明晰夢工房

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【感想】古市憲寿『絶対に挫折しない日本史』

 

絶対に挫折しない日本史(新潮新書)

絶対に挫折しない日本史(新潮新書)

 

 

好き嫌いの分かれそうな本だ。この手の概説書はなるべく著者の色を消して通説とされているものを淡々と記述していくものと、著者の個性を前面に押し出すものとがあるが、これは後者だ。この本では社会学者の著者らしく、日本の未来予測をしている箇所もある。章立てもオーソドックスな通史とは異なり、第二部では「コメと農耕の日本史」「家族と男女の日本史」など、テーマ別に日本史を眺めている。

 

第一部は通史だが、ここを読んでいくと、具体的な人名がほとんど出てこないことがわかる。英雄史観への反発なのか、社会のありようについてはそれぞれの時代ごとに書いているものの、歴史上の人物の事績がほぼ何も語られない。小久保利通も木戸孝允も出さずに明治維新を語る本は初めて読んだ。このあたりも好き嫌いの分かれそうな点だが、随所に社会学者らしい視点が見られるのはいい。たとえば著者は江戸時代の社会を語るとき、人口学者の鬼頭宏の説を引きつつ、農村で増えすぎた人口が都市という「蟻地獄」に吸収され、病気や過酷な労働で減ることで均衡を保っていたと書く。低成長の続いた江戸時代は、このようなサイクルでどうにか安定を保っていた。

 

第二部はさらに古市氏の個性が強く出ていると感じる。たとえば「家族と男女の日本史」の章は、全体として一部保守派の考える「伝統的家族像」への批判という色彩が濃い。古墳には夫婦が葬られたものはほとんど存在しないこと、第一次大戦後にようやく「専業主婦」という言葉が登場したことなどをあげつつ、「男が働き女が家を守る」という家族像が伝統に根ざしていないと主張しているのだが、これはLGBTの生産性の議論で物議をかもした議員の「昔の日本はは夫が外で働き、お金を稼いで妻に渡していた」発言の批判だ。どのあたりを「昔」と考えるかは人それぞれだが、古市氏によればこのような夫婦が一般化したのは1970年代だ。この役割分担が崩れると日本が崩壊すると件の議員は主張しているのだが、では1970年代以前の日本はずっと崩壊していたのですか、というわけである。こうした著者の皮肉を楽しめる読者にはいい本なのだと思う。

 

帯に『日本版サピエンス全史』と書いてあるだけに、農業革命についての記述もある。「コメと農耕の日本史」の章では、定住農耕生活に入ったことで人類はかえって不幸になったという『サピエンス全史』の読者にとってはおなじみの話も展開される。飢餓に苦しむ定住コミュニティは他のコミュニティから作物や家畜を奪うため、戦争が増える。椎間板ヘルニアや関節症、そして伝染病も蔓延する。日本人もまた、こうした定住農耕生活に伴うリスクを社会に抱え込むことになる。

そして、日本人にとって必ずしも農耕=稲作ではない。この本に書かれているとおり、「見渡すかぎりの水田」が珍しくなくなったのは、新田開発が盛んになった17世紀のことだ。さらにコメが日本人の主食になったのがようやく100年ほど前のことであり、それまでは麦や雑穀、イモや大根を主食にするのが当たり前だった。現代まで進むと著者は糖質制限ダイエットに触れつつ、いずれコメが主食の座を奪われる日が来るかもしれない、という可能性も示してみせる。コメ以外に様々な食品を食べるのは縄文時代の狩猟生活のアップデート番だと著者は言うのだが、実際どうだろうか。

 

この本のあとがきで、古市氏は展望台から見下ろした日本そのものを描きたかった、と書いている。俯瞰視点での日本史というわけである。確かにこの本では時代ごとの日本社会の姿をそれなりに描いているものの、ところどころで古市氏自身が顔を出し、現代日本の政治家を批判したりするため、必ずしも日本史を遠景としてじっくり味わえるわけではない。若い読者を意識したせいか、文体が妙に軽いところもあるので、学問としての歴史書を求める人には合わないかもしれない。基本、古市氏のファン向けの内容ということだろうか。

 

オーソドックスな日本通史としては中公文庫『日本の歴史』や岩波新書から出ている時代ごとのシリーズをおすすめしたい。

 

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