明晰夢工房

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「天道是か非か」の問いに仏教の論理で答えた僧・慧遠

孔子の弟子で最も素行が立派だった顔回のような人物が早世することもあれば、大盗賊が天寿を全うすることもある。司馬遷は善人や悪人がその行いにふさわしい報いを受けないことを嘆き、「天道是か非か」という有名な問いを発した。このような徳と福の矛盾に中国思想界は苦しんでいて、南北朝時代に至ってもこの問題に悩んでいた人物がいる。たとえば東晋の戴逵は、『釈疑論』で正しい生活をしてきたにもかかわらず、さまざまな辛酸をなめてきたことを嘆いている。そしてかれは、すべては天命なのであり、君子は報いを期待することなく為すべき善を為せばよいのだ、と結論づける。ほぼ諦めの境地に達しているように思える。幸不幸は運命でしかないなら、幸せになることは度外視してやるべきことをやるしかない。

 

戴逵は『釈疑論』を高僧として知られた慧遠に送ったが、慧遠は仏教の立場からこれに反論した。慧遠によれば行いの報いは現世で受ける場合(現報)と来世で受ける場合(生報)とそれ以後の世で受ける場合(後報)の三種があり、これで善人が短命だったり悪人が栄える事例を説明できるとした。現世だけに限定して禍福の問題を考えれば戴逵のように運命論に行きつくが、輪廻転生を持ち出せば因果応報はきちんと成り立っていると考えることができる。この考え方は、当時の中国思想界に大きな衝撃を与えた。

 

 

仏教が中国の知識人の関心を得た理由の一つは、長らく福と徳の矛盾に苦しんできた中国思想に、その矛盾を解決する三世輪廻の思想を与えたからだと思われる。もちろん、仏教の三世輪廻説に対しては、荒唐無稽であるとする激しい反論も呼び起こしたが、それはこの輪廻の思想がいかに衝撃的だったかを物語る証拠でもある。インドにおいては、輪廻は苦しみの象徴とでも呼ぶべきものであり、この世に再び生まれないことが宗教的理想とされた。しかし、中国における一般知識人の受容としては、輪廻は徳と福の矛盾を解決する救済の理論とされたところに、四、五世紀の中国の仏教受容の一つの特徴があった。

(『新アジア仏教史06 中国Ⅰ南北朝 仏教の東伝と受容』p130)

 

伯夷叔斉や顔回のような人物も来世、あるいはもっと先の世で報われているのだと考えるなら、運命を嘆くこともなくなる。正しく生きたのに苦しみばかり続いた人生だったとしても、来世に期待をかけることはできる。この世の理不尽さに耐えるには、来世や死後の世界などを持ち出すのは有効だっただろう。だが人々の信仰心がおとろえ、輪廻などを信じることができなくなれば、また福徳一致の難問(アポリア)が頭をもたげてくる。司馬遷の問いが古くても心に響くのは、この難問がいまだ解かれていないせいかもしれない。