明晰夢工房

読んだ本の備忘録や日頃思ったこと、感じたことなどなど

飢饉・間引き・百姓一揆……木枯し紋次郎は江戸天保期の社会矛盾に翻弄された男だった

 

 

「あっしには関わりのねぇこって」──『木枯し紋次郎』をリアルタイムで視聴していない私でも、この台詞くらいは知っている。原作小説を読んでみたところ、この有名な台詞は一巻では出てこなかった。これはドラマ版のオリジナルなのだろうか。とはいえ、小説でも渡世人の紋次郎が堅気の世界とは一線を引いて生きていることに変わりはない。いや、そもそも紋次郎はあらゆる他者と積極的にかかわろうとはしない。第一話『赦免花は散った』を読めば、この紋次郎の虚無的な性格が形成された事情が理解できる。兄弟の契りを交わした仲間に裏切られ、生きる希望を摘み取られた紋次郎は目的もなく、ただ死ぬまでの時間つぶしをしながら流れ歩く男になった。彼にとって人助けはこの世に生きた証を残す手段ではなく、ただの気まぐれでしかないのだ。

 

だが、裏切られる前の紋次郎の人生が希望に満ちていたわけでもない。渡世人の人生は当てもなくさまよう船のようなもので、そこには未来も目的もない。生きようが死のうがどうでもいい、というニヒリズムの影が、つねに紋次郎にはつきまとっている。紋次郎がこんな人間になった背景には、天保期の荒んだ世相がある。この時代、農民の生活苦と飢饉のため間引きが広くおこなわれていたが、紋次郎も間引きされそうになった過去をもっている。六番目の子供だった紋次郎は生まれてすぐ間引かれそうになり、姉の機転で助けられた。その事実を八歳のとき兄から聞かされて以来、紋次郎は口をきかない少年になった。望まれた子供ではなく、生きる根拠が不確かなものとしか感じられない紋次郎が、明日をも知れない渡世人の世界に身を投じるのは必然だっただろう。

 

紋次郎が旅先で遭遇する出来事もまた、天保期の世相と大いに関係している。一巻の第3話「湯煙に月は砕けた」は、甲州騒動に参加した無宿たちが紋次郎が療養している温泉宿に流れてきて、騒動を起こすストーリーだ。この話では、甲州騒動について以下のように記している。

 

半月と少し前の八月二十日には、すぐ北の甲州で大変な騒動が持ち上がった。同じ甲州でも甲州盆地の東の部分を郡内地方と言っていたが、そこで十六の宿場と近隣の農民たちが一斉に蜂起したのであった。郡内地方は甲州街道の宿場負担が嵩む一方、特産の織物が不振に陥り、それに加えて天保の飢饉に遭遇したのであった。

餓死人、捨て子数知れずという惨状にあって、頼みとする甲府盆地の米穀商からは一粒の米も送ってこなかった。そのために激怒した農民の一揆となり、それに無宿人・盗賊・乞食などが加わった。無差別の打ち毀しに発展した一揆は、盗み、略奪、強姦、放火と暴虐をほしいままにしながら三千人の大集団にふくれあがった。

笹子峠を越え、片端から大きな商家、村役人の住まいを襲撃、百六か村三百五軒を破壊して、ようやく沼津藩と諏訪藩の兵力によって鎮圧されたのであった。(p108-109)

 

 

紋次郎は、このような騒然とした世相の中を生きていた。この騒動に参加した者たちは領主や村々から「悪党」とよばれていたが、彼らは無宿で長脇差を帯びている点、紋次郎とも共通するところがある。騒ぎに乗じて逸脱的行動をとる彼らもまた紋次郎同様、心に虚無をかかえた者たちだ。須田努は『幕末社会』において、『無宿の多くは若者であった。天保という時代、百姓として生まれた男たちには将来の”夢”などというものはなかった、としか思えない』と書いている。この時代、新田開発は限界を迎えていたため次男以下は分家独立などできず、田畑を相続できた長男にとっても年貢は重い。このため百姓として生きることを忌避し、村から離脱する「不斗出」が増えていた。不斗出はやがて宗門人別長から除外され、無宿になる。無宿とは生きる希望を持てない者たちであり、それゆえに騒動を起こしたり、紋次郎のように非社会的になったりする。甲州騒動に参加したのがアッパー系の無宿なら、紋次郎はダウナー系の無宿だろうか。

 

このような天保期の社会矛盾がもっとも重く胸にのしかかるのが、四話の「童唄を雨に流せ」だ。紋次郎が間引きされそうになった過去についてもここで言及されている。紋次郎がこの過去を思い出したのは、あるきっかけから産んだばかりの我が子の口をふさごうとしている母親・おまんを目撃してしまったからだ。他者とかかわりたがらない紋次郎がこの母親を助けたのは、我が身に降りかかった悲劇を二度と見たくなかったからである。しかし、この母子にはこの後、さらに過酷な運命が待っている。普通の人情時代劇なら待っていそうな幸せな結末は、この二人には訪れない。二人の行く末を知ったとき、紋次郎の胸の中には、木枯しにも似た冷たい風が吹き込んでいたことだろう。おまんは父に勘当された過去を持つが、この父の人間性がまたひどい。父の冷酷さと社会の過酷さに打ちのめされたおまんは、紋次郎にも救うことができない。笹沢左保の筆は、荒涼とした天保期の世界をリアルに描き出している。

 

二章に戻ると、ここでは渡世人の食についての言及がある。貸元が客人に食べさせる飯は、丼に山盛り二杯と決まっているそうだ。しかし紋次郎はここしばらく、山盛りの飯にはありつけていない、という描写がある。どこの貸元でも飯の盛り方が軽く、麦や雑穀を混ぜている。野州に行くと、粥や雑炊を食べさせる貸元衆が多くなる。そんなところに、紋次郎は飢饉が近づいていることを感じている。飢饉であっても、客人に食べさせる飯がないでは貸元の恥になる。米が調達できず、あるものを出すなら麦や雑炊になるあたりに、食事情の厳しさが感じられる。とはいえ食えるだけましなのであり、子供が増え過ぎたら口減らしのため間引き対象となってしまう。もっとも紋次郎自身は飢餓を心配したり、その対策を考えることはない。 いつ餓死しようとかまわないという、渡世人の明日を顧みない価値観がここでも顔を出す。

 

このように、『木枯し紋次郎』には天保期の世相入門書という一面がある。この小説はかなり時代考証にも力を入れているようで、一話からして紋次郎の流された三宅島の風俗や習慣がくわしく描写されている。紋次郎が旅をすると、各地の交通事情や地方の祭りなどもていねいに紹介される。こうした解説の部分は、テンポの良い現代小説を読みなれた身にはやや冗長に思えるところもある。だが小説を読むついでに天保期の社会を知ることができると考えれば、これはこれでお得な一冊ともいえる。笹沢左保はミステリ作家らしく、この作品でも一話ごとにちょっと驚くような仕掛けを用意しているので、今読んでも十分に面白い作品といえる。時代小説好きなら、『木枯し紋次郎』を読めば現代でも色あせない価値を感じることができるのではないだろうか。