明晰夢工房

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ソクラテスの妻クサンティッペの「悪妻伝説」はどのように生まれたか

 

ソクラテス (岩波新書)

ソクラテス (岩波新書)

 

 

ソクラテスの妻クサンティッペは「悪妻」だったといわれる。彼女はときにソクラテスに水を浴びせかけたり、上着をはぎ取ったりしたという。そんな扱いを受けてもソクラテスは平然としていたというが、本当だろうか。田中美知太郎は『ソクラテス』において、このようなクサンティッペ像に疑問を投げかけている。

 

しかしこれらの小話めいたもののうちに、どれだけの本当があるのか、ほとんど誰も疑わしく思うであろう。これらは後の時代の創作にすぎないとも考えられる。もしクサンチッペが、その時代において、悪妻として名の高い者であったなら、同時代の喜劇作家が、これを見逃すはずはなかったであろう。しかし一種のソクラテス劇である『雲』においても、アリストパネスは、クサンチッペについては、一言も触れていないのである。(p30)

 

当代一の喜劇作家アリストファネスに取り上げられていない以上、「悪妻」クサンティッペの姿は虚像かもしれない、というわけである。では、クサンティッペの実像はどんなものだろうか。田中はプラトンの著書『パイドン』におけるソクラテス最後の日の様子を引用している。

 

なかに入ると、今しがた縛をとかれたばかりのソクラテスと、クサンチッペ──無論、あなたは知っているでしょう──が、子供さんを抱いて、かたわらに座っているのが、目にとまった。わたしたちを見るなり、クサンチッペは、悲しみの声をあげて、こういう場合、女の人がよく言うようなことを言うのだった。ソクラテス、あなたが仲よしのみなさんと、こうしてお話しできるのも、もうこれが最後なのね。

 

ここには「悪妻」としてのクサンティッペの姿は見当たらない。これから死刑に臨む夫を前にすれば、誰でも言いそうなことを言う妻の姿があるだけだ。クサンティッペはごく平凡な女性でしかなく、「悪妻」だなどというのは根も葉もない作り話にすぎないのだろうか。じつはそうとも言えない。田中はソクラテスの弟子クセノポンの著書『饗宴』の次のような一節も紹介している。

 

 「それならば、どうしてソクラテス、あなたは、それだけの理屈がわかっていて、それで自分でも、クサンチッペの教育をしてみないのですか。あなたの妻にしているのは、およそ女のうちでも、過去現在未来にわたって、最も難物の女なのに、それをそのままにしているというのは、どうしてなのですか」と。

 

これは犬儒派の開祖もとも言われるアンチステネスの台詞だ。かれはソクラテスの「妻をもらったらなんでも心得させておきたいものを仕込んだらいい」という議論に対し、こう言っている。田中はこの話が創作である可能性も指摘しつつ、ソクラテスと同時代の人クセノポンの著書に出てくる話だから、「クサンチッペ悪妻説なるものを全く無根であるということはできない」と書いている。クセノポンの『饗宴』にはこんな話も出てくる。

 

「馬を上手に扱おうとする者は、おとなしい馬よりも、むしろ悍馬を取って、自家用にする。それは悍馬を御することができれば、ほかの馬を御することは、易々たるものであると信ずるからである。わたしも上手に人間とつき合い、交わりたいと思うので、この女を妻にしたわけだ。この女を耐え忍ぶなら、ほかのどんな人間とも、やすやすとつき合っていけるだろうと確信したからである」

 

この話についても、田中は「ソクラテスがこんな理由でクサンチッペと結婚したかはすこぶる疑問」と書いている。いずれにせよ、これらの『饗宴』に書かれたエピソードがクサンティッペ悪妻説の起源のようだ。とはいうものの、この時点ではクサンティッペは「難物」とは書かれていても、具体的に何をしたのかまではわからない。

 

これらの小話をもとにして、クサンティッペにどれだけ手ひどく扱われても泰然としている、世俗を超越したソクラテス像ができてくる。田中美知太郎はプルタルコス『怒らないこと』のこんなエピソードを紹介している。

 

ソクラテスが相撲場から、エウチュデモスをつれて帰ったところが、クサンチッペの機嫌がたいへん悪くて、いろいろ小言を言ったあげく、食卓をひっくりかえしてしまった。そこでエウチュデモスも、面白くなかったので、立ち上がって出て行こうとしたら、ソクラテスがこれを引きとめて、「君のところでも昨日、鳥が飛び込んできて、これと同じようなことをしたが、 ぼくらは別に腹も立てなかったのにねえ」と言ったというのである。(p34)

 

現代人の知る「悪妻」クサンティッペの姿はおおむねこのようなものだ。ヒステリックにソクラテスを罵倒し、暴力も振るいかねないクサンティッペの姿はひどく戯画的だ。対してソクラテスは野獣のような妻の暴言を平然と受け流し、いかにも哲人といった雰囲気がある。そう、こうしたクサンティッペ像はまさにソクラテスを非凡の人とするためにつくりあげられたものだ、と田中は指摘する。ソクラテスに動物並みに扱われても仕方のない、無智と狂暴の女クサンティッペは、ソクラテスの影として描きだされた。

 

なぜ妻を思い通り教育しないのか、とソクラテスに問うたアンチステネスは犬儒派の祖と言われる。貧困や悪名などの苦難が人間を磨く、という考えが犬儒派にはあるが、その立場からすれば、悪妻もまた人生修行に役立つものだったかもしれない、と田中は言う。

 

犬儒派の理想的人物であるソクラテスは、徳のほかに何ものをも求めず、一切の悪条件の下に、平然としてこれに堪え、死の恐怖も快楽の誘惑も、かれの心を動かすことはできなかったのである。悪妻というようなものは、寒暑や困苦欠乏と同じように、易々としてこれに堪えなければならぬ、悪条件の一つにすぎなかったのだろう。寒中も素足で平気であったソクラテスと同じように、クサンチッペに罵られ、水をあびせかけられても、なお平然としているソクラテスが、かれらの英雄だったのである。かくて、かの悪妻伝説なるものは、恐らくこのようなソクラテス観からクサンチッペの気性を一面的に誇張し、拡大してつくり上げられたものだったものだったのではないだろうか。

 

このような犬儒派の考えに加え、パンドラ伝説のような女人を災厄のかたまりとするギリシャの価値観も「悪妻伝説」の形成にかかわっているかもしれない、と田中は書いている。クサンティッペの人物像は後世の多くの人間の願望や偏見がつくりあげたもので、その実像に迫るのはむずかしいようだ。