明晰夢工房

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【書評】パニコス・パナイー『フィッシュ・アンド・チップスの歴史』

 

 

イギリス料理といえばフィッシュ・アンド・チップスをまず思い浮かべる人は多い。イギリスを代表する国民食であるこの料理にも、ヴィクトリア朝以来積み重ねられた歴史がある。本書『フィッシュ・アンド・チップスの歴史』はこの料理の発展と衰退の流れを追いつつ、ユダヤ人や移民などフィッシュ・アンド・チップス販売をになった人々にも光を当て、イギリス社会における民族のありようも照らし出してくれる一冊だ。

 

本書によれば、フィッシュ・アンド・チップスの初期の歴史はあいまいだ。フライドフィッシュもフライドポテトも19世紀前半にはすでにイギリスで好まれていたが、両者がどの時点で合体したかははっきりとはわからない。いずれにせよ、1870年代以降にはフィッシュ・アンド・チップスは労働者階級の日常食になっていた。本来高級品だった魚が労働者階級の食べ物になったのは鉄道の普及と氷利用、蒸気船によるトロール漁のおかげだから、フィッシュ・アンド・チップスは産業革命を象徴する料理ともいえる。

 

初期のフィッシュ・アンド・チップスの印象はネガティブなものだ。ジョン・ウォルトンはこの料理と労働者階級との結びつきを強調し、スラムとその住人、不快なにおい、怪しげな衛生状態、未熟な主婦の無分別なやりくりによる二次的貧困の助長などといったイメージがジャーナリストや社会評論家などのあいだで共有されていたと述べている。19世紀の終わりから20世紀にかけて、フィッシュ・アンド・チップスは貧困を想起させる食べ物だった。安価で食欲を満たせるため、貧しい労働者にとってはフィッシュ・アンド・チップスは重宝する食べ物だった。わずか6ペンスで6人分の腹を満たすことができ、調理の手間がいらない料理はほかにない。貧困とフィッシュ・アンド・チップスのイメージが結びつくのは必然だった。

 

もともとは労働者階級の食べ物だったフィッシュ・アンド・チップスがイギリスの「国民食」の地位を獲得したのはいつからなのか。本書によれば、1953年、フィリップ・ハーベンが『イギリスの伝統料理』でフィッシュ・アンド・チップスを「これぞイギリスの国民食といえるもの」と位置付けたことが重要な転換点になった。ハーベンによればフィッシュ・アンド・チップスはアジアにおける米と同じ役割を果たすものであり、「我々国民の栄養と経済にとって本当に重要な役割を果たしてきた」という。著者はハーベンの見方を「かなりの単純化と一般化が見られる」としているが、ハーベンはテレビに出演する有名シェフだったため、その影響力は大きなものだった。1950年代以降、フィッシュ・アンド・チップスと「イギリスらしさ」との結びつきは強調されるようになり、多くの料理本屋や出版物はハーベンの見解をそのまま受けついでいる。

 

ハーベンの見解が受けいられた背景には、1950年代から60年代にかけて、イギリスに異国の料理が増えたことがある。イタリア料理や中国料理、インド料理などがイギリスに入ってきたことで、イギリス人は「自分たち」の食べものを意識するようになり、フィッシュ・アンド・チップスを「イギリスらしさ」の象徴と考えるようになった。食の世界がグローバル化の波に洗われたために、イギリス人としてのアイデンティティがフィッシュ・アンド・チップスに求められたことになる。1931年にはイギリスで水揚げされた魚の60%をフィッシュ・アンド・チップスの店が買い取るほどこの料理はイギリスで好まれていたため、「イギリスらしさ」と結びつけるには好都合だった。

 

だが、フィッシュ・アンド・チップスが純粋にイギリスらしい料理かというと、そう単純ではない。まずフライドフィッシュについてみていくと、実はこれは19世紀の大半の期間、ユダヤ人の料理として知られていた。あげた魚の匂いを反ユダヤ主義者がユダヤ人を攻撃するときの武器にするくらい、ユダヤ移民とフライドフィッシュの結びつきは密接だった。逆に、19世紀末にはユダヤ人の聡明さを大量に魚を食べるせいだと肯定する言説も出てきている。その起源からして、フィッシュ・アンド・チップスは純粋な「英国産」とはいえないようだ。

 

そして、フィッシュ・アンド・チップス業界をになった人々にも移民が多い。4章で紹介されているジェラルド・プリーストランドによれば揚げ物の仕事は社会の最底辺に置かれていたため、一番最近イギリスに来たもっとも身分の低い人々に受けつがれる。19世紀後半におけるユダヤ人もそうだし、その後はイタリア人がこの仕事に就いた。第二次世界大戦後はキプロス人が参入し、さらにその後は中国人、インド人やパキスタン人もフィッシュ・アンド・チップス業界に参入している。移民にとってイギリス社会の主流を占める仕事に就くのは難しいことだったが、フィッシュ・アンド・チップス店はこの夢をかなえられる道のひとつだった。この意味で、フィッシュ・アンド・チップスは「異文化間接触の拠点」でもある。典型的なイギリス料理のような顔をしていながら、その実さまざまな民族文化の交わる場所にもなっているのが、フィッシュ・アンド・チップスという料理の興味深い点のひとつといえる。

 

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現在、イギリスでは日本のカツカレーが大人気だという。「和食」のカツカレーがイギリスに定着しつつあるのは、かつてフィッシュ・アンド・チップスがユダヤ人の食べ物から労働者の食べ物、そして「国民食」へと変わっていった歴史がこの国にあるせいかもしれない。食欲は結局、国籍も民族文化の壁も乗りこえ、世界中の味を取りこんでいく。

 

 また(イギリスの)カレーは、植民地インドにいたイギリス人が食べていたものがもとになっており、帝国の終焉後、帰国してきた在印イギリス人たちや新米のインド移民たちとともに、本国にもたらされたものだった。フライドフィッシュは、このような流れをつくったさきがけだったのである。フィッシュ・アンド・チップスはかつて反ユダヤ主義的なステレオタイプを体現したかもしれない。しかし、それはユダヤ人の食べものから貧民の食べものに、最後にはイギリス人の食べものへと変化したのだった。それゆえフィッシュ・アンド・チップスは、そうしたステレオタイプを解体する道筋を示してもいるのである。(p193)