明晰夢工房

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【感想】火坂雅志・伊東潤『北条五代(上)(下)』

 

北条五代 上

北条五代 上

 

 

火坂雅志が執筆中に急逝したため未完になっていた作品を伊東潤が引き継ぎ完成させた『北条五代』を読んだ。後北条氏五代の興亡を描くこの作品で、火坂雅志は三代目当主・北条氏康の青年時代まで、伊東潤はそれ以降を担当している。

 

読んでみると、火坂雅志パートから伊東潤パートへの移行は意外とスムーズだ。どちらかというと火坂雅志のほうが淡々とした筆致で伊東潤のほうが描写が詳細、かつ戦闘シーンが武闘派という印象はあるが、両者の個性が作品内で喧嘩することはなく、とくに違和感なく読みすすめていけるのではないかと思う。

 

火坂雅志の描く北条早雲は梟雄の印象が強く、政戦両略の野心家だ。人物像は従来の早雲像から大きく離れてはいないものの、謀略を駆使する早雲の国盗りを存分に楽しめる。だが、この作品の一番の功績は後北条氏の二代目・北条氏綱を描いたことにあると思う。柔軟性に富む父とは異なり、生真面目な氏綱は父に器量が劣っていると悩むものの、扇谷・山之内両上杉家や武田家・里見家など周辺勢力と粘り強く渡り合い、着実に北条家の勢力をひろげていく。氏綱を支える風魔小太郎や北条長綱などのキャラクターも魅力的だ。北条家を陰から支える風魔一族と氏綱の出会いに絡んで氏綱と小太郎の妹のロマンスが描かれる一幕もあるが、ここはハードな政治と軍事の話が続くなかで珍しく艶めいた場面でもある。

 

火坂雅志パートでは、北条氏康は獣の殺生すら嫌がるほどの繊細な若者として描かれる。このため、当主としては自分は不適格だと悩み一時は出奔までしてしまう。ここで火坂雅志パートが終わっているが、ここを引きつぎ伊東潤北条氏康を九州である人物と出会わせる。かなり創作が入っている部分と思われるが、ここで氏康の師匠になる人物がなかなか面白味のある人物で、のちの氏康の政治観・戦略に大きな影響を与える。北条家を受けついでからの氏康の活躍は史実通りに書かれているが、氏康から見た上杉謙信像には新鮮味がある。北条家や関東の国衆からすれば、謙信の侵攻は災厄のようなものだ。この謙信と氏康がどう対峙するのか、が氏康パートでの見どころのひとつになる。

 

その氏康から当主の座を受けつぐのが氏政だが、この作品の下巻では有名な「汁二杯」のエピソードは出てこない。かわって、兄弟の氏照や氏邦と手を携え、北条家存続のため力を尽くす氏政の姿が描かれる。氏政には人としてのやさしさがあり、それが当主としての失点になることもある。三増峠の戦いで大きな犠牲を出してしまったこともそのひとつの例だ。だがこの失敗も氏政が味方の被害を減らす意図があったために起きたこととのちには理解されている。氏政は早雲や氏康にくらべ武略は劣るかもしれないが、誠実な人物として描かれている。

 

上巻と下巻の氏康パートまでは北条家は上り調子なので読みやすいが、氏政の治世も後半に入るとだんだん読みすすめるのがつらくなってくる。西から信長が勢力をひろげてくるからだ。これまで歴史学の新知見もいくつか取り入れ、氏政も従来通りのイメージでは書かなかった本作だが、信長についてはいつも通り「魔王」然とした人物として書いている。敵であるぶんにはこう書いたほうがいいのだろうか。信長の支配下に入れば、苛烈な統治を押しつけることになり北条家の掲げる「禄寿応穏」を守れなくなる。苦悩する氏政を支え続けたのは江雪斎だ。このすぐれた外交家は氏康の代からずっと北条家に仕えているが、その手腕は当主が氏直に代わっても活かされ続ける。

 

やがて信長が横死すると、氏直が前面に出てくることになる。氏直パートで強烈な印象を残すのは真田昌幸だ。『真田丸』では北条家や上杉家、徳川家の間を巧みに泳いで生き残った昌幸だが、それだけに北条家から見た印象は悪辣なものとなる。江雪斎は一度は昌幸を攻めるべきと主張するものの、若者らしい氏直の正義感を立てて自説を引っ込める柔軟さも見せる。この時点で唯一頼りになる戦略家の江雪斎は今後も北条家を支え続けるものの、秀吉相手にはあまり手腕の見せどころもない。終盤はやや駆け足気味だが、滅びを前にした氏政・氏直父子の対話は戦国の世のはかなさを感じさせ、強く印象に残るものになっている。この二人のいさぎよさは、北条家の幕引きを爽やかなものにしている。最後まで読み切った読者は、北条家のイメージを新たなものにするのではないだろうか。