萱野稔人『名著ではじめる哲学入門』によると、20世紀以降の哲学では性善説的な考えが優勢になっているそうだ。ヒューマニズムが浸透したのがその理由のひとつとのことだが、これはあくまで哲学の世界の話だ。市井の人々は性善説を信じているだろうか。野菜の無人販売所は世界中にあるが、人の善意を前提にしないと、こんなものは運営できない。いっぽうで、ネットの世界はデマや誹謗中傷であふれかえっている。人の本質が善か悪か、かんたんには決められそうにない。
ただ、性善説と性悪説どちらを採用するのが得か、には答えが出ているようだ。ツイッターの人気アカウント「ぱやぱやくん」が尊敬する元自衛隊のメンタル教官・下園公太氏によれば、性善説で物事をとらえる方が人に寛容になれ、生きやすくもなるのだという。
どちらが正解・不正解というわけではありませんし、人の考え方や価値観はそれぞれですから、どちらであってもいいと思います。
しかし、本書のテーマに引きつけていえば、「性善説」で物事をとらえるほうがさまざまな意味から寛容力を高くする作用があると思います。
「性悪説」の人は、猜疑心と警戒心が強いため、いつも緊張しています。緊張しているということはエネルギーを消耗させているということですから、疲れています。疲れは寛容力を下げる直接的な原因である、ということは、これまでも繰り返し述べてきたとおりです。
たとえば、新卒で社会にはじめて出たり、転職してこれまでとはまったく違う環境に身を置くことになったりしたとき、誰でも大きなストレスを抱えますが、「性善説」の人は、こういうピンチのときに、人に「助けて」と頼ることができます。そして、実際に手を差しのべてもらえるのです。(『寛容力のコツ』p97より)
なぜ性善説の人が助けてもらえるのかは書かれていないが、おそらくこういうことだろう。性善説の人は人を信じやすく、ふだんから友好的に他者に接する。多くの人に親切にしているから、いざという時に助けてもらいやすい。「人は信じられる」という考えにもとづいて行動した結果、予言の自己成就のようなことが起きているわけだ。性悪説の人は人に頼れないので、この逆の結果になってしまう。
とはいえ、性悪説の人も好きでそうなっているわけではない。下園氏はこの本で、現代は性悪説に傾きやすい社会だ、と書いている。人に譲るより権利を主張する人が増え、ネットで人の悪意を数多く目にする世の中になった。性悪説の人が考えを変えるのは簡単ではないが、ネットから距離を置くのは有効そうだ。実際、『寛容力のコツ』でも、ネットが心を不安定にするリスクを強調している。ウェブの毒に吞まれないためには、夜九時以降はネットを見ないなどのルールを設けるのがいいそうだ。やはりデジタルデトックスはしたほうがいいのだろうか。
『「幸せ」について知っておきたい5つのこと』では、無作為に人に親切にすることが幸福感を高めると書かれている。これは脳科学や心理学などの知見から得られた結論だ。科学も性善説で生きることを支持しているらしい。ある程度性善説的な考えを持っていないと、親切にはできないからだ。性悪説で生きると、「こちらの親切心につけこむ輩が出てくる」などと考えてしまい、親切にはしにくくなる。確かにテイカー(自分の利益のためだけに人から奪おうとする人)には気をつける必要がある。だが世の中テイカーだけでできているわけではないし、多くの場合、親切には親切なり感謝なりが返ってくる。相手がこちらの親切心を搾取するばかりだったら、付き合いをやめればいい。
人は疲労が溜まると警戒心が高まり「人間不信」になりやすくなるそうです。そして「攻撃される前に先に攻撃しよう」という気持ちになるので、中立な人にも攻撃的になります。疲れている時は人に優しくできないので、早く帰って寝たほうがいいですね。
— ぱやぱやくん (@paya_paya_kun) 2022年4月18日
もっとも、人を信じる、親切にするといっても、余力がなければできない。日本はもともと高ストレス社会であるうえ、今はそこにコロナ禍が重なっている。人を信じたくても、その余裕が持てない。だからこそ下園氏のように、心の重荷を下ろすカウンセラーが仕事として成り立っている。性善説で生きるためにまず自分をケアするところから始めなければいけないとするなら、なかなか難儀な話ではある。