス神殿で発見されているが、その名称は『イリアス』にも出てくるほど古い。本書によればフルートの歴史は古く、中国では全7000年紀の遺跡から骨製フルートが発見されている。だがこれなどは実は新しいほうで、4万年前にすでにフルートが存在していたことも知られている。

 

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オクス神殿から出土したものには武器も多く、マハイラやクシフォスと呼ばれるギリシア式の鉄剣も出ている。これらの名称は『イリアス』『オデュッセイア』にも出てくるもので、やはり起源は相当に古い。これらの神話に出てくる遺物を実際に目にすることができるのも、発掘の醍醐味ということだろうか。

 

バクトリア王国が滅びても残ったギリシアの風習も存在する。死者の口にコインを置く「ハロンのオボル」の風習はクシャン時代以降も残っていることがリトヴィンスキーによって明らかにされたが、著者によればこの風習の起源をエジプトやシュメルに求める説もあるそうだ。

 

「オボル」とは古代ギリシアの銅貨(六分の一ディルヘム)のことで、死者の霊が渡し賃としてオボルをハロンに支払えるように、葬式の時死者の歯の間にそれをはさんだ、という。ギリシアではこうした風習が全4世紀からあったとされている。しかし死者の口や手、胸あるいは遺骸のそばにコインをおく風習は古代ユーラシア各地に見られた。イランや中央アジアや漢代中国にもあった。フレイザーの『金枝篇』ではコインをおく風習以前に食べ物をおく風習があったとしている。小谷仲男によると、仏典の『大荘厳論経』にもこの風習のことが書かれている。リトヴィンスキーによれば結論として、中央アジアについてはギリシアの影響によるものとしているが、この風習の起源はエジプト説、シュメル説などもあり、今のところはっきりしていない。