明晰夢工房

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キエフ・ルーシ公国の後継者はウクライナかロシアか──黒川祐次『物語ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国』

 

 

 

ウクライナ情勢が緊迫していることもあり、『物語ウクライナの歴史』もまた注目を浴びているようだ。この本はあまり他の書籍で取り上げられないキエフ・ルーシ公国に一章を割いている貴重な本で、日本ではあまり知られていないこの大国の歴史の入門書としても使える一冊になっている。

 

一言で「ウクライナの歴史」といっても、どこまでをこの国の歴史に含めるかについてはロシア側とウクライナ側で見方が異なる。もっとも大きな問題はキエフ・ルーシ直系の後継者はロシアとウクライナのどちらなのかだ。キエフ・ルーシ公国はこの本によれば「中世ヨーロッパに燦然と輝く大国」であり、ウラディーミル聖公時代にはヨーロッパ最大の版図を誇った。ウクライナの首都キエフを中心に栄えたこの国は、ウクライナ史にどう位置づけられるのか。

 

ロシア側の言い分はこうである。キエフ公国の滅亡後、ウクライナの地はリトアニアポーランドの領土となり、国そのものが消滅してしまって、継承しようにも継承者がいなくなってしまった。これに対し、キエフ・ルーシ公国を構成していたモスクワ公国は断絶することなく存続して、キエフ・ルーシ公国の制度と文化を継承し、その後のロシア帝国に発展していった。これからみてもロシアがキエフ・ルーシ公国の正統な後継者であることにはいまさら議論の余地はない。(p26)

 

このロシア側の主張に対し、ウクライナ側は以下のような見方をしている。

 

ウクライナナショナリストの言い分はこうである。モスクワを含む当時のキエフ・ルーシ公国の東北地方は民族・言語も違い、ようやく16世紀になってフィン語に代わってスラヴ語が使われるようになったほどであった。15世紀のモスクワは、キエフ・ルーシ公国の支配下にあった非スラヴ諸部族の連合体であり、キエフ・ルーシ公国の後継者とはとても言いがたい。また過酷な専制中央集権のロシア・ソ連のシステムはキエフ・ルーシ公国のシステムとはまったく異なり、別系統の国である。キエフ・ルーシ公国の政治・社会・文化は、モンゴルによるキエフ破壊(1240年)後も1世紀にわたって現在の西ウクライナの地に栄えたハーリチ・ヴォルイニ国に継承された。(p26-27)

 

『物語ウクライナの歴史』ではいずれの見方が正しいとも書いていないが、ウクライナにとっては、キエフ・ルーシ公国の正統な後継者であるかどうかは重要な問題になる。それは自国が1000年前からの栄光の歴史をもつ国か、それまでロシアの一地方だった新興国かという、国家のアイデンティティにかかる問題だからだ。なおウクライナの史家マトシェフスキーはハーリチ・ヴォルイニ公国は最盛期には現ウクライナの九割の人口が住む地域を支配しており、「最初のウクライナ国家」だとしている。

 

この本の二章を読むだけでも、キエフ・ルーシ公国の魅力はよく伝わってくる。農村社会だった西欧に対し、キエフ・ルーシ公国は商業が発展していて、総人口の13~15%が都市に住んでいた。スヴャトスラフ征服公やウラディーミル聖公・ヤロスラフ賢公など優れた君主が多数存在し、ソフィア聖堂などの荘厳な建築物も残している。キエフの人口はモンゴルに占領された時点では35000人~5万人と推定されているが、これは当時のヨーロッパでは最大級とされている。ウクライナがこれほどの大国の後継者だと考えたくなるのもうなづける話ではある。