明晰夢工房

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【書評】ブッダになれるのは一部の「能力者」だけか、それとも全員なのか?師茂樹『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』

 

 

仏教というより高度な論理学の本を読んだような、不思議な読後感が得られる一冊だった。本書『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』は、タイトル通り最澄と徳一の論争について解説してるが、ここでの争点は大ざっぱにいうと「人は誰でもブッダになれるのか」だ。最澄は一乗説(=衆生はいずれ皆ブッダになる)、徳一は三乗説(=ブッダをめざす道である菩薩乗と阿羅漢をめざす声聞乗・独覚乗が併存する)の立場である。大乗仏教の究極目的は「ブッダになること」なので、人がブッダになれるかどうかは一大問題だ。だからこの点について見解の相違があれば、大論争に発展する。

 

最澄と徳一の論争を理解するためには、最低限の仏教思想史をおさえておく必要がある。このため、本書の「はじめに」では最澄の時代にいたるまでの大乗仏教思想史が簡潔に説明されている。ここだけでもけっこう情報量が多く、仏教思想史にまったく興味がなければついていくのは大変かもしれない。一方、大乗仏教に興味があるならここを読めば、最澄と徳一の論争のバックボーンをよく理解できる。

徳一が三乗説に立っているのは、彼が学んだ法相宗玄奘の教えを受けついでいるからである。玄奘がインドで学んだ唯識派の文献には、すべての衆生ブッダになれるわけではない、と書かれていた。それまでの大乗仏教では「涅槃経」に書かれているように、「すべての衆生は仏性(=ブッダになる素質)をもつ」との考えがポピュラーなものだった。だが唯識派は修行者はそれぞれ素質がちがい、いずれブッダになる菩薩種姓、修行して阿羅漢になる声聞種姓、ブッダにも阿羅漢にもなれない無性などが存在すると考えた。著者の師茂樹氏はこの本の4章で、仏性の「性」は「アニメやマンガに出てくる~家の能力に近いかもしれない」と書いている。唯識派の考えでは、ブッダになれるのはそのような資質を持つ「能力者」だけなのである。

 

ブッダになれるのは一部の「能力者」だけなのか、そうでないのか。ここを議論するために、仏教では「因明」という独自の論理学を用いている。因明では論証したい結論(宗)を先に述べ、次に論証するための論拠(因)を述べ、最後に論拠を裏づける前例(喩)を持ってくる。本書の第4章では、因明を用いて無性有情(ブッダにも阿羅漢にもなれない衆生)の存在証明をする例を紹介している。それは以下のようなものだ。

 

一方の無性有情の存在論証は、次のようなものである。

主張(宗):(経典などに)説かれている無性有情は確実に存在する。

理由(因):有性と無性のどちらか一つに含まれるから。

例喩(喩):有性のように。

 

主張(宗):(経典などに説かれている)無性有情は確実に存在する。

理由(因):聖者によって説かれているから。

例喩(喩):有性を説く(経典の)ように。

 

無性有情の論証は二つの比量からなっている。一つ目は、「有」と「無」が相対的な言葉であることから、仏性などがあることを意味する「有性」という言葉があるなら、必ず「無性」もあるはずだ、ということである。二つ目は、ブッダをはじめとする聖者が説いた仏典中に、「一切衆生悉有仏性」などといった「有性」についての経文があり、それが実在するとされているのだから、同じく仏説に見える無性有情もまた実在するはずだ、という議論である。(p149-150)

 

有性と無性は対になる言葉なので、有性があるなら無性だって存在するはずだ……というこの議論は、私たちが抱きがちな「宗教論争」のイメージとはかなり異なる。火を噴くような勢いで対立する宗派を黙らせようとするのではなく、どこまでもロジックで相手を詰めていくのだ。最澄も徳一も因明を習得しているため、同じルールを用いて議論することが可能になっている。因明の議論の進め方は独特で、一読しただけではよくわからないところはある。だが、この時代に考えの異なる者同士が議論する方法が確立されていたことには、新鮮な驚きがある。

 

因明は、たんに仏教徒同士の議論だけに用いられたわけではない。異なる宗教や思想を相手にするときも、因明は使われている。たとえば明治以降の因明の入門書では、キリスト教徒と議論する例文も出てくる。ここで大事なのが、因明における「立敵共許」というルールだ。これは「議論するときに用いる概念は、両者が承認していなければならない」というものである。キリスト者A氏が仏教徒B氏に対して「父なる神は最後の審判の主催者である」と主張した場合、「父なる神」や「最後の審判」といった概念を仏教徒側が承認しなければ、議論は成立しないことになる。互いが受け入れている概念のみを用いて議論を進めるべき、というルールは、現代人にも受け入れやすいもののように思える。いきなり相手が知りもしない横文字を並べて圧倒しようとする、ネットでよく見かけるタイプの論客を、因明では認めない。

 

このように、『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』では、ソクラテスの弁論術にも劣らない、高度に論理的なやり取りが日本仏教界でも行われていたことを教えてくれる。仏教は日本に入ってきて情緒的なものになった、といわれることがあるが、一方で日本にも因明を習得する伝統があった。因明は仏教徒だけでなく、知識人も教養として学んでいて、藤原頼長も因明の著作を残している。意外にロジカルな日本人の一面がみえてくる気がする。仏教徒にとり、議論は覚悟の必要な行為だ。論争を起こすと地獄に堕ちるという考えも存在していたからだ。だが徳一は「無間地獄に堕ちるかもしれない」としつつも、それでも真言密教に疑問を投げかけたこともある。そうすることで、智慧と理解を増やしたかったからだ。地獄へ行くリスクを背負ってでも議論をやめられないほど真摯な人物が、日本仏教史には存在していた。こうした仏教者や因明という学問の存在は、仏教史だけでなく、日本文化そのものに新たな光を当ててくれるもののように思える。