明晰夢工房

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「番長」の語源は平安時代の下級官人?

 

 

「番長」なんて言葉を聞かなくなって久しい。というより、現実世界でそんな存在を一度も目にしたことがない。クラスの不良集団は中学校の頃にはいたが、そのリーダー格が番長などと呼ばれていた場面は知らない。wikiを見てみると、70年代の時点ですでに番長という呼称は廃れてしまっているようだ。これではお目にかかれないわけだ。ところでこの「番長」という呼称はどこから来たのか。『平安京の下級官人』にはこんなことが書かれている。

 

番長というのは官人としては最下級の地位で、兵衛や近衛などの舎人をまとめて率いる。弓馬に優れた者が多く、各衛府の長官に随身して前駆(行列の先導者)の役を務めた。近衛府生は主典の下、番長の上に位置する地位で、下級官人とはいえ、番長よりはずいぶんと上位にある。関係ない話だが、現代でも不良集団の長を「番長」と称するのは、この番長が語源である。(p47)

 

これが本当だとすれば、「番長」の語源はずいぶん古いことになる。平安時代の下級公務員と不良集団のリーダーは遠い存在にも思えるが、意外と共通点も多い。この時代において、下級官人は律令制下の六位の位階を持つ。摂関期では四、五位の位階を持つ官人が中級貴族で、三位以上の位階を持つ官人が上級貴族にあたる。下級官人は「下衆(下司)」とよばれる存在で、五位以上の貴族との間には大きな格差がある。下級官人には蔭位(父祖の位階によって子孫も位階を叙される制度)の特権はなく、一生を下級官人として過ごさなければならない。不良のリーダーも社会的地位はなく、あくまで仲間内での第一人者である点は、下級官人の「番長」にも似ている。

 

腕っ節の強さも両者の共通点だ。平安時代において最強の武器は弓だから、弓馬の技術を持つ番長は威圧感のある存在だっただろう。率いる舎人の中には柄の悪い者もいただろうから、統率力も必要だったかもしれない。このあたりは喧嘩が強くなくてはいけない不良集団のリーダーにも通じる。こう考えていくと、不良集団の長を「番長」と呼ぶのは案外的確なのかもしれない。もっとも、下級官人としての「番長」は権力者に仕える側の人間であり、教師や警察などの権力に盾突く「番長」とはベクトルの方向性が逆になる。彼らは平安社会の末端を支える存在で、秩序を作る側の人間だったのである。

 

摂関政治」と称されるこの時代、ともすれば権力の座にある摂関に目が行きがちであるが、それらを下部で支えてきたのは、このような実務官人たちだったのである。いやむしろ、権力者の政治意志がむき出しになりがちなこの時期に、彼らがそれを下部で支えてくれたからこそ、権力者たちは好き勝手に自分の意志を発現できたのだとも言えよう。

この下級官人たちも、職場や儀式の場では上位の(とはいえほとんどは下級の)貴族に平身低頭してこき使われながらも、一応は貴族社会に連なる一員として、周囲の下人や家族には誇り(と驕り)をもって接していたのであろう。そして彼らにも、それぞれの仕事と家族と人生があったはずである。(p35)