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【感想】筒井忠清編『昭和史講義 戦後編(上)』はシベリア抑留の入門書として使える

 

昭和史講義【戦後篇】(上) (ちくま新書)

昭和史講義【戦後篇】(上) (ちくま新書)

  • 発売日: 2020/08/07
  • メディア: 新書
 

 

全20講の構成で昭和史の様々なトピックを取りあげているが、この本の内容ではとくにシベリア抑留について興味を引かれた。第3講「シベリア抑留」は22ページ程度の内容だが、この講義でソ連に捕らえられた日本人がシベリアでどのような生活を送ったかが簡潔にまとめられている。

 

この講義によれば、ソ連とモンゴルに抑留された日本人は70万人以上、そのうち死亡者は10万人程度と推定されている。数字を見ただけでいかに過酷な環境で働かされていたかがわかる。ソ連がなぜこれだけの日本人を抑留したか確定的なことは言えないとしつつも、この講義ではソ連が大量の若い男性労働力を必要としていたことを指摘している。

 

 ただ確かなことは、戦争で2500万人ともいわれる膨大な犠牲者を出し、国土が荒廃したソ連が、国民経済復興のために咽喉から手が出るほど「若い男性の労働力」を必要としていたことだ。スターリンは、すでにヤルタ協定を根拠にして大量のドイツ軍捕虜をソ連に連行して使役し、捕虜は使えると味をしめていたから、日本兵ソ連に連行することも当然と考えたであろう。(p50)

 

2500万人は途方もない数字だ。これだけの人材の損失を埋め合わせるため、日本人もまた必要とされていたようだ。労働力としてシベリアに連れて行かれた日本人が味わった「シベリア三重苦」は飢餓と重労働と極寒だが、この講義ではそれぞれの要素についても解説されている。ソ連国民ですら飢えている状況下で日本人に十分な食料が回ってくるはずもなく、日本人にはソ連の給食の基準をはるかに下回る量しか供給されていない。

ろくに食べるものがない状況下で、日本人は過酷な労働を強いられる。ソ連には共産主義独特のノルマ制度があり、体力のまさるソ連人のノルマがそのまま日本人に適用されているという問題がまずあった。ノルマを達成するか超過達成しなければ賃金は支払われないため、多くの抑留者にはほとんど賃金が支払われなかった。病弱で体力のない者はノルマを達成できないため食料を減らされ、ますます体力が衰えるという悪循環に陥っていた。安全対策がおろそかなため作業中の事故も多く、衛生状況も悪いため赤痢発疹チフスも流行した。労働環境としてはこれ以上に過酷なものは考えにくい。

 

興味深い史実として、シベリアでは日本人とドイツ人が交流していたことも書かれている。収容所生活でドイツ人と接した日本人が最も驚いたのは、ドイツ人が捕虜になってもまったく打ちひしがれていなかったことだという。

 

日本人が一番驚いたのは、ドイツ人が「今回はソ連に負けたがこの次はやっつけてやる」と意気軒高なことだった。長い戦乱の時代を経てきて「勝敗は時の運」という現実的な戦争観をもつドイツ人と、常勝の日本軍ゆえたった一度の敗戦にうろたえ、もう戦争はこりごりだと考えるばかりの日本人の違いであろう。(p64)

 

この短い記述のなかにも、日本とドイツのたどってきた歴史の違いが読みとれる。敗戦慣れているいる国とそうでない国とでは、捕虜の態度までまったく違ったものになってしまう。人は知らず知らずのうちに、生まれ育った国のありようをその身に背負ってしまうようだ。

 

日本は同調圧力の強い国だ、といわれることがある。これは本当だろうか。この講義では、シベリア収容所内ででソ連の礼賛や共産主義の宣伝などの「民主運動」が展開されたことを紹介しているが、日本人は将校などを「反動分子」としてしばしば吊し上げ、激しく攻撃した。ドイツ人も「民主運動」をしていたが、この講義によればドイツ人は日本人のように他人をつるし上げて思想を強要するようなことはしなかったという。この事実だけで単純に日本人は同調圧力が強くドイツ人は弱い、とすることはできないだろうが、両者の気質の違いが大きかったことは確かなようだ。