明晰夢工房

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【書評】中国の南北朝時代が新書一冊でわかる!会田大輔『南北朝時代 五胡十六国から隋の統一まで』

 

 

これは大変コスパの高い一冊。新書一冊で西晋の崩壊から隋の統一にいたる長い分裂時代を概観できるうえ、各所に新知見が盛り込まれている。政治史中心で、主要人物のエピソードも数多くとりあげているので読みやすい。この時代の概説書は五胡十六国の興亡がややこしいので挫折しがちだが、この本では思いきってのちに北魏を建国する鮮卑拓跋部に的を絞って記述しているので、頭が混乱することがない。東晋時代は最低限の記述ですませ、北魏と宋・斉・梁・陳が並立した時代を中心に書いているので、この時代について知りたい読者には強くおすすめできる一冊になっている。

 

中国の南北朝時代には、この時代特有のダイナミズムがある。ユーラシア大陸東部において、遊牧民華北に侵入し、中国文化と遊牧民接触や融合をくり返した結果、思わぬ化学反応が起きることがある。そのひとつの表れとしてこの本で紹介されるのが、北魏にしか存在しない「子貴母死制」だ。北魏を建国した鮮卑族の間では妻や母親の発言力が強いため、後継者の決定後にその生母を殺す「子貴母死制」がつくられた。これは中国にも遊牧民にも存在しなかった、独自の制度である。この制度によって母を殺された拓跋嗣は号泣して父・道武帝の怒りを買い、平城から逃亡する一幕もあったという。このような過酷な制度も、国家の安定のために導入する柔軟性が鮮卑族にはあった、

 

北魏から日本に伝わったものもある。北魏文帝は18歳の時、5歳の皇太子(後の孝文帝)に譲位しているが、皇帝がまだ幼いため、「太上皇帝」として国を治めることになった。譲位後に太上皇帝として国政を執る例は、中国諸王朝にも遊牧民にもないため、これもまた中国の政治文化と遊牧民の柔軟な思考の接触により生まれたもの、とこの本では解説される。この「太上皇帝」に影響を受けてできた称号が「太上天皇」で、持統天皇軽皇子に譲位したのち太上天皇となっている。日本は南朝文化の影響を強く受けているが、意外なところで北朝の文化も取りこんでいた。

 

南朝についての記述を読むと、梁の武帝の仏教政策について新知見が得られる。武帝は生涯に四度も「捨身(=寺院の奴隷になること)」をしたことが知られているが、本書によればこれは「手の込んだ喜捨」ということになる。本当に皇帝が奴隷になるわけにはいかないから、手続きとしては家臣が多額の銭を払い、寺院から武帝を買い戻す形になるわけだ。この時代、東南アジア諸国から仏像や舎利などを献上する仏教的朝貢もおこなわれており、武帝の捨身の直後にスリランカの使者が来貢したこともあった。武帝は個人的に仏教に傾倒していただけでなく、「捨身」で諸外国に崇仏天子としてみずからをアピールしていたようだ。

 

この時代、仏教は北朝でも盛んだった。たとえば北斉を建国した高洋(文宣帝)は座禅に励み、多くの寺院を建立した熱心な仏教徒だった。だが一方で高洋は酒に溺れ、多くの勲貴(北方系の軍人)や漢人官僚を殺害する暴君でもあった。本書で「信仰と行動のギャップには戸惑うばかりである」と評される高洋が酒に溺れていたのは、若くして皇帝となり、勲貴の支持を取りつけるため軍事や政治に励んだストレスのせいらしい。もしかすると、仏教もストレス解消の一手段だったのではないだろうか。

 

この高洋のように、キャラの立った人物がこの本には多数登場する。高洋の父・高歓は有力者の娘に一目ぼれされ、この娘と結婚したことで馬と資産を得たエピソードがあるし、高歓の仲間だった候景はのちに梁の首都・建康を占領し「宇宙大将軍」と称している。北魏で三長制や均田制などを実施した太后のような女傑もいる。こうした個性的な面々ががつぎつぎと出てきては激しい権力闘争をくり返すので、読んでいて飽きることがない。これらの人物が織りなす群像劇を読みすすめるうち、いつのまにか終章の陳の滅亡まで導いてくれる『南北朝時代 五胡十六国から隋の統一まで』は、リーダビリティが高く密度の濃い中国史の概説書として、今後長く読みつがれる一冊になりそうだ。